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2005-08-24


[脱・マンガ嫌韓流][政治]戦後補償について

この記事は脱・マンガ嫌韓流という特集の一つです

『マンガ嫌韓流』では戦後補償について次の様な立場をとっています。

要するに「日本は悪くない!だから補償はしない!」ってことみたいです。

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二つの「戦後補償」

さて、いよいよ話は戦中から戦後へと行きます。要するに戦後補償の話なのですが、それに対する『マンガ嫌韓流』の記述を検証する前に一つ明確にしておきたいことがあります。それは「今日本に何が求められているか?」ということです。一口に「戦後補償」と言ってもその中には色々な人々への補償があるのです。ちょっと表にまとめてみました(*2)(この表はあくまで参考です)。

 韓国人在日コリアンその他
元日本軍軍属・軍人給与未払金&負傷の補償戦争犠牲者援護の適用
強制連行賃金や負傷などの補償賃金や負傷などの補償
従軍慰安婦精神的・肉体的苦痛などの補償精神的・肉体的苦痛などの補償
BC級戦犯拘留日数×5000円の補償拘留日数×5000円の補償
被爆者日本の被爆者と同等の支援
サハリン・シベリア残留・抑留者シベリア抑留の補償シベリア抑留者援護の適用サハリン残留の補償(済)

これらの人々が戦後補償を求めている訳です。そしてここからが重要なのですが、『マンガ嫌韓流』ではこれらの戦後補償について「日韓協定によって解決した」という立場を取ります。

その主張についてはこれから検証していきますが、しかしその様な主張によっては原理的に説明し得ない補償もこの中にはあるのです。「戦争犠牲者援護の適用」と「サハリン抑留者援護の適用」の二つです。何故ならこの二つはそもそも「戦争による(その時点での)被害」を補償するものではなく、「戦争によって受けた傷(*3)によって生じている戦争後の損失」を生きている間ずっと補償していくものであり、法的に言えば、日韓基本条約に書かれている補償ではなく、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/難民条約が内外人平等(*4)を保証する社会保障に当たるものだからです。ただどちらも究極の原因は戦争によって生じたから「戦後補償」と呼ばれるのであって、その法的性格は全く違うものなのです。

ですから「戦後補償」に関して日韓協定のことしか話さない『マンガ嫌韓流』では彼ら在日韓国・朝鮮人が戦争犠牲者援護の適用やサハリン抑留者援護の適用を受けられないという問題を説明するのは不可能なのです。第一、日本は被爆者に関しては国籍問わず被爆者援護を適用している訳で、被爆という戦争被害が援護を受けられて、同じ太平洋戦争による軍人・軍属の被害や、戦争によって生じたサハリン抑留の被害が援護を受けられないというのはどう考えても道理に反するでしょう。

『マンガ嫌韓流』は嫌韓の立場から書かれたものですから、自分たちと違う立場の意見を説明することを嫌がるのは心情的には理解出来ます。僕だって『マンガ嫌韓流』のコマを引用してわざわざ彼らの根拠を説明するのは吐き気がする思いです。しかしもし『マンガ嫌韓流』が単なる嫌韓馬鹿の愚痴や妄想ではなく、現実社会に影響力を持つことを求めるのだったら、批判する相手の意見を戯画化することなくきちんと描写するのは最低限の倫理でしょう。そしてこのケースからも分かるとおり、『マンガ嫌韓流』はその最低限の倫理すら守れていないのです。

措置法の違憲性

それではいよいよ『マンガ嫌韓流』の記述の検証に移りましょう。まず『マンガ嫌韓流』では韓国在住韓国人の補償要求に対し、「補償問題は日韓基本条約及び日韓協定によって解決した」と主張します。

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つまり日韓協定第二条に書いてある

1 両締約国は,両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産,権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が,千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて,完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

という条項を根拠に、彼らは自らの「補償の必要はない」という主張を押し通そうとしているのです。つまりこれは法的な問題ですね(これからの文章は、あくまで「法的な問題」について述べたものであると思ってください)。

しかしちょっと待ってください。成る程確かに日韓協定ではそのように請求権が消えてしまったという風に明記していますが、しかしそれはあくまで国家の請求権であり、個人が自らの財産に対する補償を求める権利ではないのです。これは政府も1991年8月27日の柳井条約局長の参議院予算委員会での答弁で

 ただいまアジア局長から御答弁申し上げたことに尽きると思いますけれども、あえて私の方から若干補足させていただきますと、先生御承知のとおり、いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。

 その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます。

という風に認めています。また裁判所の判例も日韓協定に基づくものではありません。では一体何によって個人の財産請求権は放棄させられたのか?それは「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」という法律によってです(これからは長いので「財産権措置法」と略します)。この法律の

1 次に掲げる大韓民国又はその国民(法人を含む。以下同じ。)の財産権であって、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定[昭和四〇年一二月条約第二七号](以下「協定」という。)第二条[財産、権利及び利益並びに請求権に関する問題の解決]3の財産、権利及び利益に該当するものは、次項の規定の規定の適用があるものを除き、昭和四十年六月二十二日において消滅したものとする。

(略)

