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2004-11-01


[情報社会論]確信犯が優遇される言論状況とは

人は自分が知りたい情報しか知ろうとしない。昔はそれでも情報技術がまだ高度で無かったから知りたい情報を知ろうとする内に自然と知りたくないけど知らなくちゃいけない情報を知った。だが高度な情報技術が無思想な空間で発達した現代では、人々は「知りたい情報」だけを求め、「知りたくない情報」は目に触れる間もなく排除されるようになった。だが、それは本当に良い事なのだろうか?

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そこまで言って委員会という番組がある。関西ローカルの番組なので僕は見た事無いのだが、番組から生まれた本の説明によると

イラク派遣、拉致問題、年金問題、死刑制度、代理母、美容整形…。やしきたかじんを委員長とする「そこまで言って委員会」のメンバーが、日本の大問題を真っ向から大討論。
というような番組らしい。

で、何で僕がそういう番組を知っているかというと、実はこの番組の内容が、あるBLOGの言葉を借りれば出演者が無自覚に新自由主義的、というか単なる我利我欲むき出しであれこれ弱者を叩くというような内容で、一部のBLOGで大変問題になっているのだ。

議論が必要だ・・・Freezing Point

>  厚生労働省はニート対策を「若者人間力強化プロジェクト」と名付け、来年度予算で231億円を要求。 合宿形式の集団生活で、働く意欲の向上を目指す「若者自立塾」の新設などを盛り込む。

>  厚労相、文科相、経産相らが参加する「若者自立・挑戦戦略会議」は、ニート対策を含む若者への就業支援として、来年度予算で810億円を要求している。 財政難にもかかわらず、前年度比54%増。*3

スタジオにいる全員がこの情報に激怒 :

「甘ったれた馬鹿どものために、我々の血税を1000億円?!」

惑星ゾラの「三日間限りの掟」▼CLick for Anti War 最新メモ
>▼「たかじんのそこまで言って委員会」

>※番組HP http://www.ytv.co.jp/takajin/

>>若者に人気の「週刊ヤングジャンプ」で掲載されている本宮ひろ志氏の漫画『国が燃える』の中のいわゆる "南京大虐殺"に関しての描写に抗議が殺到し、休載が決定しました。日本国内でも犠牲者の数やその存在をめぐって以前から様々な論争が繰り広げられてきた南京大虐殺ですが、日本と中国間での歴史認識にも大きく違いがあるわけで…

>※http://dklog.jp/u/yuuko999/で、各出演者の発言内容を掲載

>・・・突っ込みどころはもはや星の数ほどあるが、最も許せないのはこの人物。

>金(美齢)

> 「西尾先生がおっしゃった写真、死骸に抱きついて泣いている。もし大虐殺があったら、そんな写真が撮られて残るわけないんですよ。本質的なこと考えれば、あとで寄り集めた、又は作りあげた物だとわかる。日本人の気質として、原爆を落とされても風化して忘れてる。よく言えば、あっさり、さっぱりした気質。執念がない。3日経てば忘れる。それが南京に押し入って、軍隊が勝ったにもかかわらず、虐殺して歩くような、日本の軍人はそんな気質ではないと信じてる。東京裁判で日本を悪者にしたくてでっち上げられたものだと私は思う」

・・・この番組には一切の期待をしていなかったが、この侮辱的な発言を↑スルーしている、周囲の共演者たちの気持ちが知れない。あるいは本当に原爆を落とされたことを風化させて忘れてるのかもしれない。


・・・忘れているのは、お前たちだけだ。

内容への突っ込みはリンク先やそのリンク先へのTrackbackで散々行われているので省略する。

しかしそれにしたって酷い偏った番組なのだが、しかし実はこの番組はその内容が酷い偏ったものであるが故に、逆にその番組は抗議が少ないのだ。逆に例えばこの前紹介した「国が燃える」休載事件なんかでは「国が燃える」という作品では片方でナショナリズムを訴えながらもう片方で戦争の残虐性を語るという、ウヨサヨ両方入った内容であったが為に、休載という事になった。その非対称は一般には左派陣営の没落と右派陣営の台頭を象徴しているとされているが(*1)、実は違うのだ。どういう事か説明しよう。

RSSリーダーという便利なものがある。まぁ殆どの人がもう既に知っているだろうから詳細な説明は省くが、要するにサイトの更新情報を、そのサイトを登録すれば自動的に取ってきてくれるものだ。お気に入りのサイトをチェックするのに役立つ。

