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2005-08-23


[脱・マンガ嫌韓流][歴史問題]強制連行・従軍慰安婦などについて

この記事は脱・マンガ嫌韓流という特集の一つです

『マンガ嫌韓流』では強制連行・従軍慰安婦など朝鮮人の戦争動員について次の様な立場をとっています。

どうしても「朝鮮に支持されていた日本」という妄想を守りたいみたいです

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朝鮮人の戦争動員、とりわけ国外への動員については主に三つのケースが掲げられます。一つは「軍人・軍属」として戦地に動員すること。そして次に「従軍慰安婦」として戦地に動員すること。最後に「強制連行」により日本に連れて行くこと。この三つです。このいずれに対しても『マンガ嫌韓流』では合法であったと主張する訳ですが、しかしそれが如何に間違っているかは、これから順次示していきます。

朝鮮人軍人・軍属

まず最初に「軍人」として戦地に動員することから考えていきましょう。『マンガ嫌韓流』では朝鮮人を軍人として戦地に動員したことに対し、次の様なことを主張します。

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つまり、「朝鮮人の軍人は殆どが志願兵であり、徴兵による強制動員も終戦直前に行われたが彼らはその殆どが戦地に行かなかった。だから全く何も日本に問題はない」と彼らは言う訳です。

では実態はどうだったか?まず、彼らは志願兵が殺到したことを持って「彼らは日本の為に戦うことを望んでいた!」と言いますが、しかしその志願兵の実態がどうだったかというと……まず最初に帝国議会での政府委員の答弁を見てみましょう(http://www10.ocn.ne.jp/~war/siganheiseido.htmより孫引き">*1)。

……それから次は創氏の問題、志願兵問題等に付きまして、官邊の強制と云ふやうなことに関してでございまするが、是は私共も仰せの如く同じやうなことを耳に致して居りましたので、諮らずも自分がさう云ったやうなことに対しまして責任の地位に立ちましたので、さう云ったことに対しまして間違って居ることがあるならば是正をして参りたいと考へまして、色々事実の真相を調べて見たのであります、必ずしも絶対にさう云ふことがなかったとは申し上げ兼ねまするのでありまして、一部遺憾な事例もあるやうであります、併し将来は左様なことのないやうに、適正に運営して参りたいと斯様に存じて居ります……

という風に、「官邊の強制」について「一部遺憾な事例もある」ことを政府自身が認めています

更にその志願兵の階級に注目してみれば朝鮮総督府は職業的にみるとその八、九割が小作農であり、その他は若干の事務員、官公吏を除いては、給仕、小使い、雇人等だったと言っています。前回(id:rir6:20050808:shihai)言ったとおり、朝鮮の小作民とはその大部分がかなり厳しい貧困状態にあった訳で、「飢える」か「兵隊に入る」かの二者択一だったわけです。その様な但し書きをせずにただ「志願兵制度だった」と言うのはやはり意図的な隠蔽と言わざるを得ません。『マンガ嫌韓流』では志願兵の理由を

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などと言っていますが、これが嘘であることもまた明らかです。もし志願兵がそのようなポジティブな理由により志願したのならば、何故裕福な人は志願しなかったのか?答えはただ一つしかありません。志願兵はそんな『マンガ嫌韓流』が妄想する様な美談的理由でなく、「自分と家族が飢えずに生きていく為」という悲惨な理由から志願した者ばかりだったからなのです。

また、志願兵制度の中には学生を兵士にして扱う朝鮮人学徒特別志願兵制度もありました。これは1943年に始まったものなのですが、こちらの場合も殆ど強制でした。何故ならこの学徒動員に応じない者は直ちに休学処分にされ、強制連行の対象となるのですから。「学兵」となるか「強制連行」の二者択一です。「志願兵」というのは、このような悪魔の選択によって作られたものなのです。

更に言うならば、確かに軍人の場合、戦場に行ったのはその殆どが志願兵でしたが、然し軍隊には軍人の他に軍属という人達も少なくとも12万人以上存在し、その数は志願兵以上です。この様な人達は1941年から国民徴用令により動員された人々なので「強制連行」の枠組に含まれるのですが、しかし戦場へ行くという意味において軍人と殆ど同じものです。実際、彼らの死亡者数は1万6004人ということで12.5%もの死亡率であり、そしてこれは軍人の死亡率(6178人死亡で5.3%)を上回るものなのですから。「ほとんどの朝鮮人は(志願兵を除いて)戦争に行ってないんだ」(*2)という『マンガ嫌韓流』の台詞は、この様な軍属の存在を全く無視しています。