3 大韓民国又はその国民の有する証券に化体される権利であって、協定第二条[財産、権利及び利益並びに請求権に関する問題の解決]3の財産、権利及び利益に該当するものについては、前二項の規定の適用があるものを除き、大韓民国又は同条3の規定に該当するその国民は、昭和四十年六月二十二日以後その権利に基づく主張をすることができないこととなったものとする。

という条項でもって個人の財産請求権は放棄させられたというのが日本政府や裁判所も認めている見解です。

何故このような一見すると些末なことに拘るかというと、それは日本国憲法第九十八条の条文に関係してきます。

第九十八条 最高法規、国際法の遵守

  1. 日本国憲法は国内最高の法律であり、憲法に反するあらゆる法律や命令は効力を持たない。
  2. 国が結んだ条約や昔からある国際法規は、これを誠実に遵守するべき。

日本国憲法は国の最高法規であり、それに反する一切の法律は効力を持たないということは皆さんよくご存じだと思います(ここで「憲法よりも日本国の伝統が大事だ!」とか言う人は頼むからどっか行って帰ってこないでください(*5))。しかしでは条約と憲法はどちらが優位かというと……これがなかなか難しい問題なのですね。皆さんは砂川事件というものをご存じでしょうか?いや別に知らなくて良いんです(僕だって高校の公民で覚えただけだし)。これはつまり日米安保条約が日本国憲法第九条に違反するかを争った事件で、一審では違憲判決を出した(つまり「憲法>条約」ということ。)のですが、しかし最高裁では「統治行為論」を出して判断回避をしました。つまり日本の司法においては憲法と条約どちらが優位であるかは不明確なのです。ですからもし日韓基本条約が憲法に違反していたとしても、それを裁判所で裁けるかどうかはどうにも分からないのです。

しかし法律に関してはこれは明確です。「憲法>法律」が唯一の回答。もしこれ以外の答えを出せばテストでは零点です。

では財産権措置法は憲法に照らし合わせると一体どうなのかというと……これは明らかに憲法第二十九条に違反しています。

第29条 財産権の保障

  1. 財産権は、これを侵してはならない。
  2. 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
  3. 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

はっきりと財産権は、これを侵してはならない。ということを書いているのであって、長ったらしい名前の法律を一個作ったからって奪えるとは何処にも書いてありません。。また正当な補償というのは、その奪われた私有財産を全額補償するという完全補償説が有力であり、日韓協定によって行われた経済協力金の内、無償の分の5.4%の金額によって補償された当時の韓国政府による補償では絶対に全額補償にはなりません。このような主張に対し『マンガ嫌韓流』では

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と言って

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と主張します。しかし僕としてはもし日本が当時の韓国政府に命令することが出来たのなら、当時の韓国政府は(後で詳しく述べますが)朴正煕が政府の全権を握っていた国民の信任を得ていない軍事独裁政権な訳で、是非「ちゃんと被害者にお金を回せ」と行って貰いたかったです。しかし当然そんなことは内政干渉に当たるから出来ません(「すべきでない」ではなく「出来ない」のです)。もともと自分たちの憲法上の義務を他国の政府に任せる事自体おかしなことなのですから。

しかしもし韓国側に「補償金」という名義でお金を送っていたならばまだもう少し言い訳が立ったかも知れません。「日本は補償を行う為に出来る限りの努力をした」と言うことも(苦しい理屈ですが)可能だからです。しかし「経済協力金」としてお金を渡した以上、そのような言い訳すら出来ないのです。先ほど「お金の使い方を命令しろと?」という発言が出ましたが、「補償金」という名目でお金を送ったならば、少なくとも韓国軍事独裁政権に「このお金は被害者の為に使ってください」と、命令まではいかなくてもお願いは出来たかも知れません。しかし「経済協力金」として渡すということは、つまり韓国軍事独裁政権に「このお金を自由に使ってください」と言うのに等しいことなのですから、これはもう明らかに「するべき努力をしていない」ということになります。『マンガ嫌韓流』では↓のように主張しますが

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では何で「経済協力金」なのか?日本が渡したのは「賠償金」でも「補償金」でもなく、「経済協力金」です。条約内に「個人補償として使いなさい」という条文がない限り、日本はお金の使い方について何も言ってないに等しいのです。

これらのことから考えるに、自ら補償することなく、韓国政府に「経済協力金」という名目のお金を渡すという法律を決めること自体が、日本政府の補償責任不履行であり、憲法違反であると言わざるを得ないです。そして憲法違反の法律は一切効力を持ち得ませんから、この財産権措置法に基づいて韓国人の補償要求を拒絶することは不可能になるのです

(閑話休題。しかし何でこのおばさんは「お金の使い方を命令しろと?」と問われたときに

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というように否定してしまうんだろう?もしかしてこのおばさん統一協会の人なんだろうか。統一協会というのは反日・反共を教義とし軍事独裁政権から庇護を受けていたカルト宗教団体で、僕は大嫌いなんだけど、しかしその一方で日本の右翼・保守政治家と太いパイプを持っているんだよね。例えば元新しい歴史教科書をつくる会の副会長で現埼玉県教育委員の高橋史朗なんかは「性教育過激派のねらい」という統一教会系団体作成のビデオに出てたりするし。もしこのおばはんが統一協会系の人だったとすると、この論争は右翼のあいだの内輪もめという大変香ばしいことになってしまうんだが……ちょっと深読みしすぎですかね?)

