Rir6アーカイブ

2005-05-20


[教育]カガク系

http://www.otsune.com/diary/2005/05/15/2.html#200505152

まぁ、確かにこの理系白書ブログに付けられたコメントみたいな科学批判っていうのはどうかと思うのだが、しかし一方で僕を含む頭の悪い人達にとっては、科学と宗教のあいだにどれほどの差があるものかと言われると答えることが出来ないのもまた事実。そりゃ確かに科学が完全ではないことを自ら証明できたのは科学そのものなのだけれど、でもはっきり言って、僕は「ISBN:4796614672:title」の物理学関係の所は全くどちらが正しいのか分からなかった訳で(*1)、物理学関係のところの文は判断停止するしかなかったんですね(*2)。

多分、彼らの見ている科学と僕の見ている科学は、違う科学なんです。彼らが見ている科学が「科学」だとしたら、僕の見ている科学は「カガク」なんだと思う。(*3)

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ゲーム脳とアンチゲーム脳

例えば最近(*4)ネット上では「斎藤環氏に聞く ゲーム脳の恐怖」のGoogleランクを上げよう運動なんてものが流行っていた訳です。しかしこの運動によりGoogleランクが上がり、今現在[google:ゲーム脳]で一位になっているhttp://www.tv-game.com/column/clbr05/ですが、この文を"理解して"リンクを貼っている人がどれだけ居るのか?

たとえば「ゲーム脳の恐怖」(森昭雄 著、生活人新書、2002年)と呼ばれる新書がありましたが、その内容が持つトンデモ科学性を暴くムーブメントというのが、ゲームを支持する世代を中心にネットで起こりましたよね。精神分析医の斎藤環氏による脳科学的にきっちり批判した文章*6というのがネット上にあって、これに皆でリンクを張ることで、検索エンジンの検索結果で当の本の紹介ページよりも上位に来るようにしようという運動*7で、みんな盛り上がって参加していました。しかし、たぶんあそこに参加した人の99%は、批判の内実をわかっていないと思うんですよ、それはつまり非常に専門的なことなので、相当に勉強した人じゃないとわからない

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もちろん極々一部にはもうしっかりこの内容について勉強して、図書館に行って脳波に関する本も沢山読んで、それで「やっぱりゲーム脳は間違っていた!」と考えてこの運動に参加した人も居るでしょう。または「この程度の脳波の知識なんか常識の範囲内でしょ?」と思う人も居るでしょう。しかしそういう、図書館に沢山行く暇がある活動的なニート(*5)でもなく、また理系でもない人にとってはやっぱきちんと批判的視点からこの文を読むっていうのはかなり難しいというか無理だと思うのです。

マイナスイオンって何だっけ

ではどうすれば良いのか?「理科的教育をもっとしなきゃ駄目だ!ゆとり教育反対!」という解決方法も確かにあるでしょう。例えば上記のコメントがあった理系白書ブログの本体であるhttp://www.mainichi-msn.co.jp/kagaku/rikei/でも最近「文理分け教育を問う」という特集で「高校の文理分けを無くして、文系の人にも理系の授業を受けさせよう」というような感じのことを言っています。しかし僕はそのような主張にはどうも賛成出来ないんですね。その理由の一つには、僕が現役の学生でゆとり教育のゆとりを最大限に享受している人間だから:-)というのももちろんあると思うのですが、しかしそれ以上に僕は、今の社会で理科的な初等教育を受ける動機付けがあるのかどうか疑問なのです。僕は「初等教育に動機付けなど必要ない。とにかく体に叩き込めばいいんだ!」という思想にはどうしても嫌悪感を覚えます(*6)し、第一そんな思想は非現実的です。ですから、教育について考えるときは、必ず「その教育を受ける生徒にとってどんな動機付けが出来るか?」を考えなきゃ駄目でしょう。

では理科的な初等教育にはどんな動機付けがあったかと考えてみると……これが全く無いんですね。例えばよく理科的な初等教育の必要性を主張するときに例に出されるのはマイナスイオン問題です。つまり、中学の理科の義務教育ではもはや授業料削減によりマイナスイオンは扱えなくなった。だからマイナスイオンなんて馬鹿らしいものに騙される人が多くなったのだと、そういう主張です。

