sjs7アーカイブ

2007-05-18

この問題については、これで最後になる予定

[生きる]説教の効力について

僕の書くことをある程度読んだことのある人は知っていると思うのだけれど、僕は大の説教嫌いです。って説教が好きな人なんてそんなに居ないと思うのだけれど、僕の場合は特殊で、自分が説教されるのも嫌いだけどするのも嫌いだし、他人が他人に説教してるのも嫌。といっても、その行為を咎めて説教するのも嫌なので、その場を離れるか耳を塞いで目を閉じるんですけど。

で、なんで僕がそういうのを嫌うかっていえば、それは端的に僕が幼稚な人間だからなんだけど、ただ一つ言い訳させてもらうと、僕は人が何かを説教されることによって、その人が変わるなんていうことはほぼ有り得ないだろうと考えるんですね。そりゃ確かにその説教をして一時は変わるかもしれない。けれど、その人をそういう説教される行為に追い込んでいるのは、そういうのを許す構造が存在するからなんだから、説教なんかしてる暇あったら、その構造を無くすか、さもなくばそういう説教をされる様な行為をされてもなんともない構造をつくるべきじゃ、って僕は思う訳。例えるなら、カミナリおじさんはいつも野球ボールで盆栽を割られて怒ってるけど、それを怒っている暇があったら盆栽を守るフェンスでも作ったら?って思ったりする。

僕が学びたい学問として社会学を選んだのもそこら辺の理由があって、何かひどい行為があったとき、そのひどい行為をした人を説教して、それで満足してまた同じことが繰り返されるまでただ待つっていう、ワイドショーのやり方が凄く嫌で、それに対しひどい行為を個人の責任に帰すのではなく、社会構造の中にその原因を探るという社会学に惹かれたわけ。

だから、基本的に僕はブログでもそういう風に、個々の責任を追求する人に対し、「そんなこと言ったって○○があるんだからしょうがないじゃないか」という言葉を投げかけてきた。赤木氏のケースで言うなら、「若年層の貧困に中高年層は責任を持って、彼らを助けろ!」と説教するけど、そもそも自由意志で誰かが誰かを助けなきゃいけないという社会構造自体がまずいんじゃないの?と主張したし、id:NOV1975氏が「臨床心理士っていうのは大変に厳しい仕事であり、責任もとてつもなく重いのだから、それを目指すことには覚悟を持つべし」と言うことにも、そもそも一つの職業にそんな厳しい責任を押しつける社会こそ問題なんじゃないの?と主張した訳です。

それでも現場はなんとかしなくちゃいけない

ただ、一方で現場はそんな悠長なこと言ってられないだろうっていうのも、また一つの事実な訳で。

例えば、僕はid:sjs7:20070516:1179282356に

駄目なカウンセラーに苦しめられるクライアントも悲劇だけど、限界を割り切れないままもがき苦しみ絶望するカウンセラーも、同じように悲劇

と書いたとき、実は批判されることを覚悟していました(実際はそうじゃなくて、はてなって本当は結構優しいんだなぁと思いましたけど)。

どういう風な批判を覚悟してたかって言うと、「あなたは駄目なカウンセラーに苦しめられる人の痛みを知らないからそんなことが言えるんだ」という批判です。そして僕は、こういう批判が来たら僕は反駁することは全く出来ないな、と思っていました。

僕は「社会が悪い」と言って、個々人ががんばってもそのひどい状況はどうにもならないんだから、それよりもそのひどい状況を何とかする様なシステムを。みんなで考えようと主張します。しかし実際にそのひどい状況に苦しめられている人からしてみれば、そんなシステムなんてものが出来るのを悠長に待ってられないわけで。

例えば今現在も、id:NOV1975氏が言うような本来カウンセラーになるべきでない人がカウンセラーになってしまう現状がある。その現状を前にして、そんな「カウンセラーというものの存在の社会的意義をもう一度定義しなおそう」とかそんな悠長なことを言ってられない。そういう本来カウンセラーになるべきでない人に、「お前はカウンセラーになるべきではない!」と説教する、それが今もっとも必要なことである。それはまったくもってもっともな意見な訳です。

だから、そういう説教の効力を一切無視して、一概にカウンセラーの責任とかそういうものを持てという意見を批判したのは、現実離れした空論でしかなかったのかなと、そこは反省する訳です。

でも、説教には現システムを補強する「効力」もあるのでは

しかし一方で、僕なんかはこう思うんですね。「でも、本当にそういう説教を必要な人は、そもそもそんな説教聞かないんじゃないの?」と。

多分、真面目にid:NOV1975氏の言うことを聞き、更にその文章の意味を咀嚼できる人っていうのは、もうそれだけで十分カウンセラーの責任とかについて、知っていると思うんですよ。逆に言えば、本当にそういう駄目なカウンセラーっていうのは、そもそもこういう文章を読もうともしないし、読んでも多分その意味を把握しない。

