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2007-05-21

[使い回し]日本国憲法無効論を批判する

何かブログを更新している暇が無いので、ある場所で書いた文をそのまま載せておく。というのも、何か八月革命説に対する批判をある人が述べてて、それに結構ブックマークが付いているのを見たから、こんな文章でも需要がありそうなんで。

さて、これから私は「日本国憲法無効論を批判する」というタイトルを付けたことから分かるように、日本国憲法無効論を批判したいわけですが、まぁ批判する前に、「日本国憲法無効論」というものの主張を簡単にまとめてみます。

無効論の概要

1.「妥当性」と「実効性」が日本国憲法にはなかった

無効論はまず第一に、法というものは「妥当性」と「実効性」が必要だと主張します。彼らの主張によるとその意味は「規範意識において、改正に手続的な不備が無かったか」、ということと「それが実際に用いられたか」ということだそうです。そして彼らは、帝国憲法においては75条において「憲法及び皇室典範は摂政ーつまりその天皇の政治を助ける人ーを置くの間これを変更することを得す」という規定を盾に、占領下の日本というのは天皇が自由に意志決定できない、つまり摂政を置かれているのと同じ状態だったから、帝国憲法はそもそも改正できず、つまり帝国憲法の改正を詐称する日本国憲法は無効だと、そう主張するわけです。

2.憲法改正を日本に迫るのは違法

そして第二に彼らは、そもそも日本の政府は、確かに降伏したけれど、その降伏は無条件ではなかった。「国体」の維持という条件を含めた上での降伏であり、憲法改正などは想定されていなかったと主張し、

更にハーグ陸戦条約の「占領軍は現行法規を変更できない」とする規定を盾に、憲法改正をアメリカが押しつけたのは国際法的に違法であり、違法な行為の上に立てられた法律である憲法は無効であると、そう主張します。

3.外国の手による押し付け憲法だった

そして最後の第三に彼らは、そもそも日本国憲法は外国の脅迫によって押しつけられた「押しつけ憲法」であるのだから、無効であるべきだと主張するわけです。

法的問題と政治的問題の峻別

さて、では早速これらの主張を批判していきたいと思うのですが、その前に、これらの問題を「法的問題」または「制度的問題」と「政治的問題」、または「事実的問題」とに峻別してみたいと思います。

何故そのような峻別が必要なのか。それは、この二つのカテゴリの違いによって、その問題をどう考えるべきかが変わってくるからです。しかし無効論者はこの二つを全く同じものとして考えます。

例えば、無効論者のある人は終戦後初めての、20才以上の男女全てが参加した総選挙の選挙広報を調べ、そしてそこに憲法についての考えが殆ど書かれていなかったことから、「あの憲法は前文に書かれているような国民の同意を得たものではなかった」と主張し、故に憲法は無効だと主張します。しかし、良く考えてみれば分かることなんですが、例えば国会では選挙から次の選挙までの間に毎回数十以上の法案が成立していきますが、その内選挙の争点になり、実際に主張される法案は半分にも満たないでしょう。しかしだからといって、それらの法が「法的」に無効であると主張し、選挙で争点にならなかったから無効であると裁判に訴え出ても、99%却下されるでしょう。もちろん、「法律は広く国民の間で議論にかけられなければならない」という「政治的」な論理からそのようなことを批判するのは可能なわけですが、しかし「法的」な論理においては、選挙によって選ばれた議員は、国民の意志を代弁してるのだから、憲法に反しない限りその議員達が作った法律は有効なわけです。

もちろん選挙で選んだからって完全に国民の意志を代弁してくれるなんていうのは、一種のフィクションです。しかし「法的」な論理というのは、そのようなフィクションの上に成り立っていることが多々あるわけで、そういうのを無視して全てを「政治的」な論理の側面から考えてしまえば、憲法どころか今の国家そのものを壊しかねないのです。故にそれらは峻別しなければなりません。

法的問題

1.憲法制定は「伝統」によるか「主権」によるか

さて、そのように峻別していきますと、1と2はまさに法的な問題です。

ではまず最初に1について考えてみましょう。無効論者は規範に沿った「妥当性」と実際に用いられているという「実効性」こそが法の効力を発する条件だと主張します。

しかしこれは多分に怪しい。

この主張の根拠になっているのは尾高朝雄氏の「ノモス主権論」です。これはつまり、法が何かを規制できる理由を、その法が昔から人々を規制してきたというノモス=「法の究極にあるもの」=「伝統」に求める考えです。つまり法が長年に渡り続いてきた日本の「伝統」に合致しているという意味の「妥当性」、及び実際に法が人々を拘束してきたという歴史の証明としての「実効性」です。

