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2007-05-14

[生きる]考え方を変えてみる。

http://anond.hatelabo.jp/20070513133708

まー、基本的に実存主義者である僕としてはこういうのを聞いても「選びたまえ、つまり創りたまえ」としか言えないんですが、しかし創り方にもちょっとしたコツがあるのは事実だと思うので、ちょっと幾つかの考える方法を提示してみる。

1.現実を違った方向から見つめてみる。

例えば、今この記事を書いている人は、自分の感情を元にこの文章を書いている訳だけど、それを感情を一切無視した事実だけにして、そこに全く違う感情を代入して書いてみるとどうだろう。

例えば

女に「俺と別れろ」と言った。

女は途端に泣きだした。これだから女って奴は面倒だ。

「俺は一匹狼だぜ。俺がどう生きようが俺の勝手だ。」

そう言うと女はじゃあ私も死ぬと言い出した。

それは困る。もしあいつが死んだら、俺は人殺しのような目で見られるじゃねぇか、別にあいつが死のうが何とも思わねぇが、俺の評判に傷が付くのは困る・・・

という風にしてみたり。

また、女性の立場から文章を書いてたりしてみるのも可だ。

今日、突然長年つき合ってた彼氏から「別れて」と言われた。

泣きながら何故?と聞いたら「俺には夢があるから」と言う。

男はいつもこうだ。自分の理想のために女性を犠牲にして、それで幸せを謳歌する。

もうそんなの嫌。それだったら、いっそ死んで楽になりたい・・・

だけどそう言ったら「俺を人殺しにするのかよ」と言う、一体何処まで勝手なの・・・

とにかく、こういう緊迫した状況こそ、事態を客観視することが必要でしょう。

2.前提を疑う

人は思考を行うときは必ずその思考の中に、俎上に上がらない無批判の前提を作っています。

例えば今回の記事でいうなら、

という様な前提です。

しかしこの前提が本当に正しい前提なのか?例えば、自分は「会社を続ける」ということを理想にしているけど、それはその様な行き方が望ましいと言う風な教育を受けてきたからそう思ってるのではないか?彼女は家業をついで欲しいというけれど、それもまた、長女の夫は家業を継がねばならないという教育を受けてきたからではないか。また、家業においても、自分は自己実現を出来るのではないか?

などという風に、前提を一度疑ってみることが重要でしょう。思考がアポリアに到達したときは、その前提を疑ってみることが肝要です。

3.第三者を含めて話し合う

しかし上記のようなことは、一人で考えると考え付きません。ですから、一人よりは二人の方がいいのですが、この場合彼女と話すと水掛け論になる可能性が高いです。そこで、双方に出来る限り中立な立場の第三者を交えるのが良いのでは無いでしょうか。

まとめ

もちろんこういう方法を取っても、何か上手い方法が見つかるとは限りません。ただ、どんな方法を取るにしても、それはあなたたちの決断であり、そうである以上、その責任があなたたちにあることも、また事実です。

「人殺しにしないでくれ」と言いますが、もしあなたの決断が、本当に彼女の死に帰結したなら、やはりあなたは(法的にではなく道義的に)「人殺し」になります。

逆に、もし自分の理想を諦めたとしても、そのことを彼女のせいにはできません。「おまえがあの時あんなこと言うから俺は理想を諦めたんだ・・・」と愚痴を言うことも出来ないのです。

僕的には、いっそ二人で全く別の場所(出来れば日本国外)に行って、一から何か始めてみりゃあいいんじゃないかと。でもそれによる不幸も、当然あなたたちの責任になります。

ただ、同じ不幸と責任なら、一人で背負うより二人で背負った方が、楽では無いかもしれないけど、幸せなんじゃないかと、僕は無責任に思ったりします。

えーと

何で僕はこんな記事を書いてるんだろ

[書く・書かれる]「著作物は、別に燃やしてもいいと思う。」についてお詫びと訂正

id:sjs7:20070513:1179059565

について、こんな反応が届いてました。

http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20070514#p1

いまいち問題形式にする意図が分からないので、本当に読解できてるか不安ですが、要するにid:screammachine氏は「著作物を燃やしては悪いなんて言っていない」そうです。

だとしたら、それはこちらの読解ミスなので、お詫びして訂正いたします。

本来なら、誤解の元に書かれた前記事は、削除すべきだと思いますが、削除するのもなんか面倒なので、最後にこの謝罪記事へのリンクをいれておきます。

ただ、一方でそうだとしたらid:screammachine氏が何で森氏を非難したり、某アイドルを罵倒するのか、意味がつながらなくなり(その答えがmixiから引用された文に書いてあるのではと思い読みましたが、何で自分に嘘をついてまで謝罪しなきゃいけないのか。「嘘を付くのはいけない」という倫理を超越するこの人独自の倫理観があるんだろうけど、それが全く分からないから全体の文の意味も分からない)ますが、それに対しては正直もうどうでもいいです。