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2004-06-20


[佐世保の少女について]長崎・佐世保小6女児カッター殺人事件について(7〓2)コメント返信2

この記事は長崎・佐世保小6女児カッター殺人事件についてという特集の中の記事です。出来ればリンク先から特集の他の記事へ行って見てくれると嬉しいです。
長崎・佐世保小6女児カッター殺人事件について(7〓1)コメント返信1の続きです。

所で、僕はこれまでの記事で「いじめ」と「からかい」をあえて区別して書いているんですが、コメント欄ではその事に気付いてない人が「いじめ」という呼称をしていてた人が居ましたので、それに対してちょっと説明したいと思います。

まず最初に言っておくと、僕はあの事件の被害者の女性が、いわゆる「いじめ」をしていたとは思っていません。記事を見ている限り彼女が行っているのはあくまで社会の価値観や僕の価値観から見れば「からかい」と呼べる様なとても小さな物でしょう。そして僕が受けていた行為も、社会の価値観から見れば「からかい」なのです。

ここで重要な事が2つあります。まず第一に、「いじめ」という物は定義としてそれが「いけない」という事になっていますが、「からかい」というのは別に「いけない」と定義はされていなく、むしろ時と場合によっては推奨されるまではいかないまでも集団の潤滑油として必要とされている(というか必要)という事です。

そして第二に、例えそれが集団に必要とされる「からかい」だったとしても、それがそのからかわれる人の尊厳を傷つける場合もあるという事です。今回の事件のような「ぶりっこ」という言葉がいじめであるとは誰も思わないだろう。しかしこの言葉は彼女を本当にえらく傷つけた。ま、同じ環境を生きてれば価値観は皆同じだと考えているような人にはどう説明したって分からないだろうけどね。。。

この文の参考記事:「冷静な対応」って何だろう?酒鬼薔薇聖斗退院に思う事

だから僕は被害者にも加害者にも人と特別違う罪があるとは思っていません、彼女らは人が生きる以上必ず犯さなければいけない「罪」を犯し、そしてその贖罪をした、この事件はつまりそういうことなのだと、僕は思うのです。

さて次に「なぜあなたは加害者の立場で述べているの?」という疑問や「被害者の立場からも述べないと不公平だ!」について答えてみたいと思います。

この質問に対する回答として「いじめられていた」と答えた人が居ましたが、それは二重の意味で間違っています。まず僕は先に書いたようにいじめられてはいませんでした。そして、これは社会で生きる以上必然的な事なのですが、僕は「からかわれる」存在であると同時に「からかわれる」存在でもあったのです。だからもし「経験がある」という理由だけだったら僕は両方の立場につくはずなのです。ではそれが出来ないのは何故か?

理由の一つにはあまりに加害者を中傷した発言が多いというのも挙げられるでしょう(公のメディアで現役の弁護士が「加害者は死刑にすべきだ!」とか言う状況はやはり異常だと思う)。しかしそれはあくまで補助的な理由です。僕が加害者に強く思い入れをする主の理由は、彼女があくまで主体的な存在であったということなのです。

加害者は究極の限界まで追いつめられたとき、遂に主体的に行動を起こし、自らの手で自らの罰を受けたのです。だから私は人が何と言おうと、この行為を、この態度を、この人物を、全面的に支持せずにいられないのです。

次回は「何故僕が悪文なのか?」「この特集は誰に向かって書かれているのか?」「自我は絶対なの?」について話す予定です。ので、これらの質問をした人はもうちょっと待っていただければと思います。 http://www.2log.net/bbs/nwatch/comment.html

[佐世保の少女について]長崎・佐世保小6女児カッター殺人事件について(8)あなたが恐い

この記事は長崎・佐世保小6女児カッター殺人事件についてという特集の中の記事です。出来ればリンク先から特集の他の記事へ行って見てくれると嬉しいです。
何か事件から大分たったせいもあるのかぽつぽつと加害者視点からの意見がBLOG(そういう加害者視点からの意見を書くBLOGというのは大抵内向的だから見つけるのに苦労するんだけどさ)でも出始めてきてますね。それが何処なのかはヲチ対象になってるので言えないけれど。