しかし本当にそうなのでしょうか?実は僕の中学時代の理科の教師もそういう考えを持ってたみたいで、少ない授業時間で無理矢理イオンを学習させられ。さらに高校でも化学の時間に「イオン」(*7)を学んだはずなのですが、何も覚えていません。それは一つには受験で必要無いというのもありますが、何よりもまずつまらないし、覚えてそれが自分の中でどのように生かせるのかが全く分からなかったのです。何故なら、現在の科学は、その体系が余りに巨大化しているが為に、自分の人生を懸けてそれに打ち込もうと思わない限り全体像は把握できません。そして、全体像が把握出来ない以上、多くの人にとって科学は「科学」ではなく「カガク」として認識されてしまうからなのです。

「カガク」の時代

科学体系は近代以降とても巨大になりましたし、また、なり続けています。しかしそれに対して人間の能力は4万年ぐらい前からあまり変わってない、つまり、体系を構築する為の領域は変わってないのです。その為、一部の天才以外にとっては自らの頭の中に科学体系を収めることは不可能になっています。これは多くの人も納得してくれることでしょう。しかしそれでも「科学体系の全てを理解する必要はない。初歩的な常識さえ覚えてくれれば良いんだ」と言う人が居るかもしれません。だが科学体系の全てとは言わずとも、少なくとも輪郭を認識することは、科学を意味あるもの(*8)として認識する為には絶対に必要なんです。

けれどそれはもはや不可能、となると、科学にはもはや意味は存在し得ず(*9)、それ故にそれを学ぼうとする動機付けも存在し得なくなる訳です。もちろんそれでもそれこそオタク的にカガクに関わる(*10)人は居るでしょうが、それは決して教養とは成り得ないのです。(*11)

科学は必要か?

では私達は一体どのような態度で科学と接すれば良いのか?確かに疑似科学は絶対に信じてはいけません。しかし科学的知識がそんなに無い多くの人にとってはどれが疑似科学でどれが科学かは区別を付けるのが殆ど無理です。では信頼のおける人々に判定して貰う?でもその信頼のおける人々を選ぶにも科学的知識は絶対に必要なんです。あの「ゲーム脳の恐怖」を書いた人が教授であることからも分かる様に権威による区別は出来ないのですから。

しかしここで問題なのが「何故人々は疑似科学を求めるのか?」ということです。例えばマイナスイオンにしたって、僕は確かにあれが本当に体に良いのか悪いのか分かりませんが、しかしだからといってじゃあ僕はマイナスイオンを出す商品を一杯買ってるかというと、そんなことは無いんですね。だって別にマイナスイオンなんか無くても今僕はある程度幸福に生きてるし、別に何か疲れが極度に貯まってるとかそういうことは無いからです。つまり、必要が無ければ別にそんな疑似科学的な商品は要らないんですよ。「ゲーム脳の恐怖」にしたって、僕はそれが正しいのか正しくないのか分かりませんが、だからといってゲームするのを止める訳ではない。「ゲーム脳は恐ろしい」というのも「『ゲーム脳の恐怖』はトンデモだ!」というのも僕にはどうでも良い事なんですね。だって今僕はゲームをしてるけど何ともないんだから。別にこの先その影響でどうなろうが、それはその時考えれば良いんです。

よく考えてみると、私達の生活の中で今以上便利になって欲しい技術が存在するかといえば、そんなもの無いんですね。もはや私達は物質的にはある程度満足している訳です。その理由はまさに「『未知への邁進』の終焉」にある訳ですが、まぁとにかくもはや私達は今以上の科学が自分たちを幸せにしてくれるとは全然思ってない訳です。

もちろんこれはあくまで先進国の人達の話で、発展途上国の人々はまだ科学に希望を持っているでしょう、ですがそういう人達の水準ならまだ科学体系もそんなに肥大していないでしょうから、それを自らのものとすることもそんなに無理ではないでしょう。

また、例え先進国であっても、何か不治の病とかに掛かることによって急に不幸になるかも知れません。しかしそのような極限状態ならきっと常人以上のパワーが出るでしょうから、再教育のチャンスさえあれば肥大化した科学体系でも簡単に自分の物にすることが可能でしょうし、そういう人の為に、大人になっても学べる科学教育を行うというのなら僕は納得できます。