そしてこの考え方に立つならば、当然明治憲法の天皇主権といった「国体」的伝統に基づかない法律は無効になります。何故ならその法を存立させる効力がありませんから。当然この考え方においては、伝統による法の権威を否定する「革命」は、一切認められません。

しかしこれがおかしいことは、世界史を少しでも知っている人間なら誰でも分かるでしょう。例えばフランス、かの国においては1789年から始まったフランス革命によって、それまでの旧体制=アンシャンレジームが全否定され、全く新しい共和制というものが国の法となりました。しかしじゃあフランス革命に以降の共和制によって産まれた法・政府は何ら効力を持たないのか。そんなことはありません。今のフランスは、そりゃ確かに暴動とかも起こりますが、基本的に国として体をなしています。

そしてそれはドイツ・アメリカなどの共和制の国にたいしてなら殆ど言えることですし、更に言えば日本やイギリスのよう国だって、別にずっと王室が国を支配してきたわけじゃない。日本の場合は歴史論争になりますのでとやかく言いませんが、イギリスにしたって、古代においては古くから住んでいたケルト人のノモスを、ゲルマン人が壊した上に王室や国家が建設されたわけです。じゃあ彼らの国の法には効力がないのか?そんなことはありません。

法の効力は、専制君主国家ではない近代立憲国家ならば、やはり「伝統」ではなく「国民」に求められるべきでしょう。つまり社会契約に基づいて国が存在する以上、国の権力の源泉、及び国の権力を操る権利を持つ人は、国民であるべきという考え、「国民主権論」の登場です。法の効力は、「国民」の意志にあるのです。その考え方に立てば、ノモス主権論の言うような、「その法が規範意識に基づいている」という意味での妥当性及び「その法が現実に適合している」という意味の実効性は必ずしも必須条件ではありません。問題となるのはその法を国民が認めたか否かです。

そしてこの国民主権論に基づいて日本国憲法の効力を根拠づけたのが「八月革命論」です。これはつまり、ポツダム宣言を日本が受諾した時点を持って、憲法を制定する権力、つまり主権が、天皇から国民に移った。または、社会契約論的な観点からいうなら取り戻されたわけで、

これは実際の条文上からいうなら、まさに天皇の権限によってのみしか憲法が改正されないという、帝国憲法75条等が、実質的に失効したということで、そしてその後、日本国民の意志を持って、衆議院の議員が選出され、その衆議院の議決により日本国憲法が制定されたと、そういうわけです。

ここで注意したいのが、無効論者は「革命」というとき、政治的な意味での「革命」と法的な意味での「革命」を混同して、当時の日本では別に政府への抵抗運動なんか起きていなかったというようなことから、日本に革命など起こっていなかったと主張します。けれど、それは全くお門違いな意見で、法的な意味での革命っていうのは、「主権が王・貴族などから国民へ委譲される」、ただこれだけです。ですから、確かに事実的な意味で1945年8月に革命が起こったというのは無理がありますが、法的な意味においては別に何もおかしくない。もし「革命」という言葉がどうしても嫌なら、「8月に主権が天皇から国民に委譲された説」と呼んでも良いのです。

ついでに、主権についてもうちょっと説明すると、ここで言う主権とはつまり「他人の同意なしにすべての人々あるいは個人に法をあたえる権」です。そして大日本帝国憲法においては、御存じのようにまさに天皇こそがこの権利を持っていた訳です。しかし八月革命により、例え天皇であっても、国民の同意無しには法をあたえることは出来なくなり、変わりに国民が、法を制定する権利を得た訳です。なお、ここで言う主権は日本内における対内的な主権ですから、対外的な主権、つまりサンフランシスコ講和条約で回復したような、国家の主権ではありません。

さて、ここでは憲法の効力を保証する理論として八月革命説を紹介しましたが、実はこれ以外にも日本国憲法の効力を説明する理論があります。それは「形式的法治主義論」というもので、これはつまり、法律というのは、そこに条文として存在することが全てであり、存在する条文により憲法の効力は保証されるという、ちょっと自己言及的な理論です。

