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2007-10-19

[使い回し]書評:『生きさせろ:難民化する若者たち』(雨宮処凛、2007、太田出版)

大学の宿題で書きました。

一つ言い訳させてもらうと、文字数制限があったのです。もちろん文字数制限があったなら、その制限の範囲できちんと伝えたいことを伝えるべきですから、言い訳でしかないのですが、最後の方の尻切れトンボは余りに尻切れトンボ過ぎるので。id:sjs7:20070508:1178586038の続きできちんと書こうと思っていることなので、いずれ書きます。

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 この本のタイトルを見て、まず思ったのは「また大げさなタイトルを付けた本だなぁ」ということだった。何せ「生きさせろ!」である。でもまぁ、社会告発系の本というのは、大体そういう風に大げさなタイトルを付けて人の目を惹こうとするものだし、きっとこの本のタイトルも、そういう類の煽り文句なのだろうと、読むまではそう思っていた。

 だが、実際この本を読んだ後、僕は気づいた。このタイトルは、決して大げさなタイトルではない。今、貧困や過労に苦しんでいる若者たちが、真摯に思っていることなのだと。

 この本では、最初に著者のフリーター時代の経験が紹介され、その後同じように低賃金のフリーターとして今も働いている人のことや、正社員になっても低賃金・長時間労働を強いられた人や、実際過労自殺してしまった人のケース、最近話題となったネットカフェ難民や、高校生の時点で貧困の犠牲となっている人のケース、余りにきつい仕事環境に心を病んでしまった人のケースなど、様々な貧困や搾取のケースが紹介される。そして、それらのケースでは、往々にして労働法などの法律は無視されているということも説明される。

 著者は、それらのケースについて書いていきながら、「一体誰が彼らをこんな環境に追い込んだのか」、「何故こんな酷い目に彼らは追い込まれなければならないのか」と、強い口調で告発する。そして、その告発は本を読んだものなら誰もが納得がいくものである。

 そして終わりの第六章・七章で、著者はフリーターの労働組合や、貧乏人の間で「反乱」を起こそうとする「貧乏人大反乱集団」、今のこの若者が企業に低賃金でこき使われ、大企業ばかりが儲かる状況が、政治によって仕組まれたものであると指摘する学者など、様々な人にインタビューし、そして最後に、搾取されている人々に、搾取してくる大企業や、それらの大企業を支援する政府、そして、それらを容認する日本社会に対し宣戦布告する。

 この本の素晴らしいところは、何より「誰が悪いのか」という問題意識が文中の常に存在するところである。つまり、ただ「このような貧困があります」、「このようなつらい状況に若者はいます」と紹介するだけでなく、では、その様な状況に追い込んだのは誰なのかということまできちんと明らかにしているのだ。これがもし、ネットカフェ難民の「生活」を紹介するニュース番組のように、ただ若者の悲惨な状況を紹介するだけなら、「ああ悲惨だね。政府とかがなんとかしてあげるべきだね」という風になるだろう。

しかしこの本を読んだものならば、それは違うということがはっきり分かる。何故なら、彼らは明らかにある特定の企業や政府などにより作為的に、その様な状況に追い込まれたのだから。彼らの状況を改善するのは、企業や政府の義務であり、彼らが悲惨な状況から救われるのは、施しではなく人間として当然の権利なのだ。

しかし一方でこの本には、そういう風に実際に誰かを告発し、行動を促す本であるからこそ、限界も存在する。つまり、企業や政府を告発するのは良いが、しかしそういう風に誰かを低賃金で雇うことにより、色々なモノが安く買えるようなシステム、もっと言えば誰かが失敗しても「自己責任」であり、みんなで助けなくても良いという自己責任原則が貫かれる社会は、ある意味では人々が望んでいた社会なのではないか、という様に、今までの自分たち社会への「自省」という観点が、余りないように思えた。例えば著者は「なぜ『やりたいことをやる』ことが、ホームレスまで覚悟しなくてはならないほどのことなのだろう。そもそもそこからしておかしいのだ。やりたいこととその後の人生が引き換えにされるなんてあまりにも残酷ではないか。」と主張する。そのことには全く同意なのだが、一方で「『やりたいことをやる』ことが、ホームレスまで覚悟しなくてはならないほどのこと」であるということを「当たり前のこと」としてきたのが、これまでの社会なのだ。では、一体何故そのような考え方が「当たり前」となったのか?

そのような「自己責任」というものを、一つの思想としての分析することが、これからは必要なのかなと思った。もちろん、今現在若者を搾取している企業やその人々を支援しない政府を告発することも重要なのだが。