補償の法的根拠

ですが『マンガ嫌韓流』では日韓基本条約によって補償問題は解決したという主張の他に、次の様な主張を行って「補償はすべきでない」という主張を擁護します

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これらの主張には主に二つの側面があります。一つはこのような資産があったのだからそもそも韓国人は自らの財産の補償に対する請求権を持たないのだという法的な側面。そしてもう一つは「これだけ資産があったんだから補償なんて要らないだろ?」という政治的な側面です。ここではまず最初に法的にこれらの主張を検証していきます。

補償の法的根拠というのはその被害によって異なるので、これもちょっと表にしてみました。なおここで問題となっているのは韓国在住韓国人の補償問題なので、この表にも在日朝鮮・韓国人の補償の法的根拠は入れていません(*6)(なお、この表もあくまで参考です)。

 日本国憲法未払給与契約違反貯金人道に対する罪正義公平の原則醜業条約強制労働条約奴隷条約孫振斗判決
元日本軍軍属・軍人△(*7)×△(*8)××
強制連行×××
従軍慰安婦××
BC級戦犯×××××××
被爆者×××××××
サハリン・シベリア残留・抑留者○(ジュネーブ条約には捕虜の労働の賃金はその捕虜の所属国が支払う様書かれている">*9)×××××××

※「日本国憲法」とは日本国憲法第29条による財産権の補償(これはまず補償の土台)。「未払給与」とはその名の通り日本国や当時雇っていた企業からまだ支払われていない給与。「契約違反」は雇用契約するときに十分な説明を受けてなかったり、間違った説明を受けたということ。「貯金」は当時持っていた貯金や証券などの権利。「人道に対する罪」は極東国際軍事裁判所条例にある戦前又は戦時中為されたる殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放其の他の非人道的行為あるいは政治的又は人種的理由に基く迫害行為に該当する罪。「正義公平の原則」は、国家は自らの都合の為にその時々によって見解・解釈を変えてはならないという条理。「醜業条約」は1925年までに批准した三つの条約の総称で、未成年の女子を売春に従事させたり、例え成年であっても売春を強制させては駄目という条約。「強制労働条約」は1930年批准した条約で、正式名強制労働に関する条約で、兵役・懲役を除く強制労働は最短の期間で廃止させ、廃止するまでの間も推定年齢18歳以上45歳以下の強壮たる成年男子のみを強制労働に使用して良いのであって、また労働時間の制限、報酬の保証、労働災害への保証、健康の保持など様々な労働条件を規定する(*10)条約。「奴隷条約」は当時日本は批准していなかったが慣習国際法として認められていた条約で、奴隷制の廃止を定め、その中には債務奴隷(つまり身売り)の廃止という意味もあった。「孫振斗判決」とは1978年3月30日に最高裁で為された判決で、原爆医療法について国家補償としての性格を認めた。

「補償」と「戦争賠償」は直接的には何の関係も無し

もちろんこれらの法的根拠に対しそれぞれ色々な批判があるのは承知しています。しかしここで重要なのが、韓国人の戦後補償の場合まず最初にそれが不法行為であるかどうかが問われているということです。例えば「契約違反」や「賃金未払」は戦前の法律でも不法行為でしたし、条約違反ももちろん不法行為です。何故このことを強調するかというと、『マンガ嫌韓流』では日本は別に韓国と戦争して負けた訳ではないのだから、補償の必要はないと言いますが、しかし補償というのは別に戦争があっても無くても直接は関係なく、その行為が不法行為であるかどうかによってその責任が定まるのです。戦争の敗戦国が戦勝国に支払うのは戦争賠償です。これは例えば第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約に書いてある(http://www.geocities.jp/dasheiligewasser/essay3/essay3-2.htmより引用">*11)様に

 第 231条 同盟および連合諸国は、ドイツ国およびその同盟諸国の攻撃によって強いられた戦争の結果、同盟および連合諸政府、またその諸国民の被った一切の損失および損害について、責任がドイツ国およびその同盟諸国にあることを断定し、ドイツ国はこれを承認する。

 第 232条 同盟および連合諸政府は、本条約の他の諸条項の結果ドイツ国の資源が恒久的に減少することを考慮し、かかる損失および損害のすべてを完全に賠償するにはドイツ国の資源が十分ではないことを認識する。

 しかしながら、同盟および連合諸政府は、同盟ないし連合国の一員としてドイツ国と交戦していた期間中において、陸上、海上、および空からの攻撃により同盟および連合諸国の民間人およびその財産に対して加えられた損害、および一般に附加文書〓に規定されるすべての損害についてはドイツ国がこれを賠償することを要求し、ドイツ国はこれを承認する(後略)(8) 。

戦争の被害全てを賠償する責任を敗戦後の条約によって新たに作り出すものなのです。ですから当然別に不法行為ではなく合法な戦争の被害であっても、もし敗戦後その被害に対する責任が書かれた条約を締結したら(この点が行為時点に於いて既に責任がある補償とは決定的に違う)賠償しなければなりません。逆に言えば、戦勝国は決して戦争賠償は行わないのです(逆に補償においては、戦勝国だってそれを行う可能性があります。事実、アメリカは日系被強制収容者に補償を行いました)。