あなたはその便利なRSSリーダーに一体どんなBLOGを入れてるだろうか。それは多分人それぞれだと思うのだが(ちなみに僕が見ているBLOGは←にある)、反米嫌日戦線Irregular Expressionの二つを一緒に入れているという人は少ないと思う。ちなみにこの二つのBLOGがどんな思想を持っているかはBLOGに行けば一目で分かる(わ

このような傾向は一般に「情報のごった煮」であるとされている2ちゃんねるでもあって、依然旧NWatchキャラ叩き難民問題と2ちゃんねる内での世代間断裂という記事を書いた時にも言った事なのですが、「2ちゃんねるというのは本当に広大で、多分2ちゃんねるに書き込んでいる人でも、2ちゃんねるの全ての板に(一回でも)行った人というのは極少数」な訳で、それどころか一つの板でずっと書き込み&閲覧をしている人も結構居ます。特にニュース極東なんかは依然各板に強引に進出しようとして(*2)叩かれた経験があるからより内向的になってます。

要するにインターネットというのは特性として「能動的メディア」、つまり自分から情報を取ってこようとしないと使えないですから、自然と自分が知りたい傾向の情報だけを取得するようになってしまうんですね。それは一般的には良い事とされているのですが、しかしそれによって一方では自分の知りたくない情報を偶発的に取得してしまうという機会が無くなるという事態になってしまうのだ。

(もちろんそれを認める人は少ない。私たちは一応建前上は民主的な社会に生きており、そしてその民主的な社会では倫理として「自分と違う意見も知ろうとしなければならない」というのがあるからだ。だから私たちは他者への、そして自分自身への言い訳として「スパム(*3)」という言葉を使って、「私の見ているのは意見ではない、ノイズだ」と言い、その倫理を外見上は保持しながら、内面で破り捨ててしまうのだ(旧NWatch閉鎖時の記事でも言ったので省略しますが">*4)。)

ではその様な事態は一体何を引き起こすのか?まず最初に起こるのはタコツボの発生である。ここで言うタコツボとはつまり知ろうとしている情報が同じ者同士が集うコミュニティの事な訳だが、これが発生する事により、却ってそのタコツボに入る前に入っていた大きなコミュニティ、ありがちな言葉で言えば「市民社会」とかそういう物が薄れてしまうのです。

ここで一つ疑問が浮かぶでしょう。「じゃあ以前はそういったタコツボは無かったのか?」と。確かに昔だって好きな情報が同じもの同士が集う場というのは一杯ありましたし、その中で閉鎖的な交流も行われてきました。ですが、それはまだ現在のように強固な物ではなかったのです。

コミュニティというのはまず中でコミュニケーションが出来なければ話になりません。しかしインターネット以前(*5)のコミュニティ内コミュニケーションというのは、とても小規模な、例えば手紙とか電話とか等の2者間かそれぐらいの間でのコミュニケーションか、もしくは極希に開かれるイベントなどでのコミュニケーションでした。前者の様なコミュニケーションを取っている場合は自然とコミュニティの規模は小規模となり、そのコミュニティはあまりでかい事は出来なくなるし、後者の様なイベント方式だとそうそう何度も行える訳ではないですから、自然とコミュニティの繋がりは弱くなる。

だがしかし今は違う。僕は元々2ちゃんねる出身なので主に2ちゃんねるの話をしますが、例えば2ちゃんねるの板なんかでは一つのイベントが行われている並に大規模な人数で、日常的にコミュニケーションを行っている訳です。そしてそれは2ちゃんねるに限らず、インターネット全般の特徴といっても良いと僕は思ってます。

そして、そのようなタコツボコミュニティが出来る様になる事により、そのようなコミュニティに対応したメディア形式が出る事になります。いよいよ本題へと入るのですが、コミュニティ扇動メディアという存在です。そしてそれこそがまさに「そこまで言って委員会」の正体なのです。

「そこまで言って委員会」はユーザー層としてタコツボを想定しているのでしょう。そのタコツボというのは要するにニュース極東板に集ったり、Irregular Expressionにコメントを寄せたりする、彼らの言葉を使えば普通の国民(*6)なのです。そして番組の目的は、彼らにいかに彼らの望む情報を提供するかに尽きるのです。

