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2007-07-22

[使い回し]「開発」を支える資本主義システムー『奇跡の犠牲者たち ブラジルの開発とインディオ』を元に

「開発」の歴史、それはそのまま近代史と重なるといっても、過言ではない。近代とは、国家の歴史という観点から見るならば、如何にアメリカ・ヨーロッパ諸国が世界に進出していったかという過程であったし、思想・文化の側面から言っても、「合理主義」という思想が、呪術的な人々の心の「未開」を征服し、そしてそこから、政治的な側面においては近代国家が成立し、そして経済的な側面で(近代)資本主義が成立していく、そんな歴史だった。何より資本主義は、その原初こそマックスウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(*1)で指摘したように、宗教的な倫理を内に秘めていたが、発展していくにつれ、次第に自立した秩序として、私達の生活の隅々まで開発し、支配していった。

通常、私達はそのような近代の「開発」の歴史を発展としてみなしている。近代に入り、合理主義が発展するにつれ、科学が進歩し、その結果人々の生活は様々な形で便利になった。また、呪術的なものの否定により、人々は身分制などから自由になった。確かにそれは、今の私達の視点から見れば発展と言えるだろう。

しかしその一方で、その近代化の「開発」が、「未開」の地に一体具体的に何をもたらしたかという点については、これまで触れられることはあまりなかった。例えば、アメリカ大陸では白人たちによって「アメリカ合衆国」が作られたが、ではその大陸に元々住んでいたネイティブ・アメリカンたちは、一体どうなったのか。アジアや南米に進出した欧米や日本の企業が、一体現地に何をもたらしているのか。

『奇跡の犠牲者たち ブラジルの開発とインディオ』(*2)は、「ブラジルの奇跡」という、ブラジルにおけるアマゾン開発の事例を通じて、「開発」が、「未開」の地に一体何をもたらしたのか、示してくれる。

「ブラジルの奇跡」と、その実状

ブラジルでは、1969年に就任したメシジ大統領率いる軍事政権が、工業輸出の拡大に焦点を置いた経済政策を行い、その結果年平均10.3%という異常とも言える経済成長率を記録、更に1973年には年間60億ドルの輸出実績をた達成。各国はこれはまさに資本主義的発展の「自由企業」モデルの典型であると賞賛した。

その経済発展を支えたとされる事業の一つがアマゾン開発だ。もともと、アマゾン川流域の開発計画は、1940年代頃から存在していた。しかし当時は、アマゾン川流域以外のより開発しやすい場所に開発の余地が残っていたことや、その頃のブラジル政府が保護主義政策をとり輸出拡大に積極的でなかったことから、あまり開発は進まなかった。

しかし段々アマゾン川流域以外に開発の余地がなくなり、更に親米的な軍部がクーデターにより政権を奪取し、保護主義的政策から自由主義的政策へと経済政策が移行するにつれ、アマゾン開発の準備は着々と整えられた、そして1964年頃からブラジル政府はアマゾン開発を行う企業に様々な優遇措置を与えるようになり、1966年には、20億ドルもの資金を投じてアマゾン川流域の輸送.通信.天然資源を開発する、「アマゾン計画」を発表、そして1970年には、そのアマゾン計画を更に大規模にし、道路建設や、農村.鉱山開発、水力発電所建設などを100億ドル掛けて行うという、国家統合計画が発表された。

そしてこれらの計画に基づき、アマゾンに道路や鉱山などが建設され、沢山の経済活動がアマゾンで行われるようになり、雇用も創出され、ブラジル全体の経済成長を支えたのである。

実状

ここまでがブラジルの奇跡と、それを支えたアマゾンについての一般的な説明である。しかし、では元々そこに住んでいたインディオたちにとって、それらアマゾン開発は一体何をもたらしたのだろうか?

元々インディオたちは、国家が大々的にアマゾン開発を行う以前も、民間のゴム.ナッツ採集者や、牧畜経営者.入植者の侵入により、1900年には100万人程度居た専従民は1957年には20万人以下に減っていた。彼らは元から住んでいた土地を追い出され、開発者が持ち込んだ、元々彼らの世界にはなかった病気により滅ぼされていった。

しかしこのころの政府はまだ、それでもインディオを保護しようとしていた。1910年には、先住民の保護を主張する士官たちが政府に働きかけ、フロンティアでの迫害と抑圧からインディオを保護することを目的としたインディオ保護局を設立し、そしてその設立した法令に、ブラジル政府には、フロンティアの拡張に伴う破壊的影響力からインディオを保護し、彼らの生命、自由、財産を絶滅と搾取から守る義務があると明記した。

が、実際は、インディオ保護局は確かにインディオたちに対し平和的な手段で接していたが、入植者を押しとどめることも、インディオの土地に法的権利を認めるよう州政府を動かすことも出来ず、インディオたちが滅ぼされていくことに何の抑止力にもなりえなかった。そして1950年代になると、当初の設置目的は忘れ去られ、インディオを支配するための部局となっていった。

