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2007年05月29日 fujipon 社会 自分は絶対にああいう事件の被害者や遺族になるはずがない、って考えている人の意見ですね。どうして自分だけはいつも観客席にいられると確信できるのか不思議だよ。
元の記事もひどい記事だが、このコメントにははっきりいって怒り以外の何も感じない。
一体誰が観客席に居るって言うんだ?
お前も、この記事を書いたやつも、そして僕も、居るのは観客席じゃない。舞台のど真ん中なんだよ。そしてど真ん中に立ち、今人を殺そうとしているんだよ。なんてったって、死刑を執行するのは「日本国」であり、そして僕らは「日本国民」なんだからさ。
死刑に賛成という考えを持つ、そりゃああんたらの考えの自由だ。だが、その「賛成」という言葉が一体何に賛成しているのか、本気で考えたことがあるのか?
それは「人を殺すことに賛成」っていうことなんだよ。一人の人間の首に縄をかけ、その人間を絞め殺す。そういうことにお前らは賛成しているんだ。そこのところを忘れるんじゃない。
あるアニメで「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」という言葉があった。でも僕が言いたいのはそれ以前のことだ。つまり
「人を殺してもいいのは、殺す覚悟がある奴だけだ」ということ。
弁護団について。
よく「感情的には理解できないが、弁護士の職業倫理としては仕方ないのだろう」としたり顔で解説する人が居るが、そういう人は四の五の言う前にまず現実を見るべきだ。
目の前に自分が何もしなければ殺される人がいる。その人が「助けてくれぇ、俺まだ死にたくないよぉ」と涙ながらに頼み込んでくる。
僕は、何が何でもその人は助けてやろうと思う。
つまりは、そういうことなのだ。それが「今」起きている現実だ。
この日へのコメント
彼には、まるで”女教師ブログの人が「観客席があって、自分はそこにいる」と考えている・・・”ように見えたから、「観客席にでもいるつもりなのか?」と書いたのだと思いますけど。
もう今頃はおわかりかも知れませんけれど、言葉が攻撃的で危うさを感じましたので一応。