しかしそんな事を言ってる間にも社会は着々と加害者を排除しようとする。。。
小6同級生殺害:二男刺された事件と「状況そっくり」毎日新聞

 何より驚いた共通点は手口が残酷、執ようで、加害者の普段の顔と行為がうまく結びつかないことだった。「また起きてはいけない事件が……」。父親(49)も二男が刺された事件と重ね合わせ、声を落とした。

(略)

 男児は補導された当時「いじめられていた」と供述したが、その後の警察や市教委の調べでは、いじめの事実は何一つ確認されなかった。両親は「本当のことを知りたい」と思い、何度か男児の状況などを尋ねたが、児童相談所は「守秘義務がある」の一点張り。今でも、地域住民の中には「いじめが原因」と思い込んでいる人も多い。

 事件から3年。中学3年になった二男は、傷跡を隠さずプールに入れるまでに回復した。だが、いまだに事件については触れたがらない。佐世保事件については「僕は(事件現場が)学校の外だったからなあ」とだけ話したという。

 加害者の家族は事件後に引っ越して、行方は分からない。母親はうわさで、加害者が施設を出たことを知ったが、その言葉には不満と不安が入り混じる。「あの時きちんと動機を調べていれば、佐世保の事件につながる『何か』が分かったかもしれない。なのに、加害者の更生ばかり優先された。反省しているのか、命の大切さを理解したのか。何も分からないまま同じ社会に生きているのが怖い」
本当に毎日新聞は一体どうしちゃったんだろう?(←と、分かっているのに皮肉を言ってみる)

この記事が契機で法改正とかが進んじゃったりするのですかねぇ?「傷害・殺人事件が起きた場合は加害者のプライバシーは被害者にとっては認められない」とかの条文が作られてさ。

7〓2の記事でも述べたけど、例えその行為が社会の価値観では「いじめ」ではなく「からかい」だったとしても、それが加害者にとってもの凄い苦痛であることには変わりないんですよ。「いじめ」だったら相手は尊厳を傷つけられるけど、「からかい」だったら傷つけられないなんて事は無いんです!何故なら「からかい」をする人の尊厳とされる人の尊厳は違うんですから。

何故被害者が沈黙してるのか、それは僕は分かりません。ただもし僕がこの事件の被害者だったとしたら、僕も沈黙するでしょう。何故ならその傷害という行為によって、僕は何らかの場面で加害者の尊厳を傷つけたことが分かっているから、何も語ることはないのです。(この文はあくまで「想像」です。)

もういい加減「通常の社会には無い『何か』」がこの様な事件を起こしているという考えは止めましょう。それぞれ尊厳が違う人間から目をそらして「この事件は『起きてはいけない事件』だ!」とか言うのも止めましょう。この様な事件を起こしているのは、通常の人間の尊厳なのです。事件を起こした彼は特別な怪物では無いんです。

あなたは「何も分からないまま同じ社会に生きているのが怖い」と言います。ではこちらも言わせてもらいますが、僕はあなたが恐いです。あなたが何を考え、どのような尊厳を持っているのかは分からないし(普段の顔や動作なんかでは絶対分からない)、例え分かったとしてもどうしようもない。社会から要請されたら僕はあなたの尊厳を傷つけます。その時もしかしたら僕はあなたに殺されるかもしれない、でも僕は必死で抵抗しますからもしかしたら返り討ちで僕があなたを殺すことになるかもしれないです。どっちにしたって誰も得なんかしないでしょう。

一応言っておくと、「あなた」というのは画面の前にいるあなたの事ですよ。 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/sasebojiken/news/20040619k0000m040164000c.html