国立インディオ基金の成立と挫折

これに対し、インディオ保護主義者たちは、インディオたちの土地に入植者が侵入し、インディオたちと接触する限り、インディオを絶滅の危機から保護することは出来ないと考え、インディオたちを保護するためには、連邦政府がインディオの居留地を国立公園に指定し、開発者のインディオの土地への侵入を防がなくてはならないと主張した。当時のブラジル政府は、そのような主張を聞き入れ、国立インディオ公園と、それを運営する国立インディオ基金を設置した。

しかし、これもまた、クーデターにより軍部が政権を握ると、方向転換を余儀なくされた。政権を握った軍部は、これまでの民族主義的政策を一新し、国力の全てを経済成長に向けるようになった。当然インディオ政策においてもそれは例外ではなく、インディオ保護という目的は忘れ去られ、アマゾン地域を開発する際邪魔なインディオたちをなだめ追い払うための機関として、インディオ保護局や国立インディオ基金は利用されるようになった。

そして、多国籍企業やアメリカ合衆国などの支援により、アマゾン横断道路は、インディオの居留地の真ん中を突っ切っていく形で、沢山のインディオを絶滅に追い込みながら建設されていった。更に1974年には、約5億ドルの予算をつぎ込み、アマゾンに大規模な牧場を作っていく計画が発表され、さらに多くのインディオたちが土地を追い出された。

「経済成長」は人々を豊かにしなかった

このように、インディオたちを土地から追い払い、絶滅させていくことにより達成された'ブラジルの奇跡'だが、しかし実際は、その奇跡は人々を豊かにするどころか、むしろ貧富の差を拡大させ、貧しかったものには、より貧しくなる結果を生みだした。1960年は千人につき77.17人だったサンパウロの幼児死亡率は、70年には83.64人にまで上昇し、ブラジル北東部の平均寿命は1985年時点ではラテンアメリカで最も低くなっている。ブラジルの奇跡の恩恵を受けたのは、結局のところ中位、上位の所得階層の人間であり、貧困層には殆ど恩恵をもたらさず、結果、相対的貧困率はむしろ上昇することになったのだ。

これが、「ブラジルの奇跡」の実状である。

何が問題であったか

開発者個人の倫理的問題には落とし込めない

では、この様な「開発」の名の元に行われたインディオたちに対する迫害は、一体何故起きたのか?

ここで重要なのが、この問題は、決して「インディオを保護する役人たちがひどい人間だったからだ」という様に、人々の個人的問題には還元できない問題であるということだ。確かに、個々のインディオ迫害事件を見ると、それは個々の役人の汚職事件という形態を取っている。だが、その背景には、官僚に汚職に向かわせるシステムの問題があるのだ。

『奇跡の犠牲者たち』では、そのような制度の背景として、ブラジルのインディオ政策が経済政策として行われたことや、インディオの資源を保護すると言いながら、それは「国家の発展に利する公共事業(たとえば道路建設)を実行すること」や「国家の安全と発展に著しく利する価値のある地下埋蔵物(たとえば鉱山)を活用すること」の際には侵害出来るとされた法令の不備、更にアメリカや多国籍企業の圧力などが挙げられているが、ここでは更に、「開発」の動機である、利潤追求という側面に潜む根本的問題に付いて、考えてみようと思う。

利潤を極大化するためなら損害を無くすより隠す方が低コストであるという論理

例えば、何かそれが公になると自分に不利益をもたらす問題(インディオ開発で例えるなら、インディオの土地を不法に奪ったなどの問題)を何とかしようとするとき、一番その問題を抱える当事者にとって、利潤が最大になる、つまり、より得な問題解決方法は、一般にどのような方法か?

答えは簡単だ。「問題を隠蔽する」のである。インディオ問題で言うなら、開発に文句を言うインディオたちを絶滅させることである。それは、インディオたちを保護することより遥かに低コストだし、何も障壁なく開発が出来るという点で、開発によって得られる利益は最も大きくなる。

もちろん、これは利潤の最大化を求める資本主義の論理である。だが、経済成長を目指し、その経済成長により自らの存在理由を担保する様な国家にとって、それはそのまま自身の行動論理となる。そして、当時のブラジルは、まさにその様な国家であった。多国籍企業の支持と保護により誕生した軍事政権にとって、最も重要なのは、多国籍企業が自分達を支持してくれるかどうかである。そして、多国籍企業が、企業であるが故に、資本主義の論理に基づいて行動する以上、その多国籍企業の支持を受けることを最も重視する国家システムも、また資本主義の論理に基づいて行動することを余技なくされるのである。

むしろ、個人の倫理的問題に押し込めることは、その問題の根本を隠蔽する

そして、それ故に、ただ個々の汚職を批判し、国にもっとシステムを厳正に運営することを求めることは、表面的には、問題の解決に見えるかもしれないが、根本的には何も解決せず、むしろ問題をより見えにくい場所に隠蔽するのだ。例えば感染病について考えてみよう。入植者の侵入により、インディオたちの間でそれまで自分たちの回りには無かった感染病が蔓延する。そしてそれにより多数の死者が発生し、人々は政府に「何か対策を講じろ」と要求する。そうすると、それに対し政府は「では、医師を派遣して、その病気を治療しましょう」と言い、医師を派遣して病気を治療する。そして人々は「開発を行ったから医師が派遣できたのだ」と、開発の正当制を確認する。

