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2005-06-16


[異論]落書き問題

http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20050614/1118735780

何かコメント・Trackback欄で議論が白熱してるんだけど、その議論が錯綜していて全然まとまっていない気がするのでちょっと僕なりにまとめてみる。

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1.芸術性

まず「芸術性」についてだけれど、一番最初に「芸術性」なんて曖昧な言葉を出したのは河北新報の記事ですよね?(つまり「芸術性」を重要視しているのは河北新報の記事)で、それに対してid:using_pleasure氏は「"芸術性云々を言うんだったら"芸術性を低下させたのは取り締まる人間の方だ」と言うことで、河北新報の記事の語りを、その記事を書いている人の立場を忠実に遂行することによって、その立場と語りの矛盾を示している訳です。

要するに、id:using_pleasure氏は本当は「芸術性」なんて余り信じていないんだけれど、河北新報の記事を批判する為に敢えて「芸術性」を信じる態度を取ったのだと思うのです。よって「芸術性」の部分は河北新報の記事を批判するその場面においてのみ有効な言葉であって、落書き(グラフィティ)自体の是非を考える時には全く関係がないのです。ですから

>a

>id:kyoumoe(id:kyoumoe:20050615:1118792089)

>そんなに芸術性が高いなら……

>そうだ。using_pleasureさんの家……

>mo

>すがり

>まめもと

のコメント・Trackbackは全くの的外れと言って良いでしょう。

2.価値評価システム

ではid:using_pleasure氏はどうして落書き(グラフィティ)を擁護しているのか?そのことを考えるには、今回問題となっている記事よりはむしろ「グラフィティの社怪学(id:using_pleasure:20031006:p1)」を参照した方が良い様に思えます。

この記事でid:using_pleasure氏が言うには、現在の落書きは若者に対して今までの価値評価システム(=就職)が壊れてしまった時代において、オルタナティブ(代替的)な価値評価システムとして機能しているというのです。そしてそれ故に、例え取り締まりを強化しても落書きは無くならない(他の価値評価システムが無いから)だろうし、さらにもし厳重な取り締まりをしてこの落書きという価値評価システムを無理矢理壊してしまうならば”若者のアノミーはますます進行し行き場がなくなるだけ”なのです。

故にid:using_pleasure氏は社会学的な視点から落書きという価値評価システムを擁護してるのです。ですから、もし落書きの是非についてid:using_pleasure氏と議論したいのならこれについて話すべきだと思うのですが、それについて話している人はコメント欄には皆無。Trackback欄でも

>id:t-kawase(id:t-kawase:20050615:1118807075)

しか居ません。

3.法ボケ

で、まぁ上記の二つはそれでも議論しようとするだけまだましな訳てすけど。でもこの群に属する人達の話は……

この人達の主張はただ一つ、「とにかく法律違反なんだから取り締まれ!」それだけです。その法律を遂行することが本当に正しいのか、そしてそれによって問題が解決するのか、そんなことは一切考えません。彼らは一見利己主義的に見えますが、しかしその実、問題が真に解決しなければ落書きが無くなることもないんですから、結局その人にとっても不利益になる(=また落書きされる)わけで、利己主義でもない。敢えて言うなら、法ボケなのです(法ボケの人達は往々にして「取り締まる側」に対しては法を遵守することを要求しないんだけどね)。

しかし法行為の正当性というものはあくまでそれが市民の為になるからであって、法そのものだけでは正当性は生まれない訳です。。そして「2.価値評価システム」にも書きましたが取り締まりを幾らやったって他の価値評価システムが出来ない限り落書きは無くならないのですから、落書きを取り締まることは無駄であり、市民の為にはならないのですから、取り締まりという法行為(と、それを支持すること)には正当性は生まれないのです。

>a

>子供

>id:ekoneko(id:nekoneko:20050615#p1)

がこの群に属するでしょう。

まとめというか感想

別に倫理について争うことは結構なことだと思いますよ。「落書きは是か非か!」について話すことも、話したい人同士で大いにやれば結構です。でも、結局倫理なんてものは共同体によって担保されているものなんであって、もはや現代日本においては地域で生きる家を持った人達と、若者の間では共同体は全く違うものになっているんだから、落書きをする若者と落書きをされる住民の間で倫理を摺り合わせることは(双方を無理矢理一つの共同体にまとめ上げでもしない限り)不可能なんです。だから倫理観で議論をしてこの問題を何とかしようとことは一定の限界があると言わざるを得ない訳で……だからといってある一方の倫理が他方の倫理を屈服させようとしたって(=取り締まり強化論)そんなことは対立の激化しか生まないわけで、それも意味がないんですよね。

今必要とされている議論はただ一つ。「落書きは悪だ」という倫理を持っている人と、「落書きはアートだ」という倫理を持っている人をどのように共存させるか、それに尽きるのです。しかし何故かそれについて話す人は少ないんですね。結局ネット上での議論なんてイッパンシミンの憂さ晴らしとして行われているんであって、有効な議論なんか殆どの人が望んでないってことなんですかねぇ……