強制連行

では次に強制連行について検証しましょう。まず『マンガ嫌韓流』では強制連行という言葉が戦前存在しなかったことを理由に「強制連行という政策はなかったんだ」と主張します。

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しかしこれは全くおかしな議論です。歴史用語というものはその殆どがその用語が指し示すことが行われた時代の後になって付けられたものであり、その史実の当時から呼称が同じであるものを探す方が難しいのです。例えば幾ら歴史修正主義者であっても、江戸時代士農工商の下に被差別民が国家の政策として(もちろん明治維新後も国家はあくまで被差別民の存在を実質的には黙認していたし、江戸自体以前も差別は民衆の間では存在していた)居たことを否定する人は居ないでしょう(*3)。もちろん彼らは江戸時代は「被差別民」などとは呼ばれていませんでしたが、しかしだからといって彼らが「被差別民」で無かったと言うことが出来るか?当然出来ません。幾らそのような呼称がその時点でなされていなかったとしても、その実態が差別を被っていた民である以上、彼らはやっぱり「被差別民」だったのです。

それと同じように、「強制連行」も―例えその言葉が当時存在していなかったとしても―そのような言葉の定義と合致する実態が日本の政策の内にあったのならば、政策として「強制連行」が存在していたと言えるのです。

ではその肝心の日本の政策の実態はどうだったのか?『マンガ嫌韓流』では次の様な主張

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でもって、『isbn:4624410033:title』の記述を否定し、「問題を最初に提言した『isbn:4624410033:title』が間違っていたのだからやっぱり強制連行なんて無かったのだ!」と言おうとします。

しかしこの主張には二つの大きな間違いがあります。第一に、「別に『isbn:4624410033:title』が発行される前でも戦時下における日本への労務動員が強制的であったことを示すものは沢山あった!」ということです。成る程、確かに「強制連行」という言葉を使い始めたのは『isbn:4624410033:title』が最初です。しかしその言葉が示す戦中の日本の政策の実態、つまり日本への労務動員の強制性は『isbn:4624410033:title』が発行される前から様々な資料によって示されています。例えば当事者の証言、つまり日本に連れてこられた朝鮮の人の1945年9月28日の証言(朝鮮人強制連行―研究の意義と記憶の意味―/外村 大より孫引き">*4)でも

而して大東亜戦争勃発と同時に移入労働者を徴用するに当り、田畑より看守付きで而も自宅に告げる事なく内地の稼動場所へと強制労働に従事せしめた事である。

という様に「強制労働」であると証言していますし、林光〓という人も1950年に

太平洋における帝国主義戦争が始ってから朝鮮の青年が徴用労働乃至は勤労動員という名目で数え切れぬ程日本え強制的に連行されたことは記憶に新しい

と書いています(*5)。また日本政府も1955年の『在日朝鮮人処遇の推移と現状』という法務省職員の教育の為に作られた本の中で

日華事変以後の戦時体制下にあって、政府は、朝鮮人を集団的に日本内地に強制移住せしめる策をとった

と書いています(*6)。これらの史料を無視して「『isbn:4624410033:title』が言わなきゃ誰も強制連行なんて口に出さなかった!」と主張するのは幾ら何でも無理があるでしょう。戦前の日本への労務動員が強制的なものであったことは誰もが認めていました。『isbn:4624410033:title』はそれらの事実をまとめて「強制連行」と名付けたんであって、別に『isbn:4624410033:title』が無かったとしても、強制連行と現在呼ばれている行為があったという事実には何の変わりもないのです。

第二に、『マンガ嫌韓流』では『isbn:4624410033:title』が『朝鮮新話』の但総督がそこまで強行せよと命じたわけではないのだが、上司の鼻息を窺う朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやつてのけたのである。という文を引用しなかったのを指して、「『isbn:4624410033:title』はこの部分を引用すると政策として強制連行が存在しなかったのがばれてしまうから引用しなかったんだ!」と主張します(強制連行のソースは『朝鮮新話』だけでないということは今まで説明した)が、しかし朝鮮出身の末端の官吏や公吏だって日本政府の公務員であることには変わりはないです。第一労務徴用者の割当が相当厳しくなり、納得の上で応募させていたのでは、その予定数に仲仲達しない事態を生じさせたのは日本政府の政策なのです。

もちろん日本政府が直接「朝鮮の奴らを力尽くで日本に連れてこい!」と公式な場で発言したりしたことはありません。しかし日本政府の政策によって「強制連行」と呼ばれる様な事態が起きたのは紛れもない事実なのですから、やはり政策としてその実態を指して「強制連行」と言うのが適切でしょう。

