id:sjs7:20080730:1217428542の続き。
ある国のお話。
その国では大学に行かないとまともな仕事につけないということで、勉強が好きな人も普通な人も嫌いな人も、みーんな一度は大学に行って講義を聴きます。
当然、勉強が嫌いな人はそんな講義なんか真面目に聞きませんし、レポートとか宿題も不真面目です。どれくらい不真面目かといえば、「私は図書館に 行ってOPACを調べてみました。なかなか資料が見つからず苦労しました。」なんてことをレポートに書いてしまうぐらい不真面目です。
しかしセンセーたちはそれを理解できません。何故なら彼らは「大学に来る人は全て学問を好きなのが当たり前」と、自分の周りの社会状況なんか一切考えず(まるで「社会のことに俺たちは責任なんか持たない」と言いたいかのように)、ただ自分の研究分野に閉じこもっているからです。そして彼らは「学生はバカだから、僕たちがなんとかしてあげなきゃいけない」と、授業をどんどん厳しくしていきます。単位を落としたら留年にしたり、レポートで他人のレポートを丸写しにしたら退学にしたりと。
しかしそれで割を食うのは不真面目な生徒というよりは要領の悪い生徒です。もちろん、それで割を食ったとしても、その学問の勉強が好きならいいのでしょうが、もしそれで更に勉強も嫌いだったらどうなるか……
嫌いな勉強を、それでも必死に真面目にやろうとする。だけれどそれでも勉強しなければならないとされることはどんどん増えていく、「それをしなきゃお前は留年だー」と脅かされる、だから必死でやる、でも出来ない、出来たとしてもまた次の勉強が待っている、そして更に勉強が嫌いになっていく……
「学者なんて、学問なんて、この世界からなくなってしまえば良いのに!」(*1)
涙で瞳を赤く濡らした学生にそう思われても、仕方ないんじゃないかと、僕は思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/sjs7/20080730/1217428542
批判しているコメントを引用する。
2008年07月31日 id:dlit 大学, 教育, 学問, 専門家と素人 素人の「楽しさ」なんかを優先した挙句伝えるべき技術を伝えられなかったらそれこそ元も子もないと思う。ボランティアや日曜教室の単発講義とかならともかく。
2008年07月31日 id:optical_frog communication, bullshit 読み違いをしておられる:例えば“調べた過程はいらない”とは,「大澤 (2008) によれば~」と書くべきところに「OPACで検索すると大澤 (2008) がかかったので読んでみました云々」は不要ってことでは? 調査方法は別件.
2008年07月31日 id:mobanama どうでもいい なんか学生の意見。検証において必要となる以上の過程なんて不要というより有害なノイズ。
2008年07月31日 id:satehasateha 「本で...パソコンで...人から...」必要に応じてそれらを全て行った上で「考えた」過程・結果を書くのがレポート。中高生なら「調べた」過程を書くのもありかも知れないが大学生なら次のレベルを。独自調査は別件。
2008年07月31日 id:mic1849 university, education, communication 元記事は「~について」の報告の話で、こちらは「~について私はどう調べ、考察したか」の報告の話.前者は「~」について考察し、後者は「私」のことを提示する./学問は検証したいことを広く伝える技術ですよ.
だから「調べた」と「考えた」が分けられるのかっていうことを僕は言ってるんだろうがとか、「~」を調べたのが「私」である以上「私」と「~」を引き離すことは出来ないんだよとか、「ノイズ」って何が重要で何が不要のコンセンサスが取れてない中でそんな言葉を使うのは単なる信仰告白だろとか、いろいろ言いたいこともあるが、よく考えたらこれらは全て前の記事に最初から書いてあったことなのでやめる。
それよりも、誰一人前の記事で書いた↓の文に反応していないってどういうことなんだと
要するにその生徒にとってレポートを書くってことはかったるいことで、調べるのもかったるければそれをまとめるのもかったるい、だから調べた経緯でも書いてお茶を濁すかなと、そんな感じなんでしょう。
そんな「どの様な研究方法で研究をすべきなのか」なんて瑣末な部分には一生懸命食いつくくせに、その議論の根底にある「そもそもその学生にとってレポートを書くことが楽しくないことなんじゃねーの?」ということは一切スルーという態度に、結局この問題、というか僕がセンセーを嫌いな理由の根幹があるのだろうなぁと、思った。
だって、「正しいレポートの書き方」って言うのはさ、そのレポートを正しくしたいという欲求があって、初めてその人にとって意味を持つことな訳じゃないですか。だったらその技術論をぐだぐだ書き募る前に、まず「レポートを楽しく書こう」という気持ちにその人をさせて、そしてその人に「正しく書けばもっと楽しくなるんだ」と思わせなきゃならないはずでしょう。それがあって、初めてその人にとって「正しいレポートの書き方」を学ぶ意味が生まれるんであって、そのようなことを考えずにただ「俺が教えたいから」とかいう理由で他人に自分の教えたいことを押し付けるなんていうのは、例の10本とおなじじゃないか。いや、例の10本はまだそれでも「彼女にアニメを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として」という建前は貫いているけど、彼らにはそのような建前すらない。「俺の正しさをお前らも受け取れ!」という下劣な欲望を何の恥もなく書き連ねられる。なぁ、頼むからあんたら10円やるからその場所どいてくれないか。あんたが居るべきところはそんな教壇の上じゃねーんだよ、もっとこう、夜のキャバクラ的なところなんだろ?自分より若い人間に自分の知識を披露して、「きゃーすごいですねー」って言われてぇだけなんだろ。だったらキャバクラ行けや。俺たちはキャバ嬢じゃねぇんだからさ。
(で、そんなようなことを書きながら一方で彼らは「大学院生のアカデミックポストが足りない」とか何とか抜かすんだよな。ほんと死ねばいいのに。学生たちを楽しませようという気概すら一切見せないで、ただ学生に教える立場だけくれってか?ふざけるんじゃねぇよ。自分の授業によって学生たちを学問の楽しさに絶対招待できるという自信があって、でもアカデミックポストがないからそれを発揮できないんだ!と文句を言うならまだしも、「自分は学問の楽しさなんか教えるつもりはありません。国は俺がとても学生につまらない授業をして学生を退屈させて俺が満足する、俺のSM趣味を満足させるための営みに金を出すべきだ。」って、どこのモンスター○○だよ。)
そもそもあんたらの話を真面目に聞いている人間自体何人居るっつーのよ。講義をしてる時学生の目は輝いているか?自分の教えたいことを本にしたとき、それが売れるか?輝いてないし売れないんだったら、学生を批判するために、まず自分を何とかしろよ。本を売って、その売り上げ部数が一万部ぐらいにまでなるっつーんだったら、そういう「俺の考える正しい学問」的な概念を意味を持つ(それでやればもっと正しくなるんだなって確信できる)だろうけど、それぐらいの域に達してないのに、ただ「俺の講義を聞けぇぇぇぇぇ!」と叫ぶのは、はっきり言う、うっとおしい。
別に僕は「俺はこういうレポートの書き方が良いと思うんだけど、どうかな?」と、一個人として他者に自分の正しさを提示するのは下劣だとは思わない。むしろ、きちんと「正しさを考えているんだな」という点で、誠実さすら覚える。ただ、そこで教師、あるいは学問としての権威・権力性を自覚/無自覚問わず利用し始めたらもう最低だよねってこと。最低なことをするんだったら、せめてそれに見合うだけの才能を見せてみろ。そんな才能もないのにただ最低なだけな人間は、僕がぶん殴ってやるって話です。
*1: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%A1%9B%E5%85%B5