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2004-06-09


[佐世保の少女について]長崎・佐世保小6女児カッター殺人事件について(3)公の言葉

この記事は長崎・佐世保小6女児カッター殺人事件についてという特集の中の記事です。出来ればリンク先から特集の他の記事へ行って見てくれると嬉しいです。
消えぬ「なぜ?」犯行と動機に落差…小6事件1週間読売新聞

長崎県佐世保市の大久保小6年御手洗怜美(みたらい・さとみ)さん(12)が殺害された事件は8日、発生から1週間を迎えた。

 加害女児(11)は、自宅リビングのパソコンでホームページを作り、残忍な小説を書いていたという。「(体重が)重い」「ぶりっ子」と中傷されたことがなぜ、首を切るという行為に結びつくのか――。犯行と動機の落差。女児の“心の闇”に分け入る作業はこれからだ。
・・・

まぁ、これはいわゆる「公の言葉」の典型なんでしょうな。人を殺すなんて事は"とんでも無い事"なのだから、その行為が起きる原因には"とんでも無い"出なければならない、そんな社会の常識に沿ってこの事件に対する感想を書こうとすればこの様な記事になってしまうのは当然の事なのでしょう。

確かに「(体重が)重い」「ぶりっ子」と中傷される事何て日常生活ではごく普通の事です、だけれどね、「『ごく普通な事』は人を傷つけない」何て事は本当は無いんですよ。どんなにごく普通なことだって、いや、普通だからこそ、それは他人を酷く傷つけるのです。フツーの日常生活は殺人に結びつかないなんてのは所詮自分を安心させるための嘘(それも極めて悪い類の、)なんです、日常生活というのは容易に殺人という非日常に突入する、いや、むしろ日常生活の"結果"として選べる選択肢は、殺人か自殺以外にないのかも知れないのだ。

「そんな事はない!だって私は普通に日常生活を生きているが、自殺も殺人もした事が無いのだから。」という人も居るかも知れない、だがそれはあくまで法律上の意味の殺人はしていないというだけで、実際は私達みんな人を殺して生きているのだ。例えば今、スーダンでは100万人が死のうとしている。この人達を助けるためには2億4600万ドル(約273億円)が必要らしい。そして日本の国家予算は81兆円である。

別に私は啓蒙しているわけではない、だってこの事は本当はみんな知っているのだから、それに私はその罪を咎める気もない、だって僕もその殺人という罪を犯している罪人のひとりなのだから。

しかし、多くの場合人はその事を心の底で隠して生きている、「公の言葉」というのには隠れた言葉は当然の事ながら入っていない、何故なら「公の言葉」には原理上「人が伝えたい事」しか載らないのだから・・・

だが彼女は、罪を隠して生きることが出来なかった。自己の罪を罰したかったのだ、その様な意識、いやそれは無意識の範疇だったのかもしれないが、とにかくその意思が、この事件を引き起こさせたのである。全くごく単純な理由だ、だが、それは公の言葉では決して語ることは出来ない、公の言葉で語ることが出来ない物を「闇」というのなら、確かに彼女には闇があった。しかし全く分からないことを「闇」というのなら、彼女の心は闇に何か包まれていない。むしろ、彼女は心に罪を隠すための「闇」を作るのを恐れたから、このような事を起こしたのだ。

公の言葉では絶対語り得ないものがある、その事を忘れたくないと"僕は"思う。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040608-00000208-yom-soci