[佐世保の少女について]長崎・佐世保小6女児カッター殺人事件について(9)動物化工場

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「個人尊厳行きすぎて、生徒が殺し合い」 平沼前経産相朝日新聞

 平沼赳夫前経産相は14日、大阪市内で開かれた亀井派所属国会議員のパーティーで講演し、教育基本法改正の必要性を強調する中で、「教育基本法では個人の尊厳が強調されている。日教組の教育とあいまって、個人の尊厳が行き過ぎて教室破壊が起こり、生徒同士が殺し合いをする荒廃した状況になってきている」と述べた。長崎県佐世保市の小6女児死亡事件を念頭に置いた発言と見られる。
このような問題発言を聞き逃すことのない朝日記者のメンタリティに感謝しつつ、ヒラヌマの言葉に怒りを覚え。

「個人尊厳の行き過ぎ」だぁ?まぁこのさい僕の【尊厳が個人を構築する】という主張はおいといても、理解できない。40人の子供達を強引に一年間一つの狭い部屋に突っ込み、そこから逃げ出す者に対しては容赦のない罵倒を浴びせ、毎月一回は冷たい体育館の床の上か汚いグラウンドに兵隊のような並びで体育座りさせ、ただ教師生活を長く勤め運が良かっただけの人の説教を何十分も聞かせ、居眠りすれば叩かれ、反論するために声を出せば叩かれ、これだけの事をしておいて一体何が「個人の尊厳」を尊重してると言うんだ!?そんな言葉、学校生活では道徳の授業でしか聞いたこともなく、しかもその後には必ず「でも周りの人にも尊厳があるんだからね」と言う、これの何処が「個人尊厳の行き過ぎ」なんだ!?

ヒラヌマらが考えている「教育基本法改正」の具体的内容を僕は知らない。でもこの発言をみるにそれは明らかに「教育基本法改悪」だろう。今のあの「社会人養成」学校以上に悪い学校というと僕には「動物化」学校しかない。つまり尊厳の発露を抑えるだけでは飽きたらず、思考そのものを停止させる学校、社会に役に立つ動物に子供という人間を変えようとする学校のことである。当然その様な学校の教育方法は刑務所と殆ど変わらない(というか下手に子供達には先生達の教育に反論する力が無い分、この学校の方が酷い物となるかもしれない)。

勿論そんな学校が出来たってヒラヌマらが望む様な卒業生が出来るわけがない、おそらくその改悪によって出来るのは、大量の学校からのドロップアウト者と、それによる高度な技術をもった人間の減少。学生の自殺率の著しい上昇。確かに学校内での犯罪は減るでしょうが(刑務所内で犯罪する馬鹿は居ない)、学校外での犯罪はその減少分以上増えるでしょう。そうなったら選択肢は2つしかありません。「動物化」学校の方針を止めるか、日本全体を「動物化」学校、つまり簡単に言うとファシズム国家にする事です。

しかしよく考えてみるとみんな本当はファシズム国家を望んでいるのかな?と今回の事件に対する「常識人」の反応を見ていると思ってしまう。みんな他人が恐い社会は嫌みたいだからね、他人を無条件に信用できる社会なんてファシズムでしか達成しようが無いわけで、そう考えるとBLOGの反応は素直じゃないなぁ。

しかしそんな事言ってる僕も実はある部分では「そういうのもありかな」とか思ってしまう。といっても別に本気でファシズム国家になって欲しいと思っているわけじゃない、要するにファシズム国家になる前段階で起こる社会の荒廃が今「社会人」の中で抑えられている自我を解き放ってくれるんじゃないかなーという、根拠の全くない妄想が頭に浮かぶからなんです。

多分、現在の社会だって十分最悪ですから、これがより悪くなろうがもうどうでもいいや何ていうシニミズムがそんな妄想を見せているのでしょうね。とにかく僕は、このような人達の元で出来た新しい教育基本法が施行されても、それには絶対従わないと決意しました。 http://www.asahi.com/special/sasebo/TKY200406140251.html