さて、次行きましょう。『マンガ嫌韓流』では強制連行を募集・官斡旋・徴用の三つに分類します。ここでまず注意したいのが、『マンガ嫌韓流』ではこの三つを同列に並べて語りますが、しかし実際は戦争が激化するにつれて強制連行の人数は増えているのですから、「募集」の数は(後の官斡旋や徴用に比べれば)少なかったということです。内務省資料によれば募集によって日本に移住した人数は148549人ですが、官斡旋・徴用は455880人、しかしれはあくまで移住の人数であり、実際は募集によって日本に来たがその後募集によって働く期限が過ぎても徴用により引き続き日本で働かさせられた人も居ますから、官斡旋・徴用人数は今言った数字よりもっと多いと考えられます。

まず募集について『マンガ嫌韓流』は「政府ではなく企業が行った」と言います。

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確かに募集というものは名目上は企業が行うものでした。しかしそれはあくまで名目上のことであり、実際は行政、特に三・一運動後一面(*7)に一個置かれる様になった駐在所の警察が殆どのお膳立てをしていたのです。当時(1940年7~8月)「募集」を行っていた住友鉱業の労働者募集担当社員のの現地報告にはこのような記述があります。(朝鮮人強制連行―その概念と史料から見た実態をめぐって―からまた孫引き">*8)

郡に依っては非道い処もあるらしく、善山郡の如き100人〔を〕何日まで揃へるから幾何〔いくら〕で請負はしてくれと言った様です。(8月10日の報告)

  牛谷面、開津面、この両面が果して適格者を20〔人〕宛出せるか否か疑問であった訳ですが駐在所面事務所共馬力を掛けて宣伝勧誘に努めてますから希望者が定員を超える見透しは付きました…

 署の高等主任は駐在所へ電話で「此の募集は後で必らず喜ばれる募集であり、警察干係の人も来てること故区長に委せず自分で勧誘すること」と督励してくれますし、郡庁では社会課労務係の主任が明日より郡から面へ手分けして歩き、若し予定人員丈け集まらぬ等と言ふ面〔が〕あれば他面に割当てると言って嚇かしてやると言ってます様に署及郡庁は非常に力を入れてくれます。又各面長も進んで面の人間を内地に出さうとしてます…〔反対する区長のいるところでは〕区長に委せず巡査及面吏員が歩いてくれる訳です…(8月12日の報告)

更に同じく住友鉱業の1939年9月22日の内部資料には次の様なことが書かれています(http://www10.ocn.ne.jp/~war/kyousei.htmより孫引き">*9)。

住友鉱業の「半島人移入雇用に関する件」(1939年9月22日)

  1. 募集事務―――総督府に於いては左記事由に基づき内地移住につき積極的援助をなす
    1. 労務者動員計画遂行に協力すること
    2. 本年度南鮮一体の旱魃による救済のため

従って募集は募集取締規則に基づく各社の募集従事者による募集と言うことになつて居るが実務は前記事由により朝鮮官権によって各道各郡各面に於いて強制供出する手筈になつて居る、即ち警察に於て割当数を必ず集める之を各社の募集従事者が詮衡(選考のこと)することになって居る

この様に実際は警察が殆どの募集業務を行い、しかもその中には強制があったのです。当時の朝鮮人からの聞き取り調査でも(*10)

B炭鉱の労務課調べによれば、仕事先及び炭鉱について完全に理解を以て渡航する者は約10%程度にして50%以上が行先は勿論、勤務先及仕事について知らずにやって来るという

という状況だったのです。また連行先の日本では逃亡は決して許されませんでした。「内地鉱山二於ケル半島労務員管理ニ就テ」という日本鉱業株式会社の内部資料(http://www10.ocn.ne.jp/~war/toubou.htmより孫引き">*11)によれば

脱走ノ風習多シ、之レガ予防トシテ脱走スルモ他所ニハ絶対ニ使用サレザル信念ヲ植付ケルコト。之レガ為ニ脱走者ノ取締ヲ厳ニスル様当局ニ陳情スルコト。(栃木県日光鉱山・・・・同上P-259)

警察署トノ協力ニヨル逃亡防止ニ益々意ヲ用ウル事緊要ナリ(福島県高玉鉱山・・・・同上P-263)

と言う様に、行政が逃亡を止めていたのです。

次いで官斡旋について『マンガ嫌韓流』では「罰則がなかった(から強制ではない)」と言います。

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しかし確かに「罰則」はありませんでしたが、しかしそもそも罰則など必要無いのです。だって「本人に知らせずにいきなり連れ去っていく」のですから。政府の諮問機関である協調会の思想対策係が1944年6月8日より前にまとめた「半島人問題」という文章(*12)には次の様なことが書かれています。