当時の韓国軍事独裁政府に支払った経済協力金はこの種の戦争賠償だったと言えるでしょう。ですからその経済協力金に対して「日本は戦争をしていなかった」という論法をもって後から批判することは可能です(でもやって何の意味があるの?)。問題は、賠償と補償には直接的な関係は何もない以上、補償を求める韓国在住韓国人への反論には成り得ないということです。もちろん多くの場合何の関係もないこの戦争賠償と補償はごちゃ混ぜにして行われます。当時の韓国軍事独裁政府と日本政府もそれを望んでいたのかもしれません。しかし日本国憲法はそれを許す様な条文ではありませんでした。ですから、政府は経済協力金に戦争賠償と補償両方の意味を持たすことを期待していたのかもしれませんが、それは法的に不可能である以上、経済協力金は戦争賠償の意味しか持たないのです。そしてそれは補償問題とは全く関係がない。

そしてまた、補償は(戦争被害そのものではなく)戦争などの原因によって生じた不法行為の被害を補償するものである以上、韓国に幾ら資産があったなどという事情は一切何の意味もありません。自分が殴った相手がお金持ちだったとしても(このような例えもまた誤りであるのだが、それは後で説明する)、だからといって殴って出来た怪我の治療費を支払わなくも良いということにはならないでしょう?補償において重要なのは不法行為によって幾ら損害が出たかということ一点なのです。

なおここで「それだったら日本が海外に残した資産に対しても補償権が主張出来るのでは?」という声があるかもしれません。しかしこれは不可能です。まず政府の所有物であった資産については、これはそもそも日韓基本条約を締結した当の政府の財産ですので請求できません。日韓基本条約を締結した時点で、政府には自らの韓国における財産権を放棄したとみなされます。確かに日本国憲法は国が人々の財産権を放棄させることは禁止していますが、しかし国が国自身の財産権を放棄することは禁止していないのです。

続いて企業・個人などの財産権、これは終戦直後ならもしかしたら主張できたかも知れません。しかし今は主張できないのですね。何故か?朝鮮戦争があったからです。朝鮮戦争というものはそもそもまだ終わっていない戦争ですからその戦争の責任が何処にあるか(僕的にはアメリカとソ連・中国なんだが……)は分かりません(戦争が終わったら戦争責任が明らかにされるという保証もないんだけどね)。ですから、これに関しては自然災害と同じようなものとして考えるのが適当だと考えます。では自然災害において財産権はどうなるかというと、これは自助努力・自己責任という形で、基本的に補償はされません。これが戦後60年日本国憲法とアメリカの庇護の元一度も戦争が無かった日本と、そしてその平和の国からちょっと北西にある米ソ冷戦の代理戦争の最前線として常に戦争状態だった韓国の違いなのです。

韓国に残った資産とは?

さて、このように法的な問題においては戦争の有無とか朝鮮半島に残した資産額とかは補償問題には全く関係ないことが明らかになったのですが。しかし政治的な問題として、その様な資産があるのに賠償をするというのは嫌という国民も居るかもしれません。どんなに法的に補償の必要性を要求しても、政策に関して最終的な権限を持つ国民が嫌だと思ったら補償は実現されませんから、これらの資産に関して説明する必要も政治的にはあるのでしょう。

ですがこの「在外財産調査会」が行った資産算出には大きな問題があります。成る程確かに資産だけを見ればそのような資産産出額も出せるかもしませんが、しかしその資産は実際は殆ど使い物にならなかったのです。何故なら、まず第一にそれらは植民地工業の為の施設であり、日本の工業施設と組み合わせて初めて何かが生産できる施設だったからです。

一例を挙げましょう。例えば朝鮮半島には1918年以降沢山の製鉄の為の工場がありました。日鉄の兼二浦製鉄所、日本高周波重工業の城津工場、清津の三菱鉱業製鉄所など……しかしこれらの製鉄工場は鉄鉱石から銑鉄という鋼鉄の原料を作ることは出来るのですが、その先は日本本土の鉄鋼業に搬出しなければ何も作れないのです。成る程これらの施設は確かに日本と韓国が一体だった時には製鉄の一端を担うという意味で金銭的価値は相当なものだったでしょう。しかし朝鮮半島が独立した途端、これらの価値は大きく下がったのです。「在外財産調査会」は日本の損失という観点から資産額を算出した為、これらのことは考慮に入れませんでした。ですから「在外財産調査会」の算出額をそのまま朝鮮半島の人々の終戦直後の資産額として考えるのには大きな問題があります。

また、これらの施設というのはそもそも朝鮮半島の人々の力が無かったら作れなかったということも考慮に入れるべきです。このような主張に対して『マンガ嫌韓流』は

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という風な「反論」をします。しかしこれは反論になっていないことは明白でしょう。日本が金銭を掛けたということと朝鮮人民が酷使されたということには何の矛盾も無いからです。例え何兆円もあったとしても、誰も働く人が居なかったらビル一個すら作れません。日本が朝鮮の為にお金を掛けたことは認めますが、それは朝鮮半島の人々が酷使されたということの反論には全くならないのです。朝鮮半島の人が日本の植民地近代化のために如何に酷使されたかは前々回(id:rir6:20050808:shihai)述べたので繰り返しません。