更にいうなら、そうやって「臨床心理士」にはとても厳しい責任が必要なんだよと主張すればする程、そうやって臨床心理士に厳しい、本当に人が背負うのは不可能であるほどの責任を与えてしまう、そういうシステムを補強してしまう。

もちろん僕はid:NOV1975氏が社会的な構造への視点を忘れて、ただ「カウンセラー」という職を選ぶ個人にのみ責任を帰しているとは全く思わない。事実、彼は発端の記事においても、臨床心理士という資格が、本当に資格の名に値する審査基準ではないのではということを提示し、id:NOV1975:20070517:p2においては

本当は、その肩書きを承認してしまう社会がいけないのかも知れませんが。

という風に、その臨床心理士という資格の承認基準にも疑義を呈している。

でも、じゃあ臨床心理士という資格を運営する人が悪いのか?と問われると、それも違うのではと感じる訳で、臨床心理士という資格がこういう形で作られる背景には、そういう様な臨床心理士を必要とする社会の流れ(*1)があるわけです。それを無視して「臨床心理士」を安易に目指す人を非難し、臨床心理士という資格を無くしたとしても、また同じような資格が名前を変えて出てくるだけなんじゃないの?という考えが、僕にはあるのです。

例えば

臨床心理士の国家資格化という流れがあるそうです。ここら辺のことに関しては、本当に僕もネットで調べた以上の知識は知らないですから、間違いがあったら誰か教えてほしいのですが、臨床心理士の中でもそういう臨床心理士の水準の低さを何とかしたいと考える人があって、でそういう人が、国家資格になればもうちょっとちゃんとした資格になるんじゃないかと言って、臨床心理士を国家資格とする運動をしているらしいです。

でも、僕はそれで問題が解決するとは思えない。そりゃあ確かに、国家資格になれば審査基準も厳しくなるでしょう。しかし、それにより更に権威化は加速する。「その権威に見合うだけの知識を持てば良い」と言う人が居るかもしれないけど、でも心を完全に知るなんて、どんなに知識があっても出来るわけないんですから、権威に見合う知識なんてやっぱり不可能です。不可能なことを人に押しつけるシステムは、やっぱりおかしい。

id:NOV1975氏は「個人の不勉強」と言うけれど、例えば教育学の立場に立つならば、勉強できない/しない子というのは、別に始めっから勉強できなかった/しなかった訳ではない。ただ、勉強が理解できないままどんどん進んでしまったり、勉強に対し過度の期待を押しつけられることによって、勉強が出来なく"させられる"のです。

それと同じことが、臨床心理士にも起こってるのではないかと、僕は危惧します。

*1: =過度の心理主義化

この日へのコメント

NOV1975 2007/05/18 05:31
はじめまして。一点だけどうしても噛み合ってないと思いますので、直接コメントさせていただきます。
僕は「カウンセラーの資格」と称してその実としてカウンセラーが持つべき知識をきちんと学んだことを前提としていないものが多数ある現状を示す
http://www.halcounseling.com/sub13.html
を読んだ上で、そういう(似非)カウンセラー資格を持って自分は立派なカウンセラーとして人のことを救うことができるという
ほとんど勘違いに近い状態でクライアントに相対するカウンセラーが生まれてしまうことを危惧しています。
つまり、「カウンセラーになりたいからと言って安易な資格に飛びついてしまう」人を出さないようにしたい。
きちんと臨床心理士としての研鑽を積んだ人は、当然自覚もあり、責任がどこまであるかもわかっていると思っています。
上記のリンク先にはこうあります。
「あなたがどんなに良い人でも、
あなたがどんなに優れた思想を持っていても、
それは関係ありません。
効果が立証された心理療法・心理査定を、プロとして行うことが大切です。
あなたの信念によってではなく、臨床心理学によって仕事をしてください。」
強い信念を持ってすら、それだけではダメなのですから、まず初めに、カウンセラーという仕事を安易に考えていませんか、と僕はそう問いたいのです。
sjs7 2007/05/18 21:12
うーん、「カウンセラーという仕事を安易に考えて」、「カウンセラーが持つべき知識」を学習せずにカウンセラーになろうとしてしまう人が居るっていうのが問題なんですよね。

でもそれって別に臨床心理士固有の問題では無くて、例えば教員においては、今教員の指導力低下なんてことが問題になっています。

でも、それじゃあ教員の職業モラルが低下しているかといえば、そんなことはないと思うんですよ。ただ、社会システムが変動したことにより、今までの教育のやり方が通用しなくなり、教師に過度の負担が掛かって、その結果として教員の指導力が低下している(これはあくまで一つの見解ね)。

そして、もしそういう見方に立つならば、教師に「もっと教師としての自覚を持ち、技術を磨け!(教師という仕事を安易に考えていませんか)」つっても、それはますます教師の心的負担を重くするだけで、むしろ逆効果になるということになる。