この論によってどうやって現憲法の効力を保証するかというと、憲法75条では「摂政をおいているときは憲法を制定できない」というんですが、これをその条文が何故制定されたかなどの背景を全て無視して、条文をそのまま当てはめるんです。そうすると、当時「摂政」という地位に居る人物は存在しなかった、だから憲法は改正できたと、そう主張する訳です。

しかし今回はこの説は取りません。何故なら、この説では、じゃあ改正手続きに文義的に則ればどんな風にでも憲法は改正できるのかという点で、問題があるからです。つまりこの説をとれば、今の日本国憲法でも、手続きに則れば、全く非民主的な、大日本帝国憲法みたいな憲法に改憲することが可能になってしまう。それはちょっとまずいだろうと思ったので、今回は特に主張はしませんでした。

2.条約上の問題

そいじゃ次に、条約面での問題に移ります。

まずハーグ陸戦条約について、これはまぁ簡単にいえば「日本はその時交戦中では無かった」、これに付きます。つまり、ハーグ陸戦条約の「占領軍は現行法規を変更できない」って言うのは、双方の国が互いに戦闘しているときの占領地に対して適用されるんですね、だから日本の場合には適用できないし、またもし適用出来たとしても、国際法には「特別法は一般法に優越する」という原則がありまして、特別法とはつまり、ポツダム宣言のように日本国とアメリカとの間に適用される条例で、一般法とはハーグ陸戦条約のように万国に適用される法のことなんですが、例え百歩譲ってハーグ陸戦条約のこの条文がGHQによる日本の占領に適用出来るとしても、後にのべるようにポツダム宣言で「国民主権にするように」と定めている以上、そのように憲法を変更するのは一般法に優越する特別法に書かれた日本側の義務ですから、それはしなきゃいけなかったし、それをしない場合、その義務を履行するようにGHQから求められるのは、当然な訳です。

しかしこう主張すると、無効論者は「いや、ポツダム宣言には別に憲法を変えろとは書かれていなかった」と主張します。ですが資料に掲げたとおり、ポツダム宣言には明確に「日本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし」と書かれています。

ただここでも無効論者は「大日本帝国憲法は十分民主主義的な憲法だ」と主張します。ですが例えどんなに小手先で議会民主制を整えたとしても、あくまで主権が天皇にある以上、それはあくまで民主主義ではありえない。大正デモクラシーのことを例に出して、大正デモクラシーの様に大日本帝国憲法下においても民主主義がある程度成立した時期もあるんだから、大日本帝国憲法でも十分だと主張する人もいますが、しかし問題は、しかし大正デモクラシーの後に日本はまさに治安維持法や天皇機関説事件などに見られる全体主義的傾向に走った訳で、大日本帝国憲法には、権力が暴走したときにそれを止めるという、憲法の最も重要な機能が欠けていた。そうである以上、日本国を民主主義国家にするというポツダム宣言の条文を守るためには、憲法は新しく作らざるを得なかったのです。

3.押しつけの「政治的問題」と戦後革命

さて、今まで僕は法的な問題について話してきました。しかし例えそうやって法的に憲法が正統性を持つと言っても、やはり憲法がGHQの占領下で、GHQの圧力を受けながら作られたことには変わらない訳です。

もちろんこのことは法的には何も問題になりません。何故なら日本国は降伏文書で「天皇及日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施する為適当と認むる措置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かるものとす」というように、GHQの制限の元におかれることを認めたわけですから、ポツダム宣言を受諾した以上、憲法制定がGHQの制限の元におかれるのは当然な訳です。

押しつけは何故生まれたか

ですがやはり国民感情的な問題として、外国の草案をもとに憲法を制定するのは、何か納得できないところがあります。

しかしじゃあ外国の制限・圧力を抜きにして新憲法を制定することが出来たか?