また、この様に植民地的偏頗性(工業施設が偏っていたということ)を持っていた工業資産でも、もし南北に分断されなかったならそれなりに独立後の経済再建に役立ったかもしれません。しかし実際は、日本が早くポツダム宣言を受諾しなかった為に38度線を境に朝鮮半島は南北に分断されました。その結果、例えば朝鮮半島においては北に発電所が集中していた為に、南では電力事情が極端に悪化しました。どんな立派な工場も電力が無ければただのでっかい建物です。しかもその後米ソ冷戦の始まりと共に南北関係は悪化し、1950年から53年まで三年に渡る朝鮮戦争が始まりました。この戦争によって朝鮮半島は壊滅的な打撃を受けました。つまり、当時韓国には何もなかったのです。1961年時点で、韓国人1人あたり国民所得はアフリカのエチオピア、モザンビークよりも少なかったのです。『マンガ嫌韓流』は「韓国は日本の資産を接収した!」と主張しますが、しかしそれはこれらのことを一切無視した妄想でしかないのです。

日韓基本条約の正当性

さて、所で『マンガ嫌韓流』では日韓基本条約について次の様なことを言っています。

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このような主張に対してはもちろん↓の様な反論も可能ですが

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それよりもっと重要なのは「『マンガ嫌韓流』の言う合意とは誰と誰の合意なのか?」ということです。『マンガ嫌韓流』なら臆面もなく「日本と韓国の合意だ!」とか言いそうですが、事実は日本政府と韓国軍事独裁政権の合意であるわけです。このような合意が果たして正当なものなのか?法的な水準ではなく政治的な水準で検証する必要は多々あるでしょう。

朝鮮半島は1945年8月15日解放されました。この日は韓国では光復節として祝日となっています(*12)。しかし解放の喜びもつかの間、朝鮮半島に北からソ連、そして南からアメリカが進駐します。そして1948年南ではアメリカの介入のなかで単独選挙が行われ、李承晩が大統領の大韓民国が成立します。しかしこの政権は当然アメリカの介入によって出来た政権ですから親米・反共な訳で、又日本の植民地政策というのは前々回(id:rir6:20050808:shihai)述べた様に、エリート層を作ってそのエリート層を使って効果的に朝鮮半島全土を支配するものでしたから、沢山の人々を極貧層にした代わりに、ごく一部に植民地支配によってとても利益を得た層が居た訳です。彼らは日本の植民地支配に協力していたから「親日派」と呼ばれる訳ですが、そういう人達も政権の大部分を占めていた、かなり強権的な政権だったのです。その様な政権の元で、例えば政府に批判的だった京郷新聞が廃刊に追い込まれたり、1948年4月3日、済州島で共産党の人々が武装蜂起したのをきっかけに抗争が始まり、そしてその中で軍・警察・右翼青年団が島民の少なくとも3万人(島民の10%)を虐殺した四・三事件などが起こる訳です。

当然この様な政権は選挙を行っても不正を行う訳で、1960年4月不正選挙に対する民衆デモが起き、そしてそれにより李承晩政権は倒れ、民主制へと移行します(韓国四月革命)。

しかしその民主制も長くは続きませんでした。朝鮮半島の分断というのは朝鮮の人々にとって悲劇以外の何物でもありませんから、民衆は常に朝鮮半島統一を望んでいた訳です。しかし李承晩政権の時代はそのような動きは「反共」の名の下に弾圧されていました。それが李承晩政権が倒れたことによって一気に吹き出してきた訳です。所がこれに危機感を持つ勢力が居ました、軍部です。軍部は当然最も反共親米的な所で、反北朝鮮ですから南北の平和的統一なんてものには反対です。そこで朴正煕少将が張都暎と共に「軍事革命委員会」を作って、1961年5月16日軍事クーデターを起こし政権を掌握します。ただちょっと補足すれば、その当時国民は四月革命以降混乱していた政治状況に嫌気がさしていた為、このクーデターをどちらかといえば支持していました。しかしそれはあくまでこの「軍事革命委員会」がクーデター後所定の政策目標を達成したら民政へ移行すると言っていたからなのですが、しかしその民政移行が為されることはありませんでした。

そしてこの朴正煕が1963年大統領となり、そして1979年暗殺されるまで韓国を独裁していたわけです。つまり日韓基本条約を結んだのはこの人の政権な訳ですが、ではこの人の政権は一体どんなものだったのでしょうか?

これ(朴正煕政権)については色々意見があります。韓国を経済成長させたのはこの人の時代でしたし、また悪化していた治安を回復しました。他の政権に比べれば潔癖だったという意見もあります。ですからこの人のことを好意的に評価する人も韓国には多いですし、娘である朴槿恵も現在韓国の国会議員なのですが結構人気です。

しかしその一方で「民主主義」という立場から見れば、朴正煕政権は紛れもない軍事力を背景とした独裁政権であることは確かです。彼の政権が国民の信任を得ていたと言う人は殆ど居ないでしょう。政治活動浄化法を作って反対勢力の政治活動を禁止し、KCIAというスパイ機関を作って国民を監視し、不正選挙を行い、多くの政治犯を逮捕し、彼の治世の元で大学や職場を追われた人の数は5万人以上です。1973年8月8日日本のホテルから金大中氏を拉致したのもこの政権の時な訳です。