しかしそれはあくまで例外的な話であって、この日本みたいな先進国に生きる人々にとってはもはや科学はそんなに必要の無いものなのです。とすれば、下手に中途半端に「科学というのは人を幸福にしてくれる」なんて幻想を埋め込んで疑似科学へと人を誘い込むよりは、いっそのこと「科学なんて関わらなくても大丈夫」と言ったほうが良い様な気がする。これは別に「科学よりもっと大事なものがある!」とかそういう宗教的なことではなくて、単純に「科学は確かに凄いんだろうけどそれを学ぶのは面倒だ」とかそんな感じのことです。

でも、そんなこと言ったら新聞自体必要なくなっちゃうよなぁ……だって「○○で飛行機が墜落した」とかそんな情報は全く自分の周りには関係ないし。そう考えると新聞としてはこの科学志向は手放せないのは当たり前なのかも。

[情報社会論]「危機管理」と「言論の自由」の間で―僕ははてなを支持します

確かに「危機管理」は重要、これは僕も認めます。しかしあまりに「危機管理」を徹底すれば、それはつまり「何も出来ないのが一番良い」ということになってしまう訳で、BLOGや掲示板などの場合で言うならば、「危機管理」と「言論の自由」の間でどうやってバランスを取るかということになるのだろう。まぁこのバランスはなかなか微妙なものなんだけど、でも↓の様なid:plummetやisaの同時代フィールド・ノートの主張は、やっぱり「危機管理」を重く取りすぎていて、「言論の自由」を軽く取っていると思う。

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世界の中心で左右をヲチするノケモノ - 「はてな」に巣喰うもの(id:plummet:20050519:p2)より

 [isaの同時代フィールド・ノート]を巡回先に入れている人はそこそこいると思うのだが(俺も個人的に読む*1)、そこでこんなエントリーを発見した。範囲が大きいが、ここで話を進めるために必要ということで長文引用させていただく。

 ストレスにはムチャクチャ弱い方で、ただでさえ九州の両親が二人とも入院したりのトラブル続きで精神が不安定になっているところに持ってきて、私への悪質なネットストーカーに拠点を提供している「はてな」がまたメールでワケのわからないことを言ってきた。昨日はこれでもう、すっかりやる気が失せ、つい「ネット」からの「さよなら」宣言をしてしまった。ご心配をおかけしました。

「はてな」との闘いについては決着がつきしだいメールを公開するなどして詳細を報告するつもりでいるけれど、とにかく、企業姿勢として「ユルい」ところはストーカーの拠点になりやすく、事実、なっている。私個人を名指しで特定しておいて“今回は住所等を押さえるだけで手荒なまねはしないでおく”などと書き込むのは明らかに恐喝であり、「はてな」としてはサイトの即時閉鎖などの強硬手段に打って出るのが当然だろう。ところが申し出があってから7日間は「日記作者様」に通知して様子を見るのだと。つまり最低7日間、私への恐喝は野放しにされるわけだ。で、7日経ってそのままなら「はてな」が削除、それで抗議が来なければ「日記作者様」も処分に納得したものと見なし、これをもって「日記作者様」は善良な人間だと認定するのだと。「はてな」の企業としての姿勢がこんなだから「日記作者様」もつけあがり、また恐喝を繰り返す。こちらから再度通報すると、「はてな」はまた7日待てと言う。犯罪者に犯罪の場所を提供し続けることは共犯にあたる可能性があると指摘しても、「当社はそう認識してはおりません」。

http://plaza.rakuten.co.jp/isanotiratira/diary/200505180001/

(略)

 それに対しての「はてな」の対応にぶち切れたのか、引用エントリーのさらに次のエントリーで、はてなから送られてきたとおぼしきメールを転載されている。

諌山様

はてなスタッフの田中と申します。

ご連絡いただきまして、有難うございます。

これまでに諌山様からの削除申立を頂きました、諌山様の氏名を掲載したコメントの箇所については既に削除が行われており、当該情報を掲載したコメント作者様に関する情報(IPアドレス)は既に諌山様に開示を行わせて頂いていると、弊社では認識しております。

弊社としましては、プライバシー侵害行為が行われた場合には、権利侵害情報の削除や、権利侵害行為を行った投稿者の発信者情報開示、違反行為者への警告・退会処理等を行っておりますが、今回の件では、現状でご依頼頂いた日記作者様の退会処理を行う必要はないと考えています。

