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2008-07-07

[プロパガンダ批評]「個性なんかない」という馬鹿猫たちを駆除せよ!

http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080702/1214984474

吐き気がする文です。

音楽もそうなんだろうけど、美術についても実は「理系」といっていい部分が結構ありますにゃ。遠近法とか色彩理論とかいうプロとしては身につけなければ話にならにゃー理屈はほとんど理系的なアタマの使い方を必要とするし、デッサンの構図には「正解」といっていいものがありますにゃ。このあたりの基礎理論とか「正解」をシカトして、とにかく「他人と違ったこと」をやりたがるんだそうな。

「具体的に言うと、どんなふうなのかにゃ?」

「トマトを1つ、モチーフに渡したら、わざわざ「ヘタ」のところを描かない」

「へ?」

「トマトをわざわざひっくり返して描こうとする」

「そんなもん、白黒写真で撮ってもトマトとわかりにくいよにゃ」

「うん、しかも下手なので常人には何が描いてあるか理解不能」

「下手のヘタぬき」

「あいかわらずつまらんな」

ただ「トマト」を二次元に再現したいんだったらデジカメで写真撮れば良いじゃねーか。

で、なんでこういうのが増えているかという理由なんだけれど、例の「ゆとり」というよりも、「個性重視・個性賛美」なのではにゃーかという話になりましたにゃ。

「自分にはデフォルトで個性があると思っちゃっているんだね。アーティストにしろデザイナーにしろ、美術を志す者にとっては個性というのは獲得目標のはずなのだが、最初から自分に個性があるなどという戯れ言をガキのころから吹き込まれている」

「生まれつきそれぞれが持っている違いというのは、個性ではなくて【個体差】にすぎない。個体差は卑下するものでも称揚するものでもないはず。」

「個性というものは目標としてあるもの。もちろん、個性は個体差を生かしたものになるだろうことはわかる。しかし、生の資質を個性とはいわない。個性と個体差の違いがわからないのは文化とはいわない。」

じゃあ俺たちはこう言ってやんよ。「俺たちの『個性』を認めない文化なんかクソ食らえだ!」と。

「個性などというものが自分にあると思っているから、それを出すのが芸術だと思っている。基礎訓練をしようとしない。基礎訓練の重要さを説くと、「感性」だとか言い出す。どうやら、他人と比べられたくないという心理も個性という言葉が正当化してしまうらしい。個性重視というのは、少なくとも芸術系の科目にとっては害ばかりだな。」

で、その「芸術系の科目」とやらを極めた結果何があるっつーの?

よろしい、じゃあ仮にあんたらの言うように「個性」を抑圧してさぁ、あんたらが教えるようなひたすら退屈な「デッサン練習」とやらをやって、であんたらが望むような「基礎技術」とやらを身に着けたとするよ?で、それで芸大にでも合格したとしよう。


その後に、一体何があるっていうの?


どっかのデザイン事務所に就職して、で上手くクライアントに受けるような絵でも描く?いや、そもそも絵すら描けないかもしれない。就職できなくて全く自分のやりたいこととは関係ない仕事に就いたり?

何か昔どっかのマンガ家が「努力は当たり前。努力した上で、さらに運がある人間だけがプロになれる」とか言ってた。これはマンガ家のことだけど、きっと芸術全般について言えることなんだろう。いくら技術を身につけたって、殆どの人は芸術家になんかなれない。これは、芸術とやらを教えているあんたらが一番よく知っていることでしょうが。

そして、そういう風に、あんたらの言うとおりにしたって成功する確率なんかほぼゼロなことが分かっている癖して、

「そういうガキになんていってやればいいかにゃ?」

2人で考えたのが以下

  • 感性とか言っていいのは、感性の鋭い奴だけ
  • 他人と同じことができるようになってから、他人と違うことをすると言え
  • そんなに他人と比べられたくないのか?
  • そもそも君らに個性などない

とのたまう。要するに全く徒労に終わる努力を生徒に要求するわけだ。はぁ……てめぇら本当にクズ野郎だなぁ

「言ってやれよ、ガキのためだぜ」

「俺も言ってみてえよ。でも、最近のこどもは本当に脆いんだ」

あのー、馬鹿ですか?全く徒労に終わる苦労をしないのは、人間として当然のことでしょうが。それが「脆い」って……じゃあ「脆くない」人間っていうのは、センセイ様が一言おっしゃれば、それがどんなに無意味で、しかも自分にとっては苦痛を伴う、そんなことでも。嬉々として喜びながらする、そんな人間なんですか?