 半島労務者の労務管理には幾多の問題が存してゐる。先ず労務管理は募集の時から始まるものと謂はれる。蓋し言語風習を異にする場合其の労務管理は朝鮮にゐる時から始ってゐると知るべきだとの信念を有する人(石炭統制会の田中勤労部長の如き)すらある。何となれば朝鮮に於ける募集状況を見るに、曽ては野良で仕事最中の者を集め、或は寝込みを襲ふて連れて来る様な例も中にはあって其の誤れるや甚しい。計画的に募集の準備をして供出することが切に要望される所以である。

また内務省の「復命書」という内部資料にも(*13)

蓋し朝鮮人労務者の内地送出の実情に当っての人質的掠奪的拉致等が朝鮮民情に及ぼす悪影響もさること乍ら送出即ち彼等の家計収入の停止を意味する場合が極めて多い様で(第6項より)

 徴用は別として其の他如何なる方式に依るも出動は全く拉致同様な状態である

 其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的略奪拉致の事例が多くなるのである、何故に事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼等を精神的に惹付ける何物もなかったことから生ずるものと思はれる(第7項より)

という風に書かれています。このような形で日本に連行していくのだから、罰則なんてそもそも必要無かったのです。

最後に徴用について(しかし『マンガ嫌韓流』では「1944年に徴用は始まった」というが彼らは「軍属」のことを知らないのだろうか?前に述べたとおり、彼らの徴用は1941年から始まったのだが……)。『マンガ嫌韓流』では「罰則を控えていた」と言います。

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しかしだとしたらこれ(「朝鮮募集報告書」という北海道炭鉱汽船株式会社の内部資料をインタビュー・朝鮮人強制連行 とは何か?/山田昭次より孫引き)は何なのでしょう?

送出に当たりては、徴用忌避者を一斉検束をなし、或は拘留に附し、或は検事局に送局するなどの処置を取り、今回送出分に付ても警察の留置場より直ちに輸送列車に乗込ませたるものも相当数に上り……

検束・拘留というのは罰則では無いんですかねぇ?

そして『マンガ嫌韓流』は更に「日本国民の義務なのだからわざわざ『強制連行』と言い換えるのはおかしい」と言うのです。

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要するに「日本人だって我慢したんだから朝鮮人如きがぐだぐだ言うんじゃない!」ってことでしょう。しかし(確かに日本人の徴用もきついものだったことに間違いはありませんが)日本人の徴用と朝鮮人の強制連行―募集・官斡旋・徴用を含む―では―確かに名目上は同じでしたが―その実情は全く異なるものです。

まず最初に言えば、前回(id:rir6:20050808:shihai)言った様に日本人と朝鮮人は決して平等ではなく、特に政治においては朝鮮の人々は完全に被支配民であり、何の権限も持ち得ませんでした。日本人の場合「徴用」は曲がりなりにも日本国民の選挙によって選ばれた議員によって決められた政策でしたが、朝鮮人の場合は全く(募集・官斡旋・徴用というような)政策決定の場には関与することが出来なかったのです。「強制連行」の「強制」とはこの様な意味も含んでいます。

更に(これは当たり前のことですが)朝鮮人の場合は、海を越えて連行されてきますから、一度連行されたら自分の故郷に帰るのがかなり困難でした。日本人の場合はもし帰ろうとすれば割合簡単に帰ることが(陸続きですから)出来ましたが、しかし朝鮮人の場合はまさに海を隔てた島に「連行」されてきたのですから、故郷へ帰ることは当然かなり難しいです。

更に、実際の労働状況も(日本人と比べても)かなり厳しいものでした。『マンガ嫌韓流』では「多くの朝鮮人が密航してきたのだから朝鮮人は日本で働くことを望んでいたはずだ!(だから「強制連行」は「強制」では無かった)」と主張します。

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まぁ、彼らが密航(というか何で「内鮮一体」なのに渡航制限とかがされるの?(*14))してくる理由は前回(id:rir6:20050808:shihai)言った様に日本の失政によって起こった飢餓が原因なのですが、しかし前で述べた様に募集・官斡旋・徴用は強制が多かった訳です。何故このような人々がいたのに強制せねばならなかったか?答えは簡単です。募集・官斡旋・徴用という、強制連行によって得られる仕事は、普通に密航して日本で探す仕事よりも格段に辛いものだったからです。でなきゃそもそも募集・官斡旋・徴用は必要無かったでしょう?密航者が多かったという事実が示すことは、強制連行など無かったと言うことではなく、むしろ強制連行がいかに辛いものだったかということなのです。

