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2007-06-18

[考える]言葉遊び

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070616/p2

それで、なんかサバイバルという言葉に極端に「嫌だ」って感じで反応する人がいるけれど(それが言葉の遊びがしたい人だけならいいんだけどね・・・そういう気持ちがなくても何とか生きていけると甘ったれている人がいるとすればちょっと心配なので・・・・)

そんじゃまあ、言葉遊びでもしますか。

トモダチの話(大部分フィクション)

進路決定

僕は昔中学校に通っていた。

といっても僕自身は実はそのころのことは余り良く覚えていない。たぶん、本当に何もない、そんな毎日が続いていたのだろう。まぁ、中学なんてそんなもんだと思う、スポーツが出来る人は部活動で精を出すのだろうけど、僕はスポーツはダメだったし、勉強も、出来ない訳でもないけど出来る訳ではなかったし・・・

でもまぁそんな僕でも、流石に3年の春~夏頃のことは結構覚えている。何せ人生で初めて、自分の人生の行方を決める、そんな時期なのだから、当然僕も結構悩んだ。というか、その時期に悩んでない奴なんか、居ないだろう。

でもまぁ、僕の場合は、自分のレベルに合ったまぁまぁな所を選んだから、そんなに大変では無かった。問題は、ハイレベルな所を狙う人達である。

当時うちのクラスには、そういうハイレベルな高校を目指す生徒が3人居た。一人は生徒会長も勤め、男の子にしてはかわいい系のルックスで、女子から人気があったA君、そして2人目は、サッカー部のキャプテンであり、かっこいい系のルックス同じく女子から人気があったB君。二人共まさにクラスのまとめ役というような感じだったから、みんな彼らを結構応援した。

しかしもう一人C君という男子も、そのハイレベルな高校を目指していた。しかし彼は、確かに頭はそこそこ良かったのだが、いかんせんルックスが悪く、しかも余り人づきあいが上手な人間では無かった。だから、彼がハイレベルな高校を目指していると知られていても、正直クラスの空気は「まぁ、がんばってね」といった感じで、あまり期待も応援もなかった。

合格発表

そして、合格発表当日がやってきた。

僕は、その少し前にそこそこの高校に受かっていたため、実はその日のことはあまり覚えていないのだが、しかしそのハイレベルな高校については、それこそクラスが一丸となって注目してきたことだったので、まぁ僕もそれなりに注目していた。

結果は・・・C君合格、A君とB君は不合格だった。

クラスは、一時戸惑ったが、まぁすぐにC君のことを祝うモードへ切り替わった。その前の、つまり僕が受けた方の結果から、受験の結果が時に意外であることはみんな知っていたし、そういう不確定な結果に対処するときには、その結果のよい所を捜し出し、そこをとにかくクローズアップすべきであるということも、みんな承知していたのだ。

電話

そして、A君B君も、まぁハイレベルな高校には行けなかったが、そこそこの高校に行け、一応誰一人どこにも行けなかった人間は出さずに、僕たちの中学生生活は終わった。

そして僕は、高校に入り、中学と余り変わらない生活を、送っていた。そしてあっというまに年月が過ぎ、3年の始め頃、急にそのC君から、電話が掛かってきた。そして、「今度会わないか」と言ってきた。

ここで注意しておくと、僕は_まぁ閲覧者の想像に違わず_中高時代はずっと「友達」の居ない生活を送ってきた。だから当然C君についても、話したことは中学時代殆ど無かったし、中学卒業後は、それこそ全く連絡をとっていなかった。

つまり、そういうことだ。

勧誘

それでも、まぁ暇だった僕はそいつと会った。御多分に洩れず、彼は何故か「先輩」とやらを連れてきた。そしてひとしきり世間話をした後、彼は受験の話を出してきた。

C君「今年はいよいよ受験なわけだけどさ、お前、何処行くつもり?」

僕「んー、S大」

C君「まじ?国立大じゃん。お前塾とか行ってんの?」

僕「あー、とくに行ってない」

C君「へー・・・俺、実はS県立大目指してるんだ」

僕「ふーん」

C君「でもあそこって偏差値高けぇじゃん。だから俺、毎日勉強がんばって、塾とかにも行ってたんだけど、なかなか成績上がんなくてさ、で一時期すげぇ落ち込んじゃってたわけ。」

僕「へー、それで?」

C君「そんな時、この先輩たちが、俺にどうすれば良いか教えてくれたんだ」

僕「(あー、来たな)どうすりゃ良いの?」

C君「神さまに祈るんだよ!