だが、では医師によって治療され、出てきたインディオたちは、一体その後どうなるのか。土地は入植者により奪われ、工業社会で必要な技術を持たない彼らは、単純労働に従事する、生と死のギリギリのラインをさまよう下層民として生きていくことを余儀なくされる。しかし、病気によって死んでいく場合と違って、貧困で死んで場合は、それは「個々人の努力の問題」とされやすい。そして、ブラジルの資本主義システムは、インディオ問題を「解決」するのと同時に、激安の労働力を手にするのだ。

格差を生み出すことによる偽りの成長

更に言うならば、「経済成長」という言葉にも注意が必要だ。普通私達は、「経済成長」というと、より社会全体が豊かになり、全ての人に富が享受されるということを意味するように思う。しかし実際は、富める人がより富めば、貧しい人がそのまま、あるいは、貧しい人がさらに貧しくなっても、経済成長は達成される。例えば、上層階級が一千万の総支出、下層階級が一万の総支出を生み出す国を想定する。そして、この国で、もし翌年に上層階級の総支出が二倍となり、下層階級の総支出が半分になったとしよう。しかし、それでも経済成長率は約99.85%となる。しかしそれでも立派な「経済成長」であるから、対外的にその経済政策は成功しているように見えるため、人々はそれを称賛し、結果として、その下で貧困に苦しむ人々は忘れ去られる。そして、偽りの「奇跡」が歴史に刻まれるのである。

資本主義システムは何故そんなに「強い」か

しかし、では何故そのような資本主義システムが、国家など他のシステムに対して強大な力を持つのか。先ほど多国籍企業の支持と保護ということを言ったが、そもそも何故多国籍企業はそこまで強大な影響力を持つのか。それは、僕が思うに、資本主義システムがその根本に、外部を「開発」し、自らのものとしようとする、狂気を宿しているではないだろうか。

例えば、インディオたちが暮らしている、部族制というシステムは、基本的に今自分達が暮らしている共同体を存続することを望むのであり、それ以上は望まない。しかし資本主義というシステムは、常に生産力を向上させ、経済成長を続けなければ、システムを存続することが出来ない。経済成長が停滞すれば、人々の中に不安が生まれ、恐慌が発生する。恐慌を発生させないためには、常に昨日より多くの物を生産し、そして消費することを運命づけられる。資本主義システムとはそういうシステムなのだ。

近代資本主義のシステムが、その原初においては、原罪意識と、そこからの救済という、宗教的意識から発生したものだった。しかしその後そこから宗教的意識が消え失せ、ただ「蓄財」という志向だけが残った。そして宗教的意識とそこから生まれる職業倫理から切り離された、そして、その、ただ「利潤」だけを追い求めるシステムは、やがて国家・部族など、他のシステムの領域にまで侵蝕するようになったのだ。上記のようなブラジルにおける「開発」の歴史は、それを端的に表している。

資本主義システムを越えるもの

では、そのような強大な資本主義のシステムに対して、私たちは如何に対抗できるだろうか。

その為には、まず世界には資本主義のシステムではない、まったく別のシステムが存在することを「知る」ことが重要であると思う。例えば、人類学者のマルセル・モースは『贈与論』において、資本主義の根本を支える「交換」という考えとは全く違う、「贈与」という考えがあることを明らかにした。また、近年は資本主義とは違うオルタナティブなシステムを自らの手で作ろうとする動きが、これまで資本主義システムのもとで周縁化されてきた先住民・障害者・女性などの間から埋まれてきた。これらの、資本主義システムとは違う形のシステムや生き方を理解し、そして尊重していくことが、まずは重要だろうと、僕は考える。

自分たちと異なる物を知る

もちろん、資本主義と違うシステムだからといって、即座に肯定することは出来ない。「存在するからそれは無条件に尊重すべきシステムである」などと言ったら、それこそ「資本主義システムだって存在しているシステムじゃないか」ということになってしまう。そのオルタナティブなシステムが、本当に人を幸せにするシステムなのかどうか。それを見極めなければ、そもそもそのシステムを「理解した」と言うことは出来ないだろう(ただ一方で、「理解」というものが本当に可能かどうかということも、問題視しなければならない。どこまで言っても、人は他人とは違う以上、理解できない部分は残る。

しかし、だからこそ私たちは、資本主義システムとは違うシステムがあることを、まずは認め、それらを知ろうとしなければならないのだ。もっと、幸せに生きるために。(*3)

*1: [asin:4003420934:detail]

*2: [asin:4773885033:detail]

*3: さあ、どれぐらいの所で、僕がこのレポートを書くのに飽きたか当ててみよう!