諌山様が日記作者様とコメント作者様が同一人物であるとされる理由などがありましたらお教え頂けないでしょうか。

どうぞ宜しくお願いいたします。

 引用に際し、読みやすく適宜改行した。

 諫山氏のプライバシー侵害となった「コメント」があり、それはすでに削除はされている。そのコメンター*2が、「当該日記作者と同一人物(isa氏)」か、「当該日記作者と同一人とは認定(判定)できない(はてな)」という立場の違いが事態を複雑化しているようである。

 isa氏の立場は最初の引用文の内容から判断できる。氏は「日記」を対象に話をしており、その筆者を抗議対象としているのが明白。

 ところがはてな側は、「当該コメント」のみを対象としており、この両者の立場の違いが、食い違いを絶望的な方向へ導いてしまっている。

 ……はてな側が、その辺を読み取って対応すりゃ済むだけの話じゃねーか。はてなは「伝達者」とかそういう以前に「受け取ること」も「説明すること」も下手くそなんじゃね?

巣喰うものよ、汝の名は

 はてな、極左、プライバシー侵害……

 まさか、ヤツなのではないか。

 ヤツならやりかねない。あの卑劣さ。下品さ。

 そう、ヤツの名は……ピンポンダッシャー。

http://d.hatena.ne.jp/./claw/20050127#p1 (記事とコメント欄参照)

ということなんだが……全く訳が分からない。

誤読を覚悟であえて整理すると、ようするにこの「isaの同時代フィールド・ノート」の本名がid:claw:20050127#p1のコメント欄にあって、でそのコメントには「今回は住所等を押さえるだけで手荒なまねはしないでおく」と書かれてあった(id:plummet氏が憶測でid:claw:20050127#p1を提示した訳が無いと思うから、きっとそのように書かれていたのを見たんだろう。)で、実はそのコメントがclawの名においてコメント欄に投稿されていた(しかしid:claw氏はログインしてコメントを書き込まないから、騙る方法はいくらでもある訳で、何でプロパイダーに照会してないのに当該日記作者と同一人物と言えるんだろう?)ことから、isaの同時代フィールド・ノートの管理人はその日記の削除を要請したと、そしてid:plummet氏はそれに賛同し、「はてなはid:claw氏の日記を削除すべきだ!」と、そういうことなのかな。

うーん、やっぱり訳が分からない。コメント欄のclawとid:clawが同じだということは分からないはずだし、第一そんなに恐喝か嫌なのなら何でその開示したIPアドレスを持って警察に行ったり、そのIPアドレスのプロバイダに情報開示の訴えを起こさないのか?例えば、もし僕の日記に「rir6」の名を騙ってその日記で話題にしている人の個人情報を書き込まれたら、僕は日記を削除されちゃうのか?そんなことが許されたら、嫌な奴の日記を削除させるのは極めて簡単になってしまうではないか、まぁ、「isaの同時代フィールド・ノート」の管理人ははてなに居ないからどうでも良いのかもしれないが、id:plummet氏も本当にそんなはてなになって欲しいのだろうか?

大体、この「isaの同時代フィールド・ノート」の管理人は結婚改姓を考える会なんて市民団体にも入ってる訳で、ネット上だけでなくリアルでも活動しているのに何で個人情報を隠すなんて事が出来るのか?分からない。

まぁその問題は抜きにしても、はてなが行ったことは法的・公衆道徳的にも妥当だろう。とにかくそんなに個人情報を書き込まれるのが嫌だったら、早急に警察や裁判所などの公権力に駆け込むべきだ。それは決して恥ずかしい事ではない。逆に、このようにはてなみたいな私企業に、私人が公権力を介せずに直接圧力を掛けることの方が、僕は危険だと思う(ウェディング問題なんてのもあったし">*12)。

……という風に書いてたら、isaの同時代フィールド・ノートにまた新たな記事が書き込まれているのを知る。

「はてな」メールのバカさ加減と根本的な問題

 昨日の「はてな」からのメールがどれ程バカげているか、炯眼な読者なら、一読されただけで気付いたことと思う。確かに、コメント欄の筆者のIPアドレスを私は受け取った。これは事実である。ところが「日記作者様」のアドレスについては、私からの再三の要求にもかかわらず「はてな」は開示していない。これでは「日記作者様とコメント作者様が同一人物であるとされる理由」など示せるはずがない。