・・・あとはまぁお決まりの話だった。曰く、この神さまを信じたとたん自分の成績は上がった。大学にも何とか行けそうだ。信じている人の中には、不治の病が治った人もいるらしい。親は最初は反対していたが、俺が元気になり、成績が上がっていくにつれて、神さまを信じるようになったetc...

僕は、相手の話に何とか合わせながら、その神さまに適当にお祈りのポーズをとって、帰った。一週間後に会う約束をしたが、もちろんすっぽかした。

C君がその後どうなったかは知らない。ただ、風の噂に、S県立大で最近宗教の勧誘が流行っていると聞く。ただ、それがC君によるものなのかは、知る由もない・・・

ユトリセダイ

僕たちの世代は時に「ゆとり世代」と呼ばれる。といっても、僕たちは僕たちの世代しか経験していなかったから、本当に他の世代と比べて「ゆとり」があるかは知らない。土曜日が休みだったのは、本当だけど。

でも、とにかく僕等は「ゆとり」とか「個性」とか、そういうものを大事にする、そんな教育のもとで大体育った。もちろん廊下に立たせる様な厳しい先生もいたし、数学の授業では先生はみんな口々に「ここで本来こういうことを教えるべき何だけど、教育指導要領から削除されたんだよなぁ・・・」と聞こえよがしに口走っていたけど、まぁ、全体としては、きっと「ゆとっていた」のだろう。

そんな僕らは、しかし受験においては、容赦ないふるいにかけられた。大学全入時代だなんだと言われるが、その内の殆どは底辺大学が占めているのであって、卒業後、「まともな」職に付くのだったら、やはりそれなりの倍率の大学に行かなくてはならない。

しかも、例えそれなりの大学に行っても、どうやら僕らは、「まともな」職にありつけるのかは分からないらしいし、更に言えば、例え「まともな」職に就いても、それが一生続けられる様な可能性は、殆ど無いらしい。学者に言わせれば、そういうのは、なんか「グローバリゼーション」とか「ネオリベラリズム」とかのせいなのだそうだ。よくわかんないけど。

そしてその「ネオリベラリズム」な社会では、個人はそれぞれ個として自らのスキルを磨き、常に自分が会社に求められる人間にならなければならないらしい。もっとも、じゃあ会社はどういう人間を求めているかといえば、それは「物事を自分で決められる、個性を持った人間」なわけで、でも何か会社がそういうのを言うのはおかしな気がするけど、疑問を持ったら、それは排除されるから、疑問を持ってはいけない。それがこの世の中を「生きぬく」ために必要なことなのだ・・・

シューキョー

きっと、そういう世界って、宗教が良く似合うんだろうと、思う。

もちろん、教義にがんじがらめになって、時代に適応できない宗教はダメだ。「生き残れない」。だけど逆に、教義なんか全く気にしないで、それこそ自分の宗教が勢力を拡大するためならどんなこともやるというような、そんな宗教だったら、どうだろう?

きっと、この現代において、もっとも生き残るのに適した形態は、それだ。

「個性を持って考え、行動すること」と「一つの宗教を盲信する」ことは、全く矛盾しない。S学会とかA真理教とか、そういう組織がやることは、いつだって独創的だ。特にA真理教なんかは、この広告代理店に支配された日本のマスメディアにおいて、広告代理店を使用せず、最も自分達の宣伝を世に広めた人達では無いかと考える。ワイドショーやらニュースやらに全て食い込むなんて、電通でも出来ないだろう。

それだったら、彼らの悪い所は真似せず、良い所だけを真似しようと思うのも、一つの戦略として「あり」に思えてくる。事実、今の自己啓発系は殆どそれだろう。

でも、本当にそれで良いのかねぇ?

まとめ、そうねえ

「サバイバルにて鯖威張る。鯖の頭も信心からと・・・」

「だじゃれかよ!」

「言葉遊びだし」