住友鴻之舞鉱山での状況を見てみましょう。(インタビュー・朝鮮人強制連行 とは何か?/山田昭次の「表7:「住友鴻之舞鉱山民族別坑内・坑外労働災害傷害」1941年12月15日~1945年3月31日」より孫引き">*15)

 微傷軽傷中傷重傷死亡合計
朝鮮人65529712054171143
日本人41516590314705
差(朝鮮人-日本人)240132302313438
比率(朝鮮人)61.2%64.2%57.1%63.5%80.9%61.8%

この様に全体で言えば朝鮮人は日本人より438人多く怪我し、その比率は61.8%、また死亡に焦点を合わせればその比率は80.9%です。

何故この様な差が生じるかというと、答えは簡単です。朝鮮人の方が危険な場所で作業させられていたからですね。この資料には坑内・坑外の数も書いてありますが

 日本人の死傷数朝鮮人の死傷数合計
坑内3649881352
坑外341155496
坑内の比率51.6%86.4%73.1%

と、この様に朝鮮人は圧倒的に坑内で怪我をしており、しかも全体から言ったら坑内の方が怪我をする率は圧倒的に高いのです。

更に言えば、日本人の場合は事故が起こればきちんと医療措置を行ってくれますが、しかし朝鮮人の場合はあんまり医療措置をきちんとやってくれない。その為朝鮮人の怪我による死亡の比率は全体の死亡の80.9%というとても高い数字なのです。

しかも朝鮮人の場合、募集・官斡旋・徴用で送られる場所は75.2%が鉱山・土建でした(インタビュー・朝鮮人強制連行 とは何か?/山田昭次の「表5:日本内地への朝鮮人労働動員数の産業別比率」より孫引き">*16)。まず割り当ての段階から危険で日本人が嫌がる現場へ送り込まれ、そして現場でもより危険な場所で働かされたのです。

また賃金でも日本人と朝鮮人では格差がありました。何故なら朝鮮人労働者に対しては元々日本人との間に賃金格差がある上に、先の内務省資料から再び引用すれば

内地に於ける稼先地元の貯蓄目標達成と逃走防止策としての貯金の半強制的実施及払出の事実上の禁止

という様に、逃走防止の為強制貯金が行われていたからです。ちなみにこの強制貯金は戦後大部分が払い戻しされずにもみ消されました……

しかしここで一つ注意したいのが「お金の問題では計れない強制連行もある」ということです。例えば『マンガ嫌韓流』で紹介している↓のケース

末行:例えば、この元慰安婦の一人、Mさんが「戦時中、ビルマ(ミャンマー)で預金した貯金を返せ」と日本の郵便局を訴えたんだ。原簿を調べると1943年から1945年までの貯金の記録があり、金額は26145円だった。これは現在の貨幣価値に換算すると約9000万円。当時、軍のトップである陸軍大将の年棒が6600円だった。強制連行された性奴隷とやらは、陸軍大将より年収が多かったらしいな。

(なお、従軍慰安婦については『マンガ嫌韓流』はコラムでの文章説明という形を取っていますので、その文を引用しながら検証します。)

これは彼女に他の慰安婦の様な借金が無く、また前線に出ていた兵士から個人的にお金を貰っていたので出来た貯金な訳であって、強制連行された性奴隷とやらは、陸軍大将より年収が多かったというのは全く違う訳ですが(というかそもそも彼女は終戦後この貯金を引き出せなかったのだけれど)、しかし彼女らがお金を沢山持っていたのを理由に「彼らは強制連行されていない!」というのは通用しません(*17)。何故なら金銭的な搾取は強制連行の十分条件ではあっても必要条件ではないからです。彼女らの大部分(*18)は確かに金銭は(その当時は)貰っていました。しかし一方で彼女たちは軍人から暴力を受け、休日は月一回(*19)、常に厳しい監視を受け、外出・逃亡を禁じられていた訳です。このような「強制性・暴力性」こそがまさに「強制連行」という言葉が指し示す実態なのです。

さて、「国民徴用令」に基づく強制連行に話を戻しましょう。このように危険な労働環境・低賃金の中で働いていた人は、当然逃亡することを考えます。しかしそれは大変難しいものでした。『特殊労務者の労務管理』(インタビュー・朝鮮人強制連行 とは何か?/山田昭次より孫引き">*20)によれば朝鮮人炭坑労働者の逃亡率は全国平均で35.6%、朝鮮半島に近い福岡では44%です。しかしこれは大変に危険なものでした。例えば当時1940年3月の特高月報(http://www10.ocn.ne.jp/~war/toubou.htmより引用">*21)にはこのような事件のことが書かれています。