これは出来なかったといわざるをえない。何故なら連合軍の指示無しには、日本国政府は治安維持法の廃止と政治犯の釈放すら出来なかったのですから。事実、政府は憲法改正案を独自に考えますが、その内容は「天皇は至尊にして侵すべからず」というように、結局主権は天皇が保持したままだった訳です。

だから日本国政府は、憲法案を「押しつけ」られた。もちろんその押しつけられた憲法を最終的に承認したのは、選挙によって選ばれた議員だったわけですから、押しつけられたのは日本国民というより日本国政府だったわけです。

押し付けられた日本国憲法を、しかし自らのものとした戦後60年の日本

が、しかしやはり憲法案がある程度GHQの意向により決められ、それに日本は従わざるを得なかったというのは、認めざるをえません。その意味で、確かに憲法制定時点では、日本国憲法は政治的に見れば怪しさを残したものだった。

しかし一方で、日本は戦後60年、この憲法を守ってきた訳です。このことを保守派は「当時のGHQの支配を日本国民が内面化して、憲法改正を『タブー』としてきたからだ」と主張します。ですが、自民党が55年の結党宣言で憲法改正を党是とし、三島由紀夫や江藤淳といった文化人がたびたび憲法批判の本を出してきたことからも分かるように、別に日本国では憲法改正論は、例えその基本精神そのものを疑う議論でも活発に論じられた。それに対してドイツでは、憲法の基本精神を疑うことは法により罰せられるわけで、少なくともドイツに比べれば日本では憲法は全くタブーではありませんでした。

しかし憲法改正を政治家が公に主張することは出来なかった。何故か?票を失うからです。「票を失うからそういう主張はしない」というのは、タブーでもなんでもなく、民主主義の健全な姿です。

つまり、戦後60年の間、日本国民はずっと憲法を守ってきた。確かに制定当時は、政治的に押しつけの面はあったかもしれませんが、しかしその憲法を国民がずっと守ってきたという意味で、現時点では、そのような押しつけられたという疑義は解消されるのでは、ないでしょうか。

結.もしも憲法無効決議が採択されたら

最後に、ではこのような数々の法的・政治的批判を全て否定して、日本国憲法を無効と決議し、大日本帝国憲法を復活させることが、一体何を意味するのか?そのことについて、考えてみます。

もちろんそんなこと、世界中の殆どの国で為されたことがない訳ですが。その行為を「主権を再び国民から引きはなす」という風に考えると、一つだけ世界史上に例があります。

それは「全権委任法」です。1933年、ナチスが作った法律で、その内容は、政府が法律を独断で制定し、そしてそれは憲法によっても規制されないということを定めた法律です。法律を制定する権力を国民から切り離して自分達の手に置き、その邪魔になる憲法を否定するという意味で、それはまさに憲法無効決議と同じ意味を持つと言えるでしょう。

そして、その結果ドイツはどうなったか?政府を縛るものが一切無くなった結果、ナチスは憲法に何の気がねなく、自分と敵対する政党を解散させたり、小数民族や障害者を好公的に差別し虐殺し、そして世界全体を、「世界帝国建設」という、自分の妄想を具現化するための戦争へと巻き込んでいったのです。

憲法無効決議とは、このようなことを「出来る」ようにする、そんな決議です。それは憲法によって政府は規制されるという立憲主義の否定であり、そしてまさに国民が最終的な憲法制定権力を持つという民主主義そのものの否定でもあります。そのような決議を主張することがどのような帰結をもたらすか、みなさんには良く考えて欲しいと、僕は思います。

参考文献・リンク:

芦部信喜、1999『憲法 新版 補訂版』岩波書店

伊藤真、1997『伊藤真の憲法入門-講義再現版』日本評論社

小山常実、2002『「日本国憲法」無効論』草思社

島静一、2006『私が見た 憲法・国会はこうして作られた』岩波書店(岩波ブックレット)

高橋和之、2005『立憲主義と日本国憲法』有斐閣

樋口陽一、2002『憲法 近代知の復権へ』東京大学出版会

同、2000『個人と国家』集英社(集英社新書)

同、1989『自由と国家』岩波書店(岩波新書)

渡部昇一・ 南出喜久治、2007『日本国憲法無効宣言』ビジネス社

国際法研究所(同志社大学教授新井京)「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約〔抄〕」(http://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/hr.htm#)アクセス日:2007/05/14

国立国会図書館「憲法改正私案(一月四日稿) 松本丞治」(http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/058c/058ctx.html)アクセス日:2007/05/14

同「憲法条文・重要文書-降伏文書」(http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j05.html)アクセス日:2007/05/14

同「憲法条文・重要文書-大日本帝国憲法」(http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html)アクセス日:2007/05/14

同「憲法条文・重要文書-日本国憲法」(http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j01.html)アクセス日:2007/05/14

同「憲法条文・重要文書-ポツダム宣言」(http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html)アクセス日:2007/05/14