で、僕はそれと同じことが臨床心理士にも起こっているんじゃないかと、思うの。

臨床心理士に対し今の社会は過度の負担を強いている。これがまず僕の第一認識。もちろんそれに対して「例え社会が私達に求める水準が過度に高くても、その水準を満たすよう努力するのが、その職業を担う人達の責任である」というのは、現場の倫理としては正しい。ちょうど自衛隊・警察の人が幾ら無茶な要求をされても、正式なコメントとしては「それを満たせるようがんばります」としか言わない(言えない)ように、その紹介しているページの人も、実際カウンセラーとして活動していますから、例え無茶な要求でも、それを満たせるよう頑張るのがカウンセラーとしての責務であると、主張するのは当然でしょう。

でも、じゃあそういう現場の倫理に社会は甘えてたら良いのか?と問われれば、やっぱりそうじゃないでしょう、というのが僕の考え。

例えば
>きちんと臨床心理士としての研鑽を積む
と言うけれど、じゃあそれを積ませる社会的システムは整っているか?
>当然自覚もあり、責任がどこまであるかもわかっている
というけれど、職業責任っていうのはやっぱり「社会がどれだけその職業人に要求するか」という社会システムによって規定される訳で、当事者が幾ら「責任はこれぐらい」と自覚したって、社会がもっと高い責任を要求すれば、そのもっと高い責任を呑まなければいけなくなる・・・

こういう社会システム上の不備を無視して、ただ臨床心理士がもっと自覚を持てば問題は解決するっつーのは、やっぱり単なる精神論にしか僕には思えない。そして、ちょうど「今の教師は頑張りが足りない」という床屋談義が教員の待遇改善などの要求を押し潰すように、そういう精神論も、問題の本質を見えなくするのではないかと、僕は思うのです。
NOV1975 2007/05/19 00:50
ごめんなさい。やっぱりずれています。
カウンセラー=臨床心理士ではないのです。
教師の例で言うと、「俺は大学で歴史の勉強をしたから歴史の先生になれるぜ」と言っているようなものです。教職も取っていないのに。
でも、臨床心理士以外の別のよくわからない資格でカウンセラーとして活動している人や、これからそうなろうとしている人がいます。
臨床心理士の資格が無いとカウンセラーになれないわけではないから、法律に違反しているわけではありません。けれども。
だから、ここで臨床心理士(つまり、相対的によりカウンセラーとして研鑽を積んでいるし、大変さを学んできている人)の話をしてしまったらそもそもの前提とずれているわけです。
問いかけている相手は臨床心理士ではないのです。
sjs7 2007/05/19 01:52
まぁ別に歴史の教職免許持ってなくても歴史は十分教えられると思うけど、それは置いといて。

要するに「臨床心理士こそカウンセラーの常道なのだから、その資格をとらずしてカウンセラーになることは危険だ。そこをだまされるな」と言いたい訳なのかな。

まぁ、それだったらそういう主張も「あり」なのかなと思います(ただ僕は、そもそも今の「カウンセラー」という職業の社会的基盤こそを問題視しているから、臨床心理士になっただけでそういう問題が解決するとは思えないけど、それは見解の相違で片付きます)。

ただ、そうだとしたらやっぱり
>その道は、何人もの人の人生を背負い込み、何人かは救うかもしれないけれども、何人かは救えず、何人かは壊すかも知れない道だろう。本当に自分がそれを背負えるだけの強さを持っているかどうか。良く考えろ。
という文章をその根拠に持ってくるのは納得できない。こんな過剰な責任(感)、例えどんな資格を持ってても背負うことは出来ないんじゃないかなぁ。
NOV1975 2007/05/19 02:57
いや、そこが核心だから、置いといてはいけないと思うんですが、歴史の、しかも自分が大学でかじった部分しか本当は教えられない人を「教師」という権威付けができますか、ということですよね。
>「臨床心理士こそカウンセラーの常道なのだから、その資格をとらずしてカウンセラーになることは危険だ。そこをだまされるな」
そうではなく、「臨床心理士と言う(かなりの知識と実践による経験を伴う)資格ですら真の(というと語弊があるかもしれませんが便宜上)のカウンセラーたるには
十分でない。ましてや、その道が大変だからといって安直な資格のみで自らをカウンセラーとすることは到底本当のカウンセラーと呼べない」
といったところです。あまり上手く表現できませんが。
臨床心理士を国家資格にしたい人は「臨床心理士のレベル」ではなくて「カウンセラーと名乗るもののレベル」の低さを危惧しているんだと思いますよ。
僕は無制限責任を持つべき、と言っているわけではありません。自覚をもってやっている人に責任を取らせたいわけでも。
でも自分に「カウンセラー」という肩書きをつけることについては責任を感じて欲しいと思います。