★長野、内鮮人間の闘争 西筑摩郡玉瀧村 日本発送電三浦貯水池工事場  発生一月三十日

朝鮮人土工二名は就労を厭ひ一月三十日逃走を企てたるも発見せらるるや、取締係矢野卓治は一般朝鮮人の逃走防止の目的にて裸体となし雪中に立たしめ私刑を加へたるに発端し、約百五十名大挙して加害者「松田一郎」こと「韓金俊」の居宅を襲撃して全治一週間の障害を加へたる外、家具を破壊するの暴行をなしたるを以て、所轄署にありては主謀者を検挙すると共に一般労働者を厳重加諭し就労を誓はしめたり

(顛末)「朴命述」外十五名を住居侵入並傷害罪として検挙す、「金甘守」外六名を送還す、現場監督並暴行者は厳重戒告す(1940年3月分、P-53)

つまり当時は逃亡を企てた人間をリンチしても罪にはならなかったのです。つまり、「強制連行」の強制性とは朝鮮半島における供出時の強制性だけでなく、海を隔てた島へ送られ逃げ出せないという意味での強制性、そしてもし逃亡を企てたらリンチをされても文句は言えないという意味での強制性、これらの意味が重なり合った強制性であり、そしてその「強制連行」の実態は日本人に行われた「徴用」より遙かに暴力的・抑圧的なものだったのです。

従軍慰安婦

最後に従軍慰安婦について検証します。

いつみ:……女性を性処理の道具みたいに扱って……。こんなの女性として認められません!

末行:いつみちゃんは嫌悪感を持つかもしれないが、従軍慰安婦のおかげで現地人との衝突が回避できたのは事実なんだ。例えばベトナム戦争に派兵された韓国軍は、現地女性を乱暴しまくって、その結果、数千人ともいわれる混血児が生まれ、大きな問題となっている。

はいまず最初の発見。『マンガ嫌韓流』では従軍慰安婦のおかげで現地人との衝突が回避できたのは事実と言っていますが、事実はその反対。従軍慰安婦は現地でのレイプ問題の解決策には全くならなかったのです。1938年、従軍慰安婦設置を考案した第11軍岡村寧次司令官は次の様なことを語っています(*22)。

現在の各師団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。第六師団の如きは、慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。

このような事態になる理由としては「当時の日本軍が強姦に対して余りに甘かった」というものが一つの要因して挙げられます。例えば1942年まで陸軍刑法においては強姦罪はあくまで略奪罪の附属項目でした。これはどういことかというと略奪の伴わない(つまり何も物を取らない)強姦はいくらやっても罪にはならなかったということです。さらに当時強姦は親告罪(被害者が訴えない限り告訴出来ない)であり、また取り締まる側も強姦についてはそれほど厳しく取り締まっていませんでした。

しかしもっと重要なのは、日本の日中戦争にしろ、韓国のベトナム派兵にしろ、そもそも連れてこられた兵士には全くその戦争を戦う理由が無かったということです。『マンガ嫌韓流』ではあくまで強姦を「性欲を満たす為に行われた」という観点からしか捉えず、そのため「従軍慰安婦を設置することによって解決するはずだ」という風に、昔の日本軍と同じ結論に達していますが、最近の研究(*23)によれば、強姦の動機というのは一つは「社会に対する憤り」、そしてもう一つは「(性的に)自分自身の存在を証明したいという欲求」であり、「性的欲求不満」という動機は全く事実と反する神話でしか無いのです。

つまりこういうことです。今回問題となっている戦争というのは例えどんなに正当化しようとしても、その占領を殆どの占領民は望んでいなかったという意味で、まごうごとなき侵略戦争でした。昼夜問わず常にゲリラに悩まされ、戦場では生と死の紙一重の場所で戦い、そして沢山の敵を殺し、また沢山の味方を殺される。そのような中でのいつ自分も死ぬかという恐怖。そして、その生きるか死ぬかの選択は、自らの力では待ったくどうにもならないという無力感。これらのストレスこそがまさに強姦事件が多発する根本的理由だったのです。(*24)

従軍慰安婦は決して強姦事件の多発に対する解決策にはならなかったのです(兵士が戦っている戦争が侵略戦争であるということが強姦事件の多発の根本的理由なのですから、強姦事件の多発に対する解決策も「侵略戦争を止める」こと以外には存在し得ないのです)から、強姦事件の多発を従軍慰安婦の免罪符にすることは全く出来ないのです。

当時は売春防止法が施行される前で、売春業は合法であり、また、従軍慰安婦は日本人女性が大多数だったことも付け加えておこう。

つまり「従軍慰安婦」が存在したこと自体は、誰も否定しておらず、この「従軍慰安婦」問題の争点となっているのは、ただ一点でしかない。それは、従軍慰安婦が日本軍の強制連行によるものであったか、なかったか、ということだ!