だから、別に「コメント作者」と「日記作者」が同一であることを証明しなくても、「コメント作者」を警察に告訴するならすればその恐喝は止められるんだから良いじゃん。

 これは最もバカな例ではあるが、根本的な問題ではない。最も根本的なのは、このような犯罪者(集団)に個人攻撃の場を提供し続けている「はてな」の姿勢なのだ。

どっかで聞いたことがある様な……

 あるストーカーが自分の日記に私の日記のアドレスを書き込む。もちろん、これ自体は違法ではない。ところが、そこへ阿吽の呼吸で私の個人情報と恐喝コメントが書き込まれる。これは明らかな違法である。それを発見した私は「はてな」へ通報する。7日間待たされ、その間、恐喝は続く。で、7日経って最初の恐喝コメントは削除されるのだが、もとの日記そのものが生き残っているものだから、また阿吽の呼吸で別の恐喝コメントが書き込まれるのである。

そりゃあ、元を断っていない(=コメント作者を罰していない)んだから、例え日記があっても無くても恐喝らしきもの(*13)は続けられるでしょう。日記が残っているからじゃありません。「コメント作者」が野放しだからです。

 よく考えて欲しい。この場合、「日記作者様」と「コメント作者様」が「同一人物」かどうかに一体どれほどの意味があるのか? 「はてな」が前提するようにこの二人が別人だとして、面識さえなかったとして、恐喝される私になんの意味があるというのか。

いや面識さえ無い別人のせいで日記を削除される人が居たら、それはあまりに可哀想というか言論の自由の侵害だろう。あなたに意味が無くても社会的にはとても意味のあることですよ:-)

 しかも私への恐喝「日記」は「はてな」内に複数存在する。5月18日付の「はてな」からのメールは数ヶ月前に削除した「コメント」についてのものであり、つい最近見つけた同様の「コメント」についてはまだ手つかずで残されているはずである。おまけにもっとひどい「著作権」侵害「日記」については未だ野放しなのである。

そりゃ向こうも暇じゃないからねぇ。

 いったいここは日本か?

少なくとも、何の理由もなくいきなり掲示板での発言を削除されてしまう某人口13億人の国では無いことは確かです。

 このやりとりだけで「はてな」がロクな会社じゃないと言うことはわかったでしょう。「りそな銀行 渋谷西支店」よ、悪いことは言わない、すぐに「はてな」との取引を停止しなさい。危ない会社を見分けるのがこれからのリスク管理ではないのかね。

 この「同時代フィールド・ノート」の読者数など知れているが、この件に関しては著作権を留保するので、ネット上の人権問題に関心のある方は拙文をあちこちに貼り込んで「はてな」の脳天気ぶりを暴露して欲しい。これで「はてな」が「ユルい」会社だと知れ渡り、しかも抜本的で厳しい対策をとらなければ、そのうち「はてな」は犯罪者の巣窟と化すだろう。もともと「日記」にはそのような「リスク」がつきまとうのだが、「はてな」はこの危機意識を決定的に欠いている。

 だから悪いことは言わない、「りそな銀行 渋谷西支店」よ、すぐに「はてな」から手を引くことだ。

……言論の自由が侵害されるのも、「危機管理」が口実なんだよなぁ()。

やっぱり僕はこの件に関してははてなの措置は正しいと思う。ていうかこれさえ許されなくなったら、それこそ韓国ではないが住民登録番号を入れなければコメントを書き込むことも出来ないなんてことになってしまう気がする。まぁ、別に僕はそれでも良いんですけどね……


*1: 一応最低限このBLOGの信用の為に言うと、陰謀論関係の所のトンデモさは分かりました。

*2: つまり、信じる訳でもないし、信じない訳でもないということ

*3: 漢字とカタカナ・ひらがなのニュアンスの違いは、id:rir6:20050516:homeの「漢字というものは……」を参照

*4: もう最近は流行らなくなったかな?

*5: 何か語義矛盾を起こしている気もするが……

*6: そういう思想が民主主義の何より一番の敵だと思う

*7: 高校の化学は受験には使わなくても必修

*8: つまり「科学」

*9: =「カガク」

*10: =萌える

*11: 現代のオタクには教養概念はありません。

*12: ウェディング問題なんてのもあったし

*13: 一応言っておくと、裁判官でもない以上、それが本当に恐喝かどうかは分からない