そして外交面から言うならば、彼は紛れもない親日派でした。何せ昔は日本の士官学校を卒業し、満州国陸軍中尉にまで出世したのです。その様な彼が日韓基本条約締結の時に日本に甘い態度を取るのは当たり前でしょう。また彼は政治的には独裁政権だった訳で、国民の支持を得るには早く支援を引き出して経済を発展する以外にありませんでした。『マンガ嫌韓流』では当時の韓国政府が個人補償を拒否したことを理由に個人補償しなかったことを正当化しようとしますが

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それはつまり個人補償の形だとお金を経済発展の為に使えなくなってしまうという、朴正煕の独裁政権維持の為の要求だったのです。そして日本はその要求を呑み、独裁政権維持に手を貸したのです。

当然その様な日韓基本条約に対しては当時から反対の声が日韓双方で数多くありました。日本側では、日韓基本条約はそのような米国帝国主義の力によって成り立っている独裁政権に手を貸す様なものだという批判が学生運動の人などから数多くありましたし、また韓国では日本の植民地支配に対しきちんと謝罪をさせて、お金を「賠償金」か「補償金」として貰うべきであり、それをしないのは屈辱的外交だ、という批判がありました(そしてその二つの批判はどちらも紛れもない真実だったのです)。特に韓国では宗教家、大学教授団、弁護士協会、予備役将校などが反対し、野党議員62人が批准阻止のため辞表を提出した程の反対運動が巻き起こりました。

つまり、当時の日本政府は分かっていたはずなのです。日韓基本条約というものは韓国国民は勿論、日本国民すら支持していない、つまり日韓国民双方とも合意していない条約であることを。しかし調印した。これは明らかに民主主義の原則(そしてそれは日本国憲法前文においても人類普遍の原理として認めている)に反する行為であり、そして民主主義の原則に反する行為によって定められた条約である以上、そのような日韓基本条約に正当性は全くありません。そのことは1995年11月16日、日韓条約破棄決議案を満場一致で可決したことからも分かるでしょう。この期に及んでまだ日韓基本条約に基づいて補償要求を破棄することは、民主主義によって政治を行うという政治的責任の放棄に他ならないのです!

ドイツの戦後補償について

さて、次行きましょう。『マンガ嫌韓流』では日韓の戦後補償についてドイツの例を持ち出すことを次の様な主張をもって批判します。

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しかし僕はそういう安易に講和条約を結んで国家賠償を行わなかったということを含めて日本には見習って欲しいんだけどなー。冷戦の当時西ドイツの東側にあった国というのは殆ど独裁体制だったのね。例えば東ドイツには秘密警察シュタージ(*13)という有名な人権抑圧組織が居ましたし、チェコスロバキアでは民主化を求めておきた改革をソ連が軍事介入により弾圧した「プラハの春」なんて事がありました。このような非民主的な政権に国家賠償をすることは当然当時の西ドイツは認めなかったのです。そして日本もほぼ同じ状況だった訳ですが、しかし日本は韓国軍事独裁政権に国家賠償をして、そしてそれによって「補償問題は解決済み」と主張する訳です。日本とドイツが比較されるのはまさにその様な点からなのですね。日本が当時の韓国軍事独裁政権に国家賠償をしたのは明らかに日本政府の誤りであり、日本政府の誤りである以上、その責任は日本政府にあるのです。

また、『マンガ嫌韓流』では「ドイツはホロコーストなどだけにしか補償していない。しかし日本はホロコーストなどやってないのだから補償する必要はないのだ!」と主張しますが、しかしこれは「ホロコースト」という言葉が多義に渡ることを利用した悪質な詐欺でしょう。確かにもしホロコーストを「ナチスの迫害」という広義で捉えるならばドイツはホロコーストなどだけにしか補償していないというのはその通りです。しかしもしホロコーストを脚注にある様に「※ナチス・ドイツがユダヤ人などに対して行ったとされる、組織的な虐殺、または民族絶滅計画を指す。」とするのならば、ドイツはホロコーストなどだけにしか補償していないとするのは明らかに間違いです。

例えばドイツの戦後補償の一環として連邦返還法を検証してみましょう。これはどのような法律かといえばナチス・ドイツやその機関によって没収されたものの返還・賠償を規定する(http://www.ia.inf.shizuoka.ac.jp/~nakao/thesis/maruyama/M-1.htmlより">*14)ものです。これは日本の韓国人への戦後賠償における「貯金」や「未払給与」のようなものでしょう。さて、この内容のどこに「なお、この法律によって補償を受けられるのは組織的な虐殺、または民族絶滅計画によって損害を受けた者に限る」なんて文がありますか?何処にもないでしょう。また他にも「記憶・責任・未来」財団設立法という法律はナチスによって強制労働に従事させられた強制労働者に対し補償する為に作られた法律ですが、その法律によって補償された人の中にはホロコーストの犠牲者だけでなく、当時ドイツに併合されていたチェコの強制労働者も居る訳です。彼らは組織的な虐殺、または民族絶滅計画によって強制労働されていたのでしょうか?いいえ。彼らは別に虐殺されそうになったのではなく、強制労働させられていただけなのです。しかしドイツはそのような人にも補償しました。これらの事実から鑑みるに、ドイツはホロコーストなどだけにしか補償していないというのは、『マンガ嫌韓流』の文脈で言うならばデマとしか言いようがありません。