確かにそのような争点があることは認めますが、しかしこの従軍慰安婦問題の争点をその一点に絞るのは明らかに問題を矮小化しています。前項に掲げた様に、従軍慰安婦にはその存在を正当化出来る物は何もありませんでしたし、また売春業は合法と言いますが、それはあくまで21歳以上の女性であり、未成年の女性に関しては婦人・児童の売買禁止条約において売春業をさせることは禁じられていました。尤も、これは植民地に対してはその地域に残っている持参金・花嫁料の支払いなどの慣行を一掃する訳にはいかないから条約の適用を除外することが出来るものでした。しかしもちろん当時の朝鮮にはそのような風習はなかったし、また徴集の指令が日本国からなされた場合や、日本の船(これは国際法上は日本の領土ということになる)によって慰安婦が送られた場合は、売春婦の勧誘行為が行われた場所は日本ということになります。もちろんこれは法解釈の中でも「勧誘」という言葉の語義を拡張した拡張解釈にあたるものですが、しかしそもそも植民地への適用除外はその地域に残っている持参金・花嫁料の支払いなどの慣行を一掃する訳にはいかないから定められたものであり、そのような悪用を行う日本を罰する為ならば拡張解釈(なおこれは別に違法な手段ではない)を行っても適当であると考えます。

更に言うならば……そもそも当時の日本政府(及び『マンガ嫌韓流』)は「日本は朝鮮半島を植民地化したのではなく併合したのだ!=内鮮一致」という主張でした。だとしたらそもそもこの条約を朝鮮半島に於いては適用除外すると決めること自体おかしいはずです。都合の良いときだけ「日本と一体だ!」と言って、都合が悪くなると「朝鮮半島は植民地だから……」なんて言うのは、幾ら何でも調子よすぎるでしょう?更に

また、もし仮にこれらの問題全てがクリアにされ、また強制連行かどうかの問題(つまり『マンガ嫌韓流』が唯一の問題という風に詐称する問題のこと)が解決(*25)し、当時の従軍慰安婦が公娼と殆ど同じ物だと立証されたとしても、まだ「当時の公娼制は奴隷制と同義であり、女性の人権を抑圧していたのではないか?」という問題があります。『マンガ嫌韓流』では売春業は合法と言っていますが、しかしそもそも女性は日本・朝鮮問わず政治の意志決定の場に参加出来なかった訳で、朝鮮の人々には参政権が無かったという意味で彼女らは二重に政治システムから排除されていた訳です。しかしそんな中でも公娼制度を廃止しようとする廃娼運動などもあったわけで、そのようにきちんと「公娼制度を廃止する」という選択肢があったにもかかわらず、それを取らなかった当時の日本の責任は―例え保証という水準においての問題で無かったとしても―無視してはならないでしょう。

このように「従軍慰安婦」という問題には強制連行以外にも様々な争点があるのです。もちろん貴方達『マンガ嫌韓流』はそもそも「歴史は全て精算された!」という立場の人々ですから、このような争点を紹介したくないのは分かりますし、そもそも全てに対して反論していたら紙数が幾らあっても足りないというのも知っています。しかしだからといって争点を隠蔽するのはどうでしょう?何故あそこで「従軍慰安婦には様々な争点があるが今回は強制連行かどうかに絞って話そう」ではなく「この「従軍慰安婦」問題の争点となっているのは、ただ一点でしかない。それは、従軍慰安婦が日本軍の強制連行によるものであったか、なかったか、ということだ!」という文が出たのか?僕はそこに歴史の矮小化という意図を感じざるを得ません。

男(名前調べるの面倒くさいや):そもそも半世紀も前の出来事なのに、どうして急にこの問題が注目される様になったのですか?