資料

大日本帝国憲法

第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

第73条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ

2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

第75条 憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス

ポツダム宣言

十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ

降伏文書

下名ハ茲ニ「ポツダム」宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スルコト並ニ右宣言ヲ実施スル為聯合国最高司令官又ハ其ノ他特定ノ聯合国代表者ガ要求スルコトアルベキ一切ノ命令ヲ発シ且斯ル一切ノ措置ヲ執ルコトヲ天皇、日本国政府及其ノ後継者ノ為ニ約ス

(略)

天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス

松本案

第三条 天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス

第七条 天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会、閉会及停会ヲ命ス

日本国憲法

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

ハーグ陸戦協定

……之カ為戦争ニ関スル一般ノ法規慣例ハ一層之ヲ精確ナラシムルヲ目的トシ、又ハ成ルヘク戦争ノ惨害ヲ減殺スヘキ制限ヲ設クルヲ目的トシテ、之ヲ修正スルノ必要ヲ認メ……

第三款 敵国ノ領土ニ於ケル軍ノ権力

第四二条[占領地域] 一地方ニシテ事実上敵軍ノ権力内ニ帰シタルトキハ、占領セラレタルモノトス。

占領ハ右権力ヲ樹立シタル且之ヲ行使シ得ル地域ヲ以テ限トス。

第四三条[占領地の法律の尊重] 国ノ権力カ事実上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶対的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ回復確保スル為施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ尽スヘシ。

この日へのコメント

774 2007/05/27 17:36
「そしてまさに国民が最終的な憲法制定権力を持つという民主主義そのものの否定」
というのは、まさに占領軍が行った日本国憲法の押し付けのことでは?
inosisi650 2007/05/27 18:47
こんにちは。基本的には新しい有効論、南出喜久治氏の「新無効論」(講和条約説)を支持している者です。
「大日本帝国憲法75条違反」についての説明は、こんなかんじです。→http://inosisi80.iza.ne.jp/blog/entry/123476/
釣本直紀 2007/05/28 00:07
ここは実に良いページです。もっと読まれて然るべき。
以下、感想文を書きます。議論はしません。


>帝国憲法75条に反している

理屈はどうあれ憲法は守るべき。事後の国民の同意や革命を理由にしては、憲法は破り放題になってしまう。


>改正手続きに文義的に則ればどんな風にでも憲法は改正できるのか

手続きに則ってさえいれば一切構わない。


>大日本帝国憲法は十分民主主義的な憲法だ

世界的にみれば民主的だったと思う。何が真の民主主義国家で何が偽の民主主義国家かを決める権限が連合国軍にあるのか。


>外国の制限・圧力を抜きにして新憲法を制定することが出来たか?

出来た。治安維持法の廃止と政治犯の釈放と天皇主権は何の関係も無い。


>日本は戦後60年、この憲法を守ってきた訳です

目的を持って保って来たのではなく、ただ変えられなかっただけ。


>しかし憲法改正を政治家が公に主張することは出来なかった。何故か?票を失うからです。

根拠が無い。


>大日本帝国憲法を復活させることが、一体何を意味するのか?

大日本帝国にはなるだろうが、ナチスドイツにはなり得ない。
共産党は反日左翼政党 2007/07/14 08:11
日本共産党や社民党だけは改憲に反対しているが、その真の理由を語っていないし、また口が裂けても言えない。
inosisi650 2007/10/18 19:04
http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/24134041.html
「大日本帝国憲法」現存証明
弁護士・憲法学会会員 南出 喜久治

大日本帝国憲法(以下「帝國憲法」といふ)は現在もなほ効力を有してゐる最高規範たる憲法である。

その理由はかうである。昭和二十七年四月二十八日に発効したサンフランシスコ講和条約(以下「講和条約」といふ)は、第一条において、講和条約が発効するまでは「戦争状態」であつたとする。ところが、日本国憲法と称する占領憲法第九条第二項後段では、

「国の交戦権は、これを認めない。」とあるので、占領憲法では講和条約の締結権限はない。

蓋し、交戦権とは、戦争を始め(宣戦権)、戦闘を遂行又は停止し(統帥権)、戦争を終結して講和を締結すること(講和権)に至るまでの一連の行為に他ならないからである。

また、占領憲法では、戦争を放棄し交戦権が認められてゐないので、その施行時に戦争状態であつたことは、占領憲法の致命的な矛盾であり、その施行当初から憲法としての実効性がなかつたことになる。

