Rir6アーカイブ

2004-08-06


[旧NWatch]責任論

私は私のすること*1全てに責任を持とう。だが、それはあくまで「自己」が持つ「自己」に対しての責任だ、決してそれは「他者」に対しての責任ではない!

最近僕は良く「自分の言った言葉に対して責任を持て」と言われる。それは当たり前のことだよなぁ、と思って僕は聞いてたのだが、聞いているとどうもその台詞の中の「責任」という言葉の意味がその台詞を発している人と僕の間で違うことに気づいた*2。何故なら彼はその言葉と共に何らかのアクションを求めていたからだ。彼が求めるアクションは様々で、例えば「向けられた批判に対しきちんと説明しろ」とかいうのもあったし、「被害者の事を考え、謝罪しろ」とかいうのもあった。だがどちらの場合も「責任を取る」=「他人に対し何らかのアクションを起こす」という意味で言葉を使っているのは明らかだったのだ。

きっと彼らが使っている「責任」という言葉は、僕の記号で表せば「他者が自分の行為によって受ける損害の事を妄想する」という事なのだと思う。そして「責任を取る」というのは「その他者が受けた損害を補填する」という事。全く馬鹿げた事だ。その行為が一体何になるというのだろう?「他者にそのように損失を補填すれば、自己が同じように損害を他者によって受けた時その他者が補填してくれる」だ?大きなお世話だ。自分が受けた損害ぐらい自分で補填するさ、その損害を与えた他者を批判してね。

つまり、責任なんて物は結局自分が解決するしかないのだ、他者は一切関係ない。私が「責任を取らねばならない」時は他者が私の行動を知覚したときではなく、私が私の行動を行ったときなのである。

確かに私は自分の文章に対し責任を持つ、だがそれは「私の意志と私の文章が相反している場合、私の文章を私の意志に沿うよう直す」という様な意味なのであり、「私の文章が他者に何か損害を与えないか気を遣う」という意味ではない。*3

そして僕は自分の受けた批判に対して責任を持たなければならない、だがそれは僕が批判だと思う物に対して責任を持たなければいけないということであって、世間的に批判だと認識されるものであっても、僕が批判だと思えない物には対して責任を持たなければならないという事ではないのだ。

じゃ、そういう事で。

*1)その中にはもちろん「見ること」も含まれるし「聞くこと」も含まれる
*2)というか他者と自己の間で言葉の定義が同じなんて事態は本当はあり得なく、普段はただ私の言葉の定義とあなたの言葉の定義が同じだと妄想してるだけなんだけどね。
*3)こう書くと「ではあなたの文章があなたの意志と反して相手に伝わったらそれを直すのも"責任"なのですか?」と聞く人が居るかもしれないので付け加えておくが、確かにもし僕の意志の中に「僕の文章を他人に伝えるにあたって曲解されないようにしたい」というのがあればその様になるかも知れないが、そのような意志が無ければ別に僕が僕の文章を見て誤解しなければそれで良いのである。