末行:全ては、吉田精治という男が書いた『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』という一冊の本から始まったんだ。

おーい千田夏光氏の『従軍慰安婦(isbn:4380780120)』は無視ですかい……『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』の出版の日付は1983年だけど、『従軍慰安婦』はその10年前に出版されたものなんだけどなー。

「Mさん」の話については既に「強制連行」の項で述べたので省略。

末行:さらに、元慰安婦Yさんは、「1944年、16歳の時に強制連行され台湾へ。日本軍の慰安婦としての生活を三年間強制された」と証言している。

(略)

末行:2004年2月26日の『朝鮮日報』に、13歳の時にインドネシアに強制連行され、従軍慰安婦として7年間も性奴隷にされたという、Cさんの訃報記事が掲載された。享年80歳だったそうだ。

そりゃ元慰安婦の多くは貧困層から集められた為十分な学校教育を受けられていなかったし、40年も経てば年齢・年代などの細部で記憶違いが出ることはあるでしょう。また、慰安婦だと言っている人の中には偽物が居ることも否定しません。しかし別に従軍慰安婦について調べている人達は全ての証言が正しいと思っている訳でもなく、違う人の証言と付き合わせたり、史料を当たったりして証言の整合性を確認しているのです。『マンガ嫌韓流』では

末行:亡くなってしまった人からは、もう話を聞くことはできない。なお、日本軍が慰安婦の強制連行を行った物的な証拠は何も見つかっていない。韓国側が証拠としているのは、このような元慰安婦の証言だけなんだ。

などと言っていますが、これは全くのです。例えば

1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えていた。

これらの周旋業者が用いる誘いの言葉は、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地-シンガポール-における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡し金を受け取った。

これはアメリカ軍が日本人捕虜を尋問したときの報告書(http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-mitchina.htmより孫引き">*26)ですが、従軍慰安婦問題などまだ殆ど顕在化していなかった時代に既にこの様な強制連行の実態が報告書に記載されている訳で、元慰安婦の証言だけに頼っている訳ではないことが分かるでしょう。

それでは次回は「戦後補償」について『マンガ嫌韓流』を検証していきます(本当は一つの記事に書こうとしたんだけど、長くなって一つの記事に入らなくなった……)。


*1: 1943年2月26日、帝国議会貴族院委員会での答弁をhttp://www10.ocn.ne.jp/~war/siganheiseido.htmより孫引き

*2: なおこの(志願兵を除いて)という言葉を『マンガ嫌韓流』では多分意図的に省略しています

*3: 居たらどーしよ

*4: 「終戦後の朝鮮人取扱に対し極度の不平不満に関する件」を朝鮮人強制連行―研究の意義と記憶の意味―/外村 大より孫引き

*5: 『民主朝鮮』1950年7月号を同じく孫引き

*6: これも同じ所から孫引き

*7: 「面」とは当時の朝鮮での行政単位。「群」の下にあった

*8: 朝鮮人強制連行―その概念と史料から見た実態をめぐって―からまた孫引き

*9: 『戦時強制連行・労務管理政策』に収められているのをhttp://www10.ocn.ne.jp/~war/kyousei.htmより孫引き

*10: 『炭礦における半島人勞務者』を同じく孫引き

*11: 『特殊労務者の労務管理』に収められているのをhttp://www10.ocn.ne.jp/~war/toubou.htmより孫引き

*12: 『isbn:4760115722:title』に収められているのを同じく孫引き

*13: 上記と同じ孫引き

*14: 当然皮肉である

*15: 「住友鴻之舞鉱山への強制連行朝鮮人の労働災害」(『isbn:4750305200:title』所蔵)をインタビュー・朝鮮人強制連行 とは何か?/山田昭次の「表7:「住友鴻之舞鉱山民族別坑内・坑外労働災害傷害」1941年12月15日~1945年3月31日」より孫引き

*16: インタビュー・朝鮮人強制連行 とは何か?/山田昭次の「表5:日本内地への朝鮮人労働動員数の産業別比率」より孫引き

*17: こういう論法を取る人は実は韓国の人にも多いんだけどね……

*18: 現地人の場合はその逆で殆ど金銭は貰っていなかった

*19: 独立攻城重砲兵第二大隊や山三四七五部隊の内務規定(『isbn:4004303842:title』より)

*20: インタビュー・朝鮮人強制連行 とは何か?/山田昭次より孫引き

*21: http://www10.ocn.ne.jp/~war/toubou.htmより引用

*22: 『岡村寧次大将資料』の文を『ISBN:4004303842:title』より孫引き

*23: というか1971年の調査なんだけど……『レイプ<強姦>異常社会の研究』を『isbn:4480030859:title』から孫引き

*24: そのような意味で、ちょっと余談になりますが、僕は末端の兵士には罪は無かったと思うのですね。真に悪いのは戦争にかり出された兵士ではなく、彼ら兵士をそのような理由無き戦争にかり出した上層部の政治家・軍人、そして国家なのです。

*25: 少しでも強制性があったら公娼制とは言えない。当時の公娼制は廃娼の自由を認めていましたから

*26: http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-mitchina.htmより孫引き