ヴァイツゼッカー大統領の演説について

次に『マンガ嫌韓流』ではドイツのヴァイツゼッカー大統領の演説についてこのような解釈を主張します。

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こっちが「やれやれ」だぜベイビー

要するに彼らは「ドイツは罪を認めてない。だからドイツに学ぶのは誤りだ」と言う訳です。これまた「罪」という言葉の多義性を利用した、前項の「ホロコースト」の例と同じ悪質なデマです。これに関しては、『マンガ嫌韓流』がここに関して元ネタにしたと思われる西尾幹二氏の『isbn:4163493603:title』に対して社会学者の宮台真司氏がBLOGで行った批判、http://www.miyadai.com/index.php?itemid=277:title]がそのまま適用できると思うのでちょっと引用します(宮台氏の他にも、例えば現代史研究家の清水正義氏は[http://www.geocities.jp/dasheiligewasser/essay1/essay1-6.htmで西尾幹二氏を批判していたりしますので、そちらもご参照下さい)。

彼は「戦争を知らぬ世代」に「罪がなくても責任がある」と言う。罪とは「非難可能性」のこと。「別様の選択可能性」に対応するカント的責任概念に相当する。大人は別の行為を選択できた「はず」だから罪があるが、子供は「はずがない」ので罪がないというのだ。

■「罪がなくても責任がある」の意味について、彼は1995年元旦の朝日新聞で、自分の車を他人が運転して事故を起こしたら、自分に罪Schuldがなくても責任Haftung(ドイツの法律用語では民事賠償責任にHaftungを充てる)を負うのがいい例だ、と述べている。

■先に紹介したヤスパースの議論には、将来のドイツ政府による戦後賠償を、根拠づける意図があった。だが東西ドイツの分裂ゆえに、戦後賠償は棚上げとになった。代わりに、政府や州や私企業が、ユダヤ人に限らず様々な戦争被害者に個人補償を拡大中である。

■ヴァイツゼッカーの議論は二つ目的がある。第一に、これらの個人補償の将来的継続を「責任Haftung概念」で正当化する。第二は、にもかかわらず「戦争を知らぬ世代」を、ネオナチ的反発の生じやすい「罪Schuldの重荷」から解放する。実に周到な目的設定だ。

■西尾幹二『国民の歴史』が言う。《ドイツの巨額補償は、賠償ではなく、ナチ犯罪に対する「政治上の責任」の遂行である。したがってどこまでも「個人」の次元で処理されねばならない。「集団の罪」を認めない歴代ドイツ政府の立場は、ここでこそ貫かれねばならない。ナチ犯罪にドイツ国家は「道徳上の責任」を決して負わない。…ただしドイツ国家が「政治上の責任」を果たすために、財政負担をする》。この男は何も分かってない。

■正しくはこうだ。全ての罪は「個人の罪」。年長の各ドイツ人に罪はあるが、戦争を知らぬ若者たちに罪はない。だが責任なら、車を貸した所有者が事故の罪を問われなくても責任を問われるのと同じ理屈で、全ドイツ人=集団にある。だから政府が個人補償を行う。

■ヴァイツゼッカーは言う。《罪は個人に関わると見る…世界観は、個人主義的かもしれない。一方、責任の問題とは、不正義によってもたらされた結果に対する責任だ。この場合の責任は個人とは結びつかない。…ドイツ人全員が責任を負わねばならない》(前掲紙)

■ヤスパースは「ドイツ政府による」対国家賠償を「集団(成員全体)の政治的罪」で正当化しようとした。ヴァイツゼッカーは対国家賠償に代わる「ドイツ政府による」対個人補償を「集団(成員全体)の責任」によって正当化しようとした。実はそれだけのことだ。

要するにヴァイツゼッカー大統領の言う「罪」というのは刑事責任のことなんですね。例えば人を殺せと命令したら殺人罪だし、あいつの財産を奪えと言ったら強盗罪、しかし例えオウムの組織が人を殺してもオウム自体が殺人罪に問われない様に、ドイツという国家自身がそういう「罪」を負うことはありえません。ましてやドイツにはもちろんその当時生きていた人も居ますが、しかし大部分が1945年以降に生まれた人な訳で、彼らはそもそもナチスなどもう無い時代に生まれたのですから、当然ナチスの戦争犯罪を手助けしたなんてこともありません。ですからドイツの戦後世代には刑事責任という意味での「罪」は無いのです。ヴァイツゼッカー大統領の言う「罪のある者」とはニュルンベルグ裁判などの法廷において裁かれた人のことであり、「罪のない者」とはそうでない人です。

しかし「責任」というのは民事責任のことです。例えば先ほど僕はオウム自体を刑事訴訟で裁くことはありえないと言いましたが、しかしオウムは民事訴訟にはかけられ、そして今もオウムの犯した犯罪の被害者へ賠償金を支払っていますね(http://info.aleph.to/shazai/index.htmlでも見たら良いんじゃないでしょうか">*15)。それと同じように、ドイツという国家に「罪」があるなんてことはあり得ないが、しかし「責任」は絶対にあるのです。ですからドイツは戦後補償に積極的なのです。