そしてそれ故に、その番組の内容は極めて偏った物になる。でも大丈夫なんです。何故ならその番組を見るのはそのタコツボ内のユーザー層に限られているから。今回はたまたま偶発的にそのターゲットとしているタコツボとは違う人たちが見てしまった為に、色々と論議が巻き起こりましたが、しかしそれだって別に抗議運動には結びつかないでしょう?何故なら余りにもその番組がタコツボ内の偏った情報伝達に終始しているが為に、そのタコツボ外の人にはその番組が全くの無益・無駄で有る事がすぐ分かってしまい(*7)、そしてそれ故「見ない」という選択をしても全く損(*8)では無いため、タコツボ外の人は抗議をする前に「見ない」という選択肢を選ぶためからです。そしてそれ故に、このような確信犯的な番組は存続するのです。

そしてその様なタコツボ内メディアによって、タコツボはさらに強固になっていく。そしてそれと反比例するかの様に、タコツボ同士のコミュニケーション、もしくはタコツボ外とタコツボ内のコミュニケーションは減少していき、内と外は乖離していく。そしてその過程で内と外両方にまたがるメディアは必然的にどちらかへの帰順か、もしくはメディアそのものの停止を迫られるのです。そしてその内と外にまたがるメディアが、今回の場合「国が燃える」だったのでは無いでしょうか?

本宮氏がナショナリストだというのはベストセラーであるナショナリズムでも語られたことだそうなので(*9)、よく知られていることだと思うのですが、今回の作品もご多分に漏れずまぁ外見上はナショナリティに溢れている作品でした。その為新自由主義的(うーん、確かに便利な言葉だ(わ)タコツボは「そこまで言って委員会」と同じようなタコツボ内メディアと同じと考えてしまったのです。ここにタコツボの重大な欠点が有るわけで、つまり全ての物をタコツボ内の物かもしくはタコツボ外の物かで判別(*10)してしまうが故に、当然発生するであろう内と外両方にまたがろうとするメディアの存在を想定出来ないのです。そして人は想定内の敵に対しては比較的穏便に対応出来ますが、想定外の敵に対しては殊の外過敏になってしまうのです(*11)。

またそれと同じことはこの「国が燃える」弾圧を批判し南京大虐殺は確かにあったと主張する方、サヨクタコツボにも言えることなのです。

今回の事件について右派は素晴らしい早さで組織化し、そして見事に出版社に弾圧を掛け、休載という目的を達成しました。しかしその様な組織力は本来、左派陣営の御家芸だった筈です。では今回左派陣営の市民団体たちは一体どんな動きをみせたのか?

確かにインターネット上だけを見ていれば左派陣営はとても良く活躍しています。しかし勘違いしてはなりません。今回休載に追い込むことが出来たのは右翼団体が集英社の社に対して抗議をするという、極めて古式な方法による物だったのです。ではそれに比べて左派の市民団体(この文でも読んで右翼と左翼の違いについて考えたら良いと思うよ">*12)は一体どのように動いたのか?これが全然伝わってこないんですよ。例えばどっかの市民団体が國民新聞に抗議に行ったとか、そういう話があれば真っ先にJANJANとかで伝えられる筈なんだけど、実際はそういうことは一切無かった。まぁこれを殆どの人は「左派勢力の没落と右派勢力の台頭」という図式で捉えるだろうし、その見方もあながち間違っては居ないと思うのだが、しかし一応イラク派兵に反対する国民も半分ぐらい居るはずなのに、そこまで没落してしまうともいうの考えにくいと僕は思うのだ。では居るとしたら何故彼らは行動を起こさなかったのか?

答えは簡単だ。「どうも本宮氏は気にくわない」のだ。これはインターネット上で「国が燃える」大擁護キャンペーンを行っているBLOGでも語られているが

 本宮ひろ志の漫画も考え方も、別にそれほど好きじゃない。
というのが左派の大体の認識だと思う。まあこのBLOGの場合はそれでもその後に
ただし、今回の件についてだけは、彼を援護してもいいと思うのだ。
と付け加えているのだが、しかし多くのサヨクタコツボにどっぷりと浸かっちゃった人はそう考えることは出来ないだろう。彼らもタコツボの一員であるが故に、全ての物をタコツボ内の物かもしくはタコツボ外の物かで判別してしまうのだ。

