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2007-08-04

[実験]生きていくの必要なお金はどれぐらい実験 - 一日目

とりあえず、一日目が終わったので、その経過&支出報告と、いろいろやっていく中で気づいたことを挙げていく。

一日目の流れ

8/4の午前0時に出発、闇の東海道を行く。

まあ、静岡県を抜けるまでは割と見知った道だったので難なく行けた(*1)が、神奈川県に入るともう殆ど道は分からなくなり、結果としてかなり遠回りなどをする羽目になった。途中で給油もしました。

しかしそんなこんなでやっと東京都に入り、下北沢などを見に行くつもりが、後述の理由により断念。しかたなく秋葉原などを散策しようと思い、秋葉原に原付で行く。そして……

そこで後ろからタクシーに衝突される

いやー、もしかしたら見た人も居るかもしれませんが、八時か九時頃、万世橋の交差点を中央通りの上野方面から来て左折しようとしたとき、右から救急車が来て(*2)、慌てて急停車したとき、後ろにコツンとぶつかってしまいました。

本当に大した事故では無く、バンパーがちょっと凹んだ以外はなにも実害とか無かったので出来ればそのまま立ち去りたかったんですが、運悪く相手はタクシーで、しかも交通整理をしている警察の人の目の前だったので、そのまま万世橋警察署まで行くことになりました……。

でも、本当に何もなかったので、事故処理じたいは数十分程度で終わりました。警察の人も親切でしたし。

で、その後御徒町駅近くのマックで、百円のコーヒーを飲みながら、ヤフーの無線LANを使って情報採集のついでに、今後の計画を練る。

そして、歩いてアメ横を散策したり秋葉原を散策して、何か面白いものがないかと探した後、夕方頃に再びバイクで移動し、中野方面へ、途中のミニストップでその日初めてのまともなご飯として日清のデカ王2.0を食べる(いや、でも本当にデカ王は百円台の値段なのにそれだけで腹が一杯になってすごいと思う)。ついでに今後の予備として食パンも買う。

そして中野駅前の本屋でいしいひさいちの文庫をひたすら立ち読みして時間をつぶし、23時に閉店になった後はその近くのドンキホーテをぶらっと見た後、中野駅近くの24時間営業のマクドナルドで、マックポークのセットを頼み、朝まで時間をマック難民として潰そうとしている、という感じです。

何となく、下北沢を再開発しようとする怨念の根拠が分かった気がする(勘違い)

さて、僕は最初下北沢に行ってそこで散策しようと思いましたが、ある理由から断念しました。

それは、「道が全然分かりにくい」という理由です。

下北沢の周りって、幹線的な道路が全くないんですね。殆どが一方通行の狭い道。だから、車やバイクで乗り入れようとしても、そうとう地図を見て計画を立てなきゃ目的地にたどり着けないし、それこそ'ぶらぶら町を見て回る'なんてことは不可能に近い。

それは、おそらく車やバイクで来た外来者たちにとっては、「この町はよそものを排除しようとしている!」というような印象を与え、そしてそこから、そういう排除的な態度を変えたくなるとか、お高くとまっているあの町をぶち壊してやりたいとか、そういう様々な感情が産まれ、結果として「こんな町、再開発してやる!」というような怨念を生みだしているのではないかと、下北沢の再開発騒動に関してはなにも知らない僕は、思った。

というか、僕自身のなかにそういう怨念が産まれた。

もちろん、これはあくまで車やバイクで来た時の話なわけで、自転車や公共交通機関で来たときはまた別の印象を与えるのかもしれない、そこで明日は、電車で行ってみることにした。

公共交通機関偏重の東京

また、その話にもちょこっと関係してくるけど、東京はとにかくバイクの駐輪場が少ない!

というか、この話はこれまでも散々バイク業界では言われていた話[google:東京 原付 駐輪場]だそうなんで、事前に調べずそのままのんきに原付で来た僕が悪いのだけれど……それにしても、基本的に東京という町は原付で走り回るようには出来てない。

ここから先は妄想なんだけど、実は、都とか国は単に予算がなかったり、あるいは環境保護の観点から、車、バイクを奨励することは出来ないから、バイク対策をしなかったんじゃなくて、バイクは公共交通機関と違って、一元的な管理が出来ないから、それを恐れた権力が、バイクを廃らせようとしているのではないかと、考えた。

