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2005-06-13


[異論]倫理としての法、ツールとしてのルール

http://d.hatena.ne.jp/tragedy/20050610/p1

車掌がやってきて私の正面に座っていた若造と話を始めた。

いわく、「ここはシルバーシートなので携帯メールを使うのはやめてくれ、使うなら普通の席へ行ってくれ」とのことで、注意された若造もおとなしく従って普通座席へ座りなおした。

ここからが問題で、ガラガラのシルバーシートと違って普通座席はそこそこ埋まっており、間の悪いことに若造が座りなおした席の両隣には、ハイキングに行くと思しき老人の集団と、顔色の悪そうなサラリーマンの姿。その中でピコピコと携帯にいそしむ若造。もうね、椅子からずり落ちそうになりましたよ。老人ののペースメーカーが狂ってその場でおっ死んだら面白いなーなんて不謹慎なことを考えて、一人でヘラヘラしてしまいました。

完全に「シルバーシートで携帯を使っては駄目」というルールが形骸化している。とある目的を不特定多数に守らせるために管理者はルールを作るわけだけれど、時間の経過とともにいつの間にか目的が忘れ去られ、ルールを遵守することがルールになってくる、と。こういう現象はどこでも見られるものだけれど、ここまで短い時間にその本質を見せてくれた事例には初めて出会った。しかし素人が言うならともかく、ルールを作った側の車掌までもがこの有様というのはなんだかねえ。いい加減なもんです。

というけれど、でもルールって大体そんなもんでしょ。

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正当性が既に確保されているものとしての「私企業」

まぁ確かに「シルバーシートで携帯を使っては駄目」というのが法であったならば、法を行使する国家はその「国民万人の(後からの)信任により国家権力は正当化される」という性格上、絶対にルールによって支配される万人(*1)の同意を得ようとしなければならないのだから、法の目的と使用例が乖離するのは防がなければならない(故に法律にはまず最初にその法律の目的が書いてあるんですな)というのは通用するんだろうけどう。

しかし私企業の場合(*2)は、別に嫌だったんならそこを使わなければ良いだけの話なのだから、「その利用者がその私企業を(自発的に)選んだ」以上私企業の権力の正当性はルールを行使する前に担保されているのだから、そんなにルールに対し目的との一体を要求しなくても良いと思う。というむしろ私企業がそのようなことを要求し始めちゃったら、ルールの規定とそのルールの目的が適合しているかどうか常にそのルールを使う人々に考えさせなきゃならないわけだけど、そんなややこしいことを一々やってても意味が無いどころか効率が落ちるという点で企業にとっては害悪になるわけで、(もちろんこれはあくまで私企業での話なのだが)そういう風な「ルール」に対し目的との合理性を考えるのは本社のルール制定課(仮称)(*3)を通して行えば十分なのであって(何故そのような課が必要かといえば、そのような機関がないと人がこの会社を選ばないようになり(*4)、結果権力を行使しようにもその権力を行使する場そのものがなくなってしまうからだ。)、別にそのルールを実際に行使する側はそんなに一々「このルールって本当に正しいのだろうか?」という風に過敏になる必要はないと思う。もちろんそれもある程度の限度があって、例えば「仕事現場を見られたら殺せ」なんてルールは、絶対に否定すべきなのだけど、でもそれにしたって別に「そのルールが目的合理性に反しているから」そのルールを否定しているのではなく、ただ単純に「己が良心に反するから」(*5)否定しているのであって、やはり私企業のルールにおいては、そのルールを実際に行使する側は、ルールの目的合理性を一々審査しなくても良いと僕は思うのだ。

消費者の目的自由性の確保

そしてそのことはまた、消費者の側にとっても結構重要なことだと思うのだ。例えばもし私企業が自分たちのルールにそのルールの目的を書いて、その目的に反してることならば例えルールによって具体的に禁止されなくても認められるという風に書いてあるなら、消費者はその私企業を選択するとき、そのルールを守るだけでなくそのルールの目的と自分の行動基準を合致させるというとも選択してしまう様になってしまうのです。具体的に言えば、例えば「シルバーシートにはお年寄りを優先するべき」とルールに書かれているとき、その企業の消費者はそのルールを守ることは要求されますが、しかしそれ以外は要求されないわけです。ところがもしそのルールにお年寄りを敬わねばならないという風に、ルールの目的を守ることすらルールにしてしまえば、その企業を選択するときは、例え自分がそのような考え方を持ってなくても、「お年寄りを敬わねばならない」という風に自らの行動倫理を変えなければならなくなる(*6)のです(「行動基準」と「良心」は違うものであることに注意。良心の自由は例え法権力を持つ国家であってももちろん認められています。しかし「行動基準」は別に自分が本当に良いと思うものではなく、自分の良心と、周りの状況を戦略的に考慮して作られるものであって、そしてそれは自己の中だけで完結するものではなく、社会的動物である人間の「行動」である以上、綿密に正当性を得ている法権力は他者の兼ね合いの為にある程度の規制をするものなのです。)わけで、しかしその様な拘束は企業側にとっても前項で言った様に無駄ですし、消費者側にとっても、自らの行動基準を変えることは(それが良心とは関係ない戦略的なことだったとしても)とても面倒なわけで、ただ単純に「○○という行為をしてはいけない」という方が一々考えなくても良いので面倒ではない訳です。もちろんこれは倫理的に考えればまぁ好ましくない自体なのですが、しかし日常生活全てにおいて倫理的であることは、確かに最善の状況ではあるが、しかし現実的には殆どの人には不可能なわけで、選択の場面においては倫理的であるべきだけど、その選択後においては、選択した内容と現在行っている(行われてる)内容が異ならない限りは倫理的である必要はないと、僕は思うのです。(*7)