つまり、大東亜戦争を宣戦して戦闘を遂行し、ポツダム宣言を受諾し降伏文書に調印して停戦し、その結果独立が奪はれて軍事占領に置かれ、その後に講和条約を締結して戦争状態を消滅させ独立を回復するまでの一連の行為は、帝國憲法の宣戦大権(第十三条)、統帥大権(第十一条)、講和大権(第十三条)を根拠とするものであつて、

講和条約締結時においても、帝国憲法には憲法としての実効性があつた。

そして、独立を喪失した軍事占領下で占領憲法が帝國憲法の改正として成立したとしても、それは、憲法改正が禁止される摂政設置時といふ国家の通常予測される変局時以上の異常なる変局時である軍事占領下の非独立時に憲法改正はできないのは当然であるから(第七十五条)、

占領憲法は憲法としては無効である。

占領憲法は、講和条約に至る一連の講和の条件として履行された結果であつて、帝國憲法第七十六条第一項により、帝國憲法の根本規範に抵触しない限度において、ポツダム宣言受諾から講和条約に至るまでの一連の講和条約群の範囲内でしか効力を有しない。国際法上、軍事占領下の非独立国であつても例外的に独立を回復するための講和条約を締結できるが、一般の条約は締結できない。

もし、この唯一の例外を認めないと、講和条約は無効(又は不成立)となり、我が国は未だに独立してゐないことになる。

一般には、非独立国は国家とは言へず、講和条約以外の一般条約を締結できる当事国能力がなく、条約を締結しうる主体とはなりえないのである。従つて、講和条約の締結権を、独立国であることを前提とする占領憲法第七十三条第三号に求めることはできない。

それゆゑ、我が国は、帝國憲法下で独立し、帝國憲法が最高規範たる憲法として今もなほ現存し、その下位法令として占領憲法といふ講和条約の性質を持つ法令が存在するに過ぎないことが国法学的に証明されてゐることになる。

憲法としての無効原因はこちらから(1)~(3)があります。
http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/17933883.html
山田錦 2008/04/14 12:00
はじめまして、「憲法無効論」の検索から来ました。大阪で弁護士しているものです。この議論は法律に詳しい保守派の中でももう全く相手にされてないですね。管理人さんの成立過程から叩く理路とは別に、実定憲法の概念から見て「旧憲法」はとっくに御払い箱の中:新憲法は憲法として機能している。だったら、その化けて出る力もない「旧憲法」を根拠に現行憲法の「無効」などを唱えるのは無理筋もいいところ。保守派から見れば、無効論は現行憲法の正当性に疑問を呈するもので政治的にはあってもよいが、法理論としては「法概念論」や「法学方法論」という法理の最初から破綻しているでしょう。下記は、法学でも保守系ブログ最強といわれる方のものですが、彼も今後は無効論など「俎上に載せる」予定はないみたいです。

http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/52807853.html
inosisi650 2008/04/15 18:27
さすがわ犯罪者の弁護人!

新憲法は憲法として機能しているから有効だ = 偽札が十分世間にまかりとおっているから本物だ
「赤信号!みんなで渡れば青になる!」
http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/36681114.html
アイヌ 2008/05/04 01:16
私は、帝國憲法も日本国憲法も北海道では無効だと信じる。そしてアイヌ人自身が憲法を作る。私はそれがいいと思っている。日本人が今の憲法で、いやなら作り直せばいいこと。住んでる人間がどうしたいかが、問題。そしてどう作るかも問題。
無効論で、国際法をどうこう持ち出すならそれがどう正当性があるかも論じないといけない。シャリアー法でいいとみんながいいと言えば、それで決まる。それが民主主義。また殺しあいしたい人が、何かを言っていることが、私にとっては問題。そして他の国も危険を感じる。ゲイ同士が殺し合いをしたのが世界大戦。私はゲイには公民権がないと信じる。でもゲイのほうが多いから、そうはならない。
hn 2008/09/11 16:36
いつまでアメリカのおんぶに抱っこをお願いすれば気がすむのかな?
偉い方とお見受けいたしました。
竹島と北方領土をちゃんとした日本の領土にしてください、お願い致します。
台湾を支那の侵略から守って下さい。
あなたなら一人でもきっと出来る!