そしてこれは日本でも同じです。確かに今生きる大部分の日本人には、ヴァイツゼッカー大統領の言う意味での「罪」はありません。だってそもそも僕も『マンガ嫌韓流』の作者も日本が様々な犯罪を行った時代には生きていませんからね(もっとも、「戦後補償」の章の最初に言った社会保障に関しては今現在も続いているのだが)。ですが、しかしその一方で僕も『マンガ嫌韓流』の作者も同じ日本の国籍を持った日本人であるのですから、日本という国家組織が昔戦争犯罪を行ったら、それに対し「責任」を負って個人補償しなければならないのです。この「罪」と「責任」の区別は、日本でいう「戦争責任」と「戦後責任」の区別で言い換えても良いでしょう(これに関しては次回もうちょっと詳しく話す予定です)。

在日韓国人に対する戦後補償について

さて、最後に在日韓国人に対する戦後補償について考えましょう。『マンガ嫌韓流』では在日韓国人の補償問題について「日韓基本条約によって解決済み」という主張を行います。

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では再び実際に条文を見てみましょう。といっても補償問題について書かれているのは「日韓基本条約」ではなく「日韓協定」なんですが……

第二条

  1. 両締約国は,両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産,権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が,千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて,完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
  2. (略)
  3. 2の規定に従うことを条件として,一方の締約国及びその国民の財産,権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては,いかなる主張もすることができないものとする。

これが如何に違憲であるかは先ほど述べましたから繰り返しません。しかしもしこれが合憲であると認めるならば、確かに補償問題は法的にはそれを執行する義務はありません(政治的にはもちろんあるし、補償を禁止する様な条文は日韓基本条約及び日韓協定には無いが)。

でも、あれれー?(*16)3には何か2の規定に従うことを条件としてという言葉があるよ。何なんだろうね2の規定って?

2.この条の規定は,次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない

(a)一方の締約国の国民で千九百四十七年八月十五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産,権利及び利益

(b)一方の締約国及びその国民の財産,権利及び利益であつて千九百四十五年八月十五日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの

一方の締約国の国民で千九百四十七年八月十五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものってどういう人か分かりますかぁ?ずばり在日韓国人ですよ。物凄い簡単に要約すれば、「日韓協定は在日韓国人の補償問題には何の影響を及ぼさないんだよ♪」ってことが、日韓協定自体には書かれているのです。

つまり在日韓国人の補償問題は日韓協定が締結されても根本的に未解決なんです。だって条約及び協定にどうするかは書かれていないんだから(というか条約そのものに「在日についてはどうするかは決めてないよ」ってわざわざ丁寧に但し書きされてるんだよね……)。それなのに在日も含めて補償済みなんて言うのはちょっと無理があるんじゃないでしょうかねぇ……在日の国籍は韓国なので当然と言いますが、それが当然で無いということをこの条約ではわざわざ規定しているのです。

このように、在日韓国人の補償は未解決であることが韓国在住韓国人の補償問題よりも明確(韓国在住韓国人への補償の必要性が明確でないということではないのであしからず)なのです。そして国は誰かの財産権を侵害した場合、日本国憲法第二十九条により、その損害に対して正当な補償を行わなければなりません。もし日本政府がこれからも在日韓国人の補償を行わないのなら、日本政府は日本国憲法第二十九条を守らないばかりか、日本国憲法第99条の憲法擁護の義務も破ることになるのです。

国籍選択権云々については次の次の回で検証しましょう。

次回は『マンガ嫌韓流』の持つ歴史についての考え方について検証します。今までの検証によって『マンガ嫌韓流』の歴史に対する認識は殆どが間違いもしくは事実の矮小化であることが明白になったのですが、しかし何でここまで間違いだらけの歴史認識を『マンガ嫌韓流』は恥も知らずに行えるのでしょうか?その理由の一つとして、『マンガ嫌韓流』の持つ歴史観自体に根本的な欠陥があることがちょっと次回は指摘していこうかなと思います。それが8月中にかけるか九月になるかは分かりませんが……


*1: 以下「日韓協定」と表記

*2: もちろんこれは韓国の話で、北朝鮮在住者についてはここでは触れない

*3: 心的なものや社会的なことなども含めて

*4: 国籍を有する者と有する者の間に基本的人権の保護に関して差別が生じてはいけないということ

*5: ジョーク

*6: 在日朝鮮・韓国人の補償問題については後で述べます

*7: 軍属・志願兵のみ

*8: 軍属のみ

*9: ジュネーブ条約には捕虜の労働の賃金はその捕虜の所属国が支払う様書かれている

*10: 詳しい規定はリンク先の条文を参照

*11: http://www.geocities.jp/dasheiligewasser/essay3/essay3-2.htmより引用

*12: なお、この8月15日という日付にはISBN:4480062440など色々異論もあるみたいです。まだ読んでないので詳しくは知りませんが……

*13: 何かこう書くとどっかのヒーローアニメのタイトルみたいだな……

*14: http://www.ia.inf.shizuoka.ac.jp/~nakao/thesis/maruyama/M-1.htmlより

*15: 詳しくはhttp://info.aleph.to/shazai/index.htmlでも見たら良いんじゃないでしょうか

*16: 「名探偵コナン」で江戸川コナンが証拠を知らせたいときに発する音で読んでくれると幸いです:-)