sjs7アーカイブ

2007-05-13

[書く・書かれる]著作物は、別に燃やしてもいいと思う。

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/05/post_1142.php

 ただし、僕自身はまったく気にならない。自分の本が中古で売られようが、図書館でただで読まれようが、まったく気にならない(図書館よりは、中古販売の方が少しましか)。たとえば、「もう森博嗣なんか金輪際読むものか!」と本を山積みにして燃やされたとしたら、そちらの方が、古本屋や図書館よりは、多少良い状態かな、とは正直思うけれど……。

http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20070513#p1

確かに芸術は「常識」や「因習」を破壊する力があるし、それを行使するのは芸術家の役目だろうけど、マリネッティがファシズムに傾倒していったように、その破壊する矛の向かう先はいつも同じだ。

(略)

 本にせよ、DVDにせよ、それが完成するまでには多くの人の手が、関わっているものだ。著作者やモデルは、確かにその作品にとって一番大切なものだし、最も権利を有するんだろう。だけど、その表紙をデザインした者、その作品を編集した者、その複製に携わった者、その作品を売るために営業した者たちもまた、その作品を大切に思い、愛し、人生の一部としているはずだ。

 それを、看板だからといって、燃やしてほしいと言うのは、どういうことだ。

 作家たるものその糧は、凡人及びつかざる想像力へと供されるものだろう。

 それがアレか、怒られて逆ギレした子供アイドルと同じレベルか。

何か無理な議論だなぁと思った。

ゲームを燃やしたアイドルに対する揶揄について

個人の判断と、公共的な制度に対する考えは、当然別であるべき。

このひとは、まずゲームを燃やしたアイドルを、過去を破壊することに未来を見出した未来派(*1)と同じだと主張し、そして彼らがやがてファシズムに傾倒していったことから、このアイドルもファシズム的傾向を持っていると主張する。

三段論法に直すとこうなる。

  1. 未来派の考え方を持つ人はファシズムに傾倒する
  2. ゲームを燃やすアイドルは、未来派の考え方と同じ考え方である
  3. 故に、ゲームを燃やすアイドルは、ファシズムに傾倒する。

この論じかたの何処に無理があるかといえば、まぁ全てに無理があると思うのだけれど、強いて一つあげるとするならば、それは「未来派の考え方を持つ」ということが不明瞭にされている点だと思う。

つまり、

のか、それとも

のかという違いです(なお、個人の考え方と、社会全体に押しつける思想が別であっても構わないというのは、id:sjs7:20070506:1178411443で説明しました)。

そして、記事で紹介されていたアイドルは前者であり、id:screammachineが想定するような、ファシズムへ傾倒した未来派たちは後者でありました。

むしろ、未来派を完全否定する、id:screammachineの様な人の方が、ファシズムへの親和性は高い

僕も、確かに社会全体としてそのような未来派思想を唯一の正しい思想とする考え方がファシズムに親和的であることは否定しません。しかし問題は、じゃあそれを個人個人の考えとして持っている人にまで適用できるか?ということです。

僕は、そうは思えません。少なくとも、このアイドルには、別に「全ての人はゲームを燃やすべきだ」と主張しているわけでは無いでしょう。ただ、「自分はこういう考えだからゲームを燃やす」と、説明しているだけです。別に人に強制しているわけじゃない。それが何でファシズムへとつながるのか?

むしろ、そうやって個人個人が自由な思考をすることを否定し、「全ての人は未来派的思考を否定するべきだ!」と主張する、id:screammachine氏の様な人ほど、よほどファシズムへの親和性が高い気がします。(*2)

炎上により相手の口を塞ごうとする考え方=「全ての人は未来派的な考え方を捨てるべきだ」/炎上させようとする相手の意見さえ残そうとする考え方=「人はそれぞれ違う考え方を持っていて良い」

そしてそれは事実による証明というレベルに落とすと更に明確になります。あのアイドルがブログに「ゲームを燃やした」という記事を投稿したとき、id:screammachine氏と同じように「全ての人はゲームを燃やすべきではない」という考えを持った人達が、彼女のブログを炎上させました。つまり、数の力を背景にして、相手のブログを潰そうとしたわけです。しかしじゃあそれにたいして彼女は何か報復したか?いや、むしろ彼女は、その批判コメント全てを残すと宣言しました。

これが本当に「正しい」措置であったかどうかは問いません(*3)。しかし、少なくともその措置を取ろうとする意志は尊敬します。つまり彼女は、例え相手のブログを炎上させて、相手の口を塞ごうとする考えの持ち主に対しても、その存在を認めたのです。その背景にあるのは「全ての人はそれぞれ独自な考えを持っていて良いんだ」という考え方なのでしょう。

・・・id:screammachine氏は彼女のことを怒られて逆ギレした子供アイドルと揶揄します。しかし僕から言わせてもらえば、そうやって人を馬鹿にして、他者に「自分独自の考え方を持つ自由」を認めようとしない、id:screammachine氏や彼女のブログを炎上させた2ちゃんねらーは、確かに頭は良いかもしれませんが、少なくとも人間的には彼女よりずっと下のレベルであると言えるでしょう。

小説家の話に付いても、同じことが言えますから繰り返しません。

愛情と感謝について

ついでに付け加えるなら、id:screammachine氏は未来派的思考を否定する論拠として「作り手が愛情を込めた」ことを主張します。しかしそうやって「私が愛情を掛けて作ったんだから、どんなにつまらなくてもきちんとその愛情に感謝しなさい」なんて言うのは、僕から言わせればストーカーの愛情と一緒です。そんな愛情を一々感謝してたら、こっちが参ってしまいます。

著作物についての関係であるのは、その「著作物」が自分にとって役に立つか立たないか、これだけ。立てば保管するし、立たなきゃ捨てるか燃やす。

そもそも、何でその著作物を大事に保管することが、その著作者への感謝の表現となるのか?もし本当に著作者に感謝したいと思うなら、その著作者に手紙なりEメールなりで感謝の気持ちを伝えるべきです。例えば、僕に対して感謝したいんなら、僕のページをローカルに保存するんじゃなくて、僕のブログにコメントしたりトラックバックしたりしてほしいと、僕は考えます。

もちろんそれに対して別の考え方があることも僕は認めます。id:screammachine氏が、自分のページが閲覧者のパソコンにローカル保存されることを殊更喜ぶフェティシストだったとしても、別に僕にそれを批判する資格はありません。

ただ、そのフェティシズムが絶対と考え、その、確かに凡人及びつかざる想像力であるフェティシズムを理解しない人間を「想像力が貧困だ!」などと言う姿は、正直僕には可哀想な人の奇行だとしか写りませんでしたので、そのことを報告しておきます。

追記:お詫びと訂正(必ずお読みください)

id:sjs7:20070514:1179145432

*1: つっても僕はその人達の存在については、[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E6%B4%BE:title=wikipedia}以上の知識は持たないけど

*2: 敵のことを「ファシストだ!」と殊更に弾劾する人こそ、ファシストが多いということは、戦後のマッカーシズムなどを見れば明らかでしょう。

*3: むしろ僕は、そのような前例を作ることは、後々の人にとって迷惑になっちゃうんじゃないかなーと思います。