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2007-10-25

[使い回し]「社会学者」の新聞記事における役割―新聞紙面のドキュメント分析―

大学でやったレポート。言い訳はもう面倒だからしない。

ブログの更新があまりに止まっていると、もう閉鎖したのかと思われそうだから「ここにきちんと居ますよ」ということを提示するためだけに掲載しました。

キーワード:ドキュメント分析、マスメディア、学者

問題意識

1. 研究内容

「社会学者」、または「○○社会学者」というような人が、一体どのようなケースのときにコメントを求められるのか、また、社会学者が述べるコメントにはどのような役割があるのかを、新聞紙面をドキュメント分析することによって、明らかにする。

2. 理由

 新聞などのマスメディアにおいて学者が発言したことが、どのような社会的文脈に位置し、そして社会をどのように動かしたかという研究は、これまでも沢山なされてきた。しかしその研究は「若者」「凶悪犯罪」や、「サブカルチャー」、「ニート」など、あくまで特定の社会問題の分析のために要請される研究であって、そのような個別の社会問題を越えて、社会一般に対し学者、特に社会学者がマスメディアでどの様な傾向の発言をしてきたかということについては、あまり問題にされなかったように思える。

 そこで今回私は、社会学者が新聞というマスメディアにおいて、どのようなコメントをし、どの様に発言を引用されているかをドキュメント分析することによって、社会学者が、新聞紙面においてどのような位置付けで存在していたのかを、考えてみたいと思う。

方法と経過

まず、朝日新聞の記事データベース「聞蔵」を用いて、「社会学者」という単語が用いられている記事が1998年から今までのそれぞれの年で、何件存在するかを調べた。

そして次にここ3年間の間で「社会学者」という単語が含まれる記事を調べ、そしてその中から訃報や人事の紹介などを除き、具体的に社会学者が何かコメントしていたり、社会学者の発言・文章が引用されている記事を抽出する。そして、それらが具体的にどのような紙面に載っていたかを量的に分析したあと、具体的にそれらの記事がどのような役割をその記事で担っていたかを、内容分析し、それらの結果を基に、「社会学者」が新聞紙面においてどのような役割を果たしているかを、考察する。

結果と考察

1. 量的な分析

1998年4月1日から2007年3月31日までの9年間で、「社会学者」という単語が朝日新聞に出現した回数(東京本紙において、芸能・スポーツ・短歌・情報面を除く)

1998年度39件1999年度56件
2000年度36件2001年度41件
2002年度44件2003年度55件
2004年度50件2005年度51件
2006年度67件

近年増加傾向にあることが分かる。

2004年7月1日から2007年6月30日の、朝日新聞において

総合17件社会2件オピニオン4件
経済1件外報2件文化39件
読書2件

文化面が際だって多いことが分かる。

2. 質的な分析

抜き出した3年間の記事を分析した結果、それらの記事上において、社会学者の発言・文章は、主に2つの役割を果たしていることが把握出来る。「文化や風俗など、そのままでは新聞紙面に紹介出来ないような『非社会的なこと』から『社会的なこと』を読みとり、それを紹介する」という紹介者の役割と、「個々の社会現象の表層から、その背後にある全体の動きを分析する」という分析者の役割である。

社会学者は、巷の風俗を紹介したり、若者文化やサブカルチャーなどを紹介する記事においてよくコメントを寄せる。例えば昭和における帽子の歴史を紹介する記事において

“明治になって初めて洋装に接した日本人が本格的に洋服を着始めたのが戦前の昭和時代だった。『暮らしの世相史』(中公新書)などの著書もある社会学者の加藤秀俊さんは「洋装は早くから男性中心で進んだ。だが外出は洋服でも、家では和服。女性は、ほとんど、いつも和服でした」と話す。

 洋装の大規模な導入のくきっかけは軍服だった。それに学校の制服。兵役があり、進学の機会にも恵まれた男性がまず慣れたと、加藤さんは考える。”

―朝日新聞 2007年4月11日朝刊 文化面 「(昭和モノ語り:上)帽子 男の制服、規律の象徴」より

という様なことを述べたりしているように。文化面における社会学者のコメント・文章は殆どがこの様な役割を担っている。

逆に言えば、このような人物が居なければ、新聞はこのような風俗などを紹介出来ない。何故なら、新聞はその取り上げる対象を「社会的に重要な事件・現象」という風に限定し、他の週刊誌などのマスメディアと差別化することによって、自らの権威を保っているからである。しかし一方で、新聞読者の知りたいことを載せなければ、幾ら新聞に権威があっても、新聞は経営が成り立たなくなる。そして、そこで社会学者は、風俗やサブカルチャーなどを「社会的な現象」に翻訳し紹介することによって、新聞の権威を保持しながら、新聞読者の期待を充足させる方策を提供している、という風に考察出来る。

そして、上記の役割とも被るが、社会学者は、ある社会現象や事件の「表層」に対し、それらが全体として、どういう方向に動き、どう社会全体と関わっているかという分析をし、それをコメントする。例えば、最近若者に議員になる為の戦術などを教えるNPOなどが増えているという記事で

“〈若者の意識構造を研究している阿部真大さん(社会学者)の話し〉この世代は就職難など様々な不利益を背負わされてきた。自分のまわりで「社会が壊れている」という感覚がある。この世代にとって今の政治家は尊敬する対象でなく、既得権益を守ろうとする存在。「上の世代には任せておけない」と感じている。”

―朝日新聞2007年3月19日朝刊 総合 「(ロストジェネレーション@選挙)地方議員に育てます」より

という風に分析しているように。このような分析により、社会学者はバラバラに存在する社会現象の裏に通底する「社会問題」を提示する。

3. まとめ

 これらの結果と考察をまとめてみる。

 「社会学者」が紙面に登場する回数は、ここ十年の間明らかに上昇している。これはつまり、社会学者が必要になるような記事が増加しているということだが、では具体的に何故社会学者が必要とされているのか。

 紙面の量的分析から明らかになるように、社会学者が登場する紙面は大部分が文化面である。そして、文化面の記事の大半において、社会学者は「紹介者の役割」を担っている以上、需要が増加しているのは、「紹介者の役割」であると考えるのが妥当だろう

 しかしでは何故「紹介者の役割」の需要が増加しているのか?仮説としては

  1. 新聞が載せてほしいと読者が思うことが新聞の自己規定(=「社会的に重要な事件・現象」)と乖離か大きくなってきた。
  2. 風俗などの「非社会的なこと」と「社会的なこと」の区別が曖昧になってきた

などの要因が挙げられるだろう。

残された課題

今回調べたのは「社会学者」の、しかも最近の新聞記事のみであり、他の学問の学者はどの様な役割が多く、そして比較した場合社会学者の役割はどのように他の学問とは違うのかなどの分析は出来なかった。

また、新聞記事以外にも、例えば週刊誌やテレビなどにも「社会学者」は往々にして登場するわけで、そのような場所において、社会学者がどの様な役割を果たしており、そしてそれが新聞における役割とはどう違うのかも、分析する必要があると思われる。

資料・文献

朝日新聞記事データベース「聞蔵」