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2007-07-07

[言及]「論理的である」ことはバックグラウンドにより変化する

[http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/sjs7/20070706/1183722718:title

2007年07月07日 id:bluesy-k 「前提の採択」と「論理演繹」の分離ができていない。バックグラウンドによって論理的であったり論理的でなかったりはしない。前提の妥当性に対する評価が変わるだけ。

「バックグラウンドによって論理的であったり論理的でなかったりはしない。」と言いますが、だったら何故そもそも「論理的である」という宣言が、ある命題に対して語り手により付与されるのでしょうか。もし本当に「論理的である」ということが誰にとっても自明であるなら、そもそも「論理的である」という宣言は不要なはずです。だって、誰が見てもそれが論理的であるか非論理的であるかは明らかなんですから。

でも実際は「論理的である」とか「非論理的である」という宣言は多用され、そして「論理的であるかどうか」という問題が、色々な場所で争われるわけです。これはつまり、「論理的である」ということが決して自明のことではなく、まさしく人それぞれ、その文の意味内容が違うということを示すわけで、そうである以上、僕が超越的に「これが正しい」とか「これが間違ってる」とかを決められない以上、やはりバックグラウンドによって論理的であったり論理的でなかったりはすると、言わざるをえないのです。