それ、単なるマゾ野郎にしか思えないんですが……

「個性バッシング」って、要するにゲージュツ産業における既得権益者の自己防衛でしかない

このように、全く只の馬鹿文でしかない↑の記事なわけですが、しかし、そもそも何故彼らはそういう風に「個性バッシング」をして、「個性なんてものに頼っていたら駄目になるから、もっと君たちはきちんと向上心を持って努力しなきゃ駄目だよ」ということを言うのか。

答えは単純、「そうやって努力してくれれば自分たちが儲かるから」です。

例えば↑の記事では

非常勤の美術講師

という人間が登場してきます。これはまさに一番分かりやすいタイプです。彼は、もし「個性」などというものが存在している。個性だけで十分なんだと認めたら、まさに自分の食い扶持がなくなるわけです。何とか生徒に対し、「個性だけじゃ駄目で、努力もしないと芸術は作れないんだ」と思い込ませなければ、そもそも自分の「芸術に関する技術を教える」という技術の価値がなくなってしまう。だから彼は必死になって、「個性」を否定するわけです。

そして、他の「個性バッシング記事」も大体これと同じものなんですね。個性を否定する人間は大体のところ教育者であったり、誰かを指導する立場の人間が多い。そしてさらに言えば、彼らは、そうやって「個性」を否定し、「努力」こそが第一である。努力をしない人間は偉くなってはいけないという社会の中で、実際偉くなった人間なんですね。つまり既得権益者です。そして彼らは、その既得権益、つまり「芸術」というものを独占する為に、「芸術は努力した人間しか作れないものなんですよ」とのたまって、芸術の世界に参入障壁を作るのです。

古い「芸術」、新しい「芸術」

さて、そうゆって私たちに「芸術には努力が必要なんだ」と思い込ませることによって作られる参入障壁は、では一体どうすれば壊れるのか?

答えは簡単、思い込まなければ良いだけです。

芸術の条件とは何か?それはただ一つ、他人に「これは芸術である」と思い込ませれば良いのです。もちろんここで既存の「芸術」概念に適合する作品を、努力によって技術を伸ばし、作れるようになるというのも一つの手です。ですが先ほども言ったように、既存の「芸術」概念というのは、基本的に「芸術」を既に手にした人が、その既得権益を保護する目的で構築された概念です。それを未だ権益を持たない人間、いわゆる「しろうと」がその構造のまま入手しようとするのは、敵がルールを作るゲームで敵と戦うようなもんです。もちろん、「そういう難しいゲームだから燃えるんじゃないか!」というようなマゾ野郎は勝手にそうしてれば良いですが、少なくともそれをしないからといって責められる理由など何一つも無い。

ゲームが敵のルールで行われるとしたら、ゲーム盤をひっくり返せ!。新しい「芸術」概念を作ってしまうんだ!

具体的に言うならば、まず社会に自分の作品を見せ付けることです。自分は自分が「個性」でもって描いた絵を芸術として認めてもらいたい?だったら、そのために一生懸命デッサンの勉強なんかするのは馬鹿のやること、まずその絵を、東京タワーのてっぺんからでも良いからばら撒け!自分の個性を込めた歌を聞いてほしい?なら君のすべきことは歌の練習をすることではなく、まず拡声器を買ってくることだ。自分の踊りを見てほしい!よし、今すぐ歩行者天国にでも行って、ケツでも出しながら踊れ!

とにかくまず自分を信じろ!人が何と言おうと、自分には「個性」があることを信じぬけ!そして、その自信を全力で社会に示すんだ!

そして、もう一つ重要なこと。それは、他人の「個性」もきちんと認めることだ。つまり、個性バッシングみたいな下劣なことを言う既得権益者に騙されて、「個性なんて逃げ道だ。だから『これは個性』なんて言い訳をするものを芸術とは呼ばない」なんて高二病(*1)に染まるんで無く、とにかく自分の「どんなものが好きか」という個性を貫いて、自分が芸術だと思うものを芸術と呼べ!

逆に、幾ら技術がすごくても「芸術」だと思えないものは芸術と呼ぶな!例えば僕は、写実画と呼ばれるもの一切について、「あんなもの芸術ではない」と思っている。だって、見たものをそのまま忠実に描くのなら機械でも出来るわけだからな!ヘタを書かないトマト?大いにOKだ。トマトをトマトと分からない形で描いてこそ、初めて芸術になる。逆に、トマトをそのまま描いて、「はいこれが芸術です」とか言われたら、僕だったらそんな紙びりびりと破り捨てて「ふざけるな!」と叫ぶだろう。

結局、どっちにしろ重要なのは「自分が今もっている『個性』」なのだ。「個性」さえあれば、戦い続けることは出来るし、逆に「個性」を信じられなくなったら、例えどんなに技術があろうと戦うことは出来ない。だって、「個性」がないって、結局「自分」がないってことなんだから。戦うとは、あくまで自分を守り、自分に歯向かう奴らを倒すってことだ。そうである以上、「個性=自分」の無い人間は、そもそも自分の為に戦うことが出来ないし、そうである以上、「芸術」という概念を巡る戦場で生き残ることもできないのである。

最後に

上記でさんざんぐだぐだ言ってきたことを、一枚の絵と一つの文にまとめたので載せておく。

f:id:sjs7:20080222041814p:image

諸君、これが芸術だ!

*1: というか僕はむしろ中二病だと思うんだけど、大野氏はこの前のエントリを「中二病」と読んでた(http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20080702#bookmark-9153605)から、じゃあ中二病を批判するあんたらは高二病だろって