「合ルール的ハッキング」の可能性

さらにまたこのようなシステムは、それが運営されていくに従って、私たちにある可能性を示しました。

例えば本屋を想像してみましょう。本屋においては「その本がどんな内容か確認する」という目的において、立ち読みの自由が認められているわけです。しかし現実的にはそのような目的には反する、「買わずに本の内容を知っておく」という様な理由でもって立ち読みをする人も大勢居る(*8)訳です。このような人達は、確かに「その本がどんな内容か確認する」という目的には反しますが、しかし決してルール自体は犯していない訳で、彼らには慣習的に「本の内容を理解する為に立ち読みをする自由」を得ているわけです。(*9)このような行為は、ルールには違反していないが、しかし私企業の意図とは違うと言う点で「合ルール的ハッキング」と言えるでしょう。このような行為の自由は、確かに理論的には認められていない(*10)ですが、しかし慣習的には認められているのです。これを無視して、いきなり「ルールというものはその目的も含む。合ルール的ハッキングは禁止する!」と宣言することはいくらなんでも乱暴でしょう。(*11)

確かに「シルバーシートで携帯を使ってはいけない」というルールを、「携帯を近くで使われるとペースメーカーが誤作動するから」(これだって怪しいものなんですけどねぇ。[google:ペースメーカー 都市伝説]参照)という目的で使う、「合ルール的ハッキング」を行っている人が居るというのはなかなか想像し難いです。しかしだからといって「想像できない」と「居ない」は違いますし、そのようなことをわざわざ綿密に考えるのは非効率なわけです。よって企業側はそのような「合ルール的ハッキング」の自由を黙認しますし、また消費者側も「合ルール的ハッキング」の可能性が与えられるという点で良いのです。

まとめ

まぁ、それでもこのような場面に対しては、「老人の近くで携帯を使わないと言うのは、全ての人が守るべきことだ」という風に、人々の行動基準全体の問題から色々と文句を付けられる余地はあるのですが(*12)、しかしあくまで企業が定めるルールとして考えた場合、今回鉄道会社が取った手法は正しいと思うし、僕も賛同します(*13)。


*1: 要するに「国民」

*2: まぁこの場合鉄道会社は公共交通機関という性格を持っているから微妙なんだけど

*3: どこがルールを考えているのかわからないからこう呼びました

*4: 客が減るということ

*5: まぁこれは深く考えれば難しい問題なんだけどさ

*6: その行動基準が正当かどうかは別にして

*7: もっとも、これが国家において行われれば、それこそアーレントなどが指摘する様に人間を「道具」としてしまうわけで、絶対にあってはならない(よって今までのことは国家公務員には全く通用しない)のだが、しかしだからといって私たちはギリシャの市民達の様にずーっと話し合いに明け暮れることは(「奴隷」を容認し得ない以上)不可能な訳で、私たちが「人間」である時と「道具」である時、この二つに対しどこかで境界線を引かなきゃ駄目だろう

*8: 「そんなに大した内容じゃないだろうけど世間で話題になっていて、知っていないと他人の話が分からない本」っていうのは結構沢山ある。ま、僕の場合「他人の話」を聞く場ってのは殆どネットなんですが……

*9: ま、最近はビニールの包装紙で包んで、全ての立ち読みを禁止する様なところも増えていますが……

*10: 「禁止されている」わけではない、そもそも「認知されていない」のだ。

*11: ISBN:4309243088:titleもあんまり関係ないけど参照

*12: でも僕はペースメーカー誤作動は都市伝説だと思ってるからやっぱりそのような形で付けられる文句も(もしあったとしても)間違いだと思います。

*13: 僕は「一々考えなくても良い」という利点よりかは、「合ルール的ハッキング」の可能性が残されているという点において賛同するんだけど