つまり、電車やバスというのは、基本的に、毎日毎日、同じ時間で、同じ場所を、同じように走行する。というかしなければならない。

でもバイクは、そりゃ確かに道のあるところしか走れないけど、基本的に搭乗者の意志通りに進む。

そのような自由的な側面を、国民には同じような考え方で、同じように働き、同じように消費してほしいと考える権力は、恐ろしいと感じているのかもなと、僕は思ったわけです。

全てが「消費」の形でしか現れ得ない世界

しかし、東京をぶらぶらしていて思ったのは、本当にこの国っていうのは、消費という形にしないと、何も出来ない国なんだなあということ。

アメ横や秋葉原を散策したけど、その殆どは店舗などの商業施設で覆い尽くされていて、非商業的なものは、本当に数える程度しかなかった。特に暇つぶし的なものに関しては、リアル世界ではほぼ全てが商業と何らかの関わりを持っている。

また、そのような世界のおいては、他者とのコミュニケーション、他者による自己の承認ですら消費の形を取らざるをえなくなる。最も典型的なのがゲームセンターの対戦ゲームだろう、他者と何らかの関わりがしたいという望みは、第三者に数百円払い、そのゲームを消費しなければ叶わない。

非消費的な他者とのコミュニケーションはありえるか

多分もし食べるだけだったり、寝るだけが「生きる」ということならば、人は、それほどあくせく働き、その得た金で消費しなくても、生きていける。

でも、人は人である以上、そのようなことだけで「生きている」ことは実感できない。必ず他者とコミュニケーションを求め、他者により自己が承認されなければ、'生きていく'ことは出来ない。

そして、人はそれゆえに必要以上に労働&消費を迫られるのだ。いい服着ていないと相手にされない。練習してゲーム上手くならないと相手にされない。同じアニメ、マンガを読んで話題を共有しないと相手にされない……そのようなことを思う心こそが、労働&消費に人々を追い込んでいく原動力なのだろう。

だとしたら、そのような労働&消費の魔力に勝つためには、やはりそうでないコミュニケーションのあり様、非消費的なコミュニケーションが、必要なのだろう。では、それは一体どのようなコミュニケーションなのか?それは、これからの宿題であるといえる。

収支報告

当初の残金
10000円
ガソリン代
400円
事故の時もらったお金
1000円
御徒町のマックで頼んだコーヒー
100円
ミニストップで食べたデカ王2.0
176円
ミニストップで買った食パン
121円
中野のマックで頼んだマックポークセット
480円
一日目の残金
9723円

お知らせ

というわけで、お金的には特に問題は無いのですが、周りに誰も知人が居ないので、精神的に(孤独感で)かなり参っています。

飲み会とか、別に飲まなくても、話をするとか、大歓迎なんで、是非誘ってください。

*1: ただ、余りに交通量が多いとトラックなどに煽られかなり怖い、それ故に間道、旧道と呼ばれるところを通るようにしたが、そうすると今度は、真っ暗な山道をひたすら一人で走ることとなり、また別の怖さが出てくる。

*2: しかし東京は救急車が多いな

この日へのコメント

- 2007/11/07 03:45
笑った。「アメ横や秋葉原を散策したけど、その殆どは店舗などの商業施設で覆い尽くされていて、非商業的なものは、本当に数える程度しかなかった。」ときた。
店舗などの商業施設で覆い尽くされたアメ横や秋葉原をわざわざ散策しておいて、「非商業的なものは、本当に数える程度しかなかった」なんてあったりまえだろう。んなことはやってみなくたってちょっと考えればわかるんである。
で、「人は人である以上、必ず他者とコミュニケーションを求め、他者により自己が承認されなければ、’生きていく’ことは出来ない。」とは。何を根拠に? 例えば分かりやすく、宗教者はどうか。人里離れ修行を積む宗教者はコミュニケーションを自ら絶っているし、他者の承認に依存したりしない。彼らは人じゃないのかな? むろん、話は宗教者に限ったことじゃない。
つまり、「人は」じゃなく、「あなたが」承認だのなんだのなしには「生きている」ことを実感できない、というだけのことだ。ただそんだけ。
「非消費的なコミュニケーションが、必要なのだろう。では、それは一体どのようなコミュニケーションなのか?」ですって? いまさらそんなこと疑問形で書きなさんなよ。見たことないのか、非消費的なコミュニケーションを。
「労働&消費」とやらを選んでわざわざ近づき、「労働&消費」とやらなしに生の実感もできず、「労働&消費」とやら以外のものに目も向けてこない。そんなんで「労働&消費の魔力に勝つためには」なんて書くくらいなら、タダの(わ、非商業だよ!)図書館で「勉強&思考」したほうがよかないかな。