考えても見て欲しい。例えば今回弾圧されたのがもし「国が燃える」ではなく「はだしのゲン」とかだったら一体どうなっていたか?多分猛烈な擁護が起きていただろう。それこそ國民新聞社に市民団体が押し掛けるというような騒ぎも起きたかもしれない。だが「国が燃える」では起こらなかった。つまり「国が燃える」休載事件とは単純に抗議をした連中だけが悪いという話ではない、そんな簡単な話で終わらせて良い訳がないのだ。僕はここにウヨサヨ両方のタコツボ化という、民主社会を揺るがしかねない恐ろしい現象を見てしまうのだ。

では私たちは一体どうすれば良いのか?僕はここでもう一度「デモ」という表現形式に注目してみようと思う。「パレード」ではない、「デモ」だ。インターネットやTVは結局の所その受け取る側が「知ろう」と思わなければ情報伝達は進まない。それでは既存のコミュニティの深化、つまりタコツボ化の促進には繋がっても、自分たちと対立する人たちとの対話には繋がらないだろう。その点デモや街宣はその情報を受け取ろうとしない相手にも、強制的に受け取らせることが出来る。当然その時には摩擦も発生するだろう。だか、そもそも摩擦を避けよう、仲間内でなあなあやっていこうというような姿勢が、今日のタコツボ化を生み出したのではないか?

僕がここで「パレード」ではなく「デモ」をと言ったのには訳がある。はっきり言って今行われている「パレード」なんてものは参加者の自己満足、現実社会で行われるタコツボ内コミュニケーションに過ぎないだろう。何が「『糾弾』という言葉は使わずに出来るだけ柔らかい、分かりやすい言葉を使いましょう」だ。『糾弾』の意味が分からない奴が居るか?どんなに頑張ったって、結局イラク戦争賛成派と反対派は敵対していることに変わりはない。だったらちゃんと敵対的情報伝達をすべきなのだ。むしろ「イラクの兵士の命を守りましょう」という言葉の方が分かりにくい、兵士の命を守るために、立ち向かってくるテロリストをバンバン殺せっつーことなのか?摩擦を起こせ、自分と敵対する考えを持っている相手がおり、自分はそれを(どんな理由かは勝手だが)ねじ伏せたい、まずはそれを認識すべきではないだろうか?そしてそのような認識にはやっぱり「パレード」ではなく「デモ」だと思う。

そしてもう一つ、「『スパム』批判言説」に騙されるな!これらは一見市民の利益を守るという名目だがしかし実際は効率化・タコツボ化を、自覚的・無自覚的に関わらず進めるものなのだ。例えばネオむぎ茶の1000取り、あれはスパム批判論者から言わせればそれこそ無駄なスパムだろう。そしてその場に居た者もそういう風に扱った(*13)。しかしあれは彼の心からのメッセージだったのだ。そして彼はそのメッセージを受け取る人も居ないまま、あの凶行に及んだ。

スパム・荒らしを批判するのは簡単なことだ。だがそれはテロリズムを批判するのと同じように、余りにも短絡的すぎると僕は思う。だから僕はどんなメッセージも保存していきたいと思うのだ。それがタコツボ化という闇に対抗する、光だと思うから―


*1: 実際最初にこの二つの非対称を見たとき僕はそう感じた

*2: 例えばお酒板に「ニュース23のスポンサーであるキリンビールの不買運動をしよう!」とか立てたりね

*3: =ノイズ

*4: だから僕は「スパムは許せない」という様な一見まっとうな意見が大嫌いなんです、それは旧NWatch閉鎖時の記事でも言ったので省略しますが

*5: というかパソコン通信と言った方が良いかもしれないが

*6: 彼らがことさら自分たちの事を「普通である」と強調するというのは実は彼らについて分析をする上で結構重要な事なのだが、とりあえず今は置いておく

*7: 自覚的にせよ無自覚的にせよ、それが番組が存続している理由なんだから「~してしまい」という言い方は間違っているかも

*8: ここで言う損とは「その番組で何か有益な事が言われたのに自分は見ていなくて損だった」という様な損のことです

*9: 僕は実際に見た事は無いから知らないんですけどね。どーもこの本の作者が苦手でねぇ・・・

*10: そうすれば効率的に自分の欲しい情報だけを取得することが出来ますからね

*11: これって結構重要な法則だと思う

*12: これが「左翼団体」と呼べない理由を極東板の連中は「サヨク優遇だ!」と言うが実際は違うんだよね、とりあえずこの文でも読んで右翼と左翼の違いについて考えたら良いと思うよ

*13: というより「排除した」