ダイアリーらしく、他人にとってはどーでもいいことを書く。
なんか最近、「例えば僕が死んだら、どうなるんだろう」というようなことを考える。
家族は泣くだろうな、サークルの友達も泣いてくれるかな、ネットでつきあいのある人はどうだろう、「ご冥福をお祈りします」とかブクマコメントしてくれるのか。顔を見知っている人なら、少しは心の奥に僕のことを留めてもらえるのだろうか。
逆に、僕がこのまま生き続けて、何かあるのかな。彼女は出来るんだろうか。いや、ダメだ、僕って典型的な、http://anond.hatelabo.jp/20080825123643にあるような「ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群」だもの。僕が好きになった人も全く
交友範囲の中で唯一の女で、オタク趣味を認めてくれて、母親の代わりでもしてくれそうな
人だったなぁと、この記事を読んでて気付いたし、そして、気付いてもそれを変えようと努力が出来ない。一応『草食系男子の恋愛学』とかも買ってきて読んだけど、こんなの絶対無理。相手のために努力するということがどうしても出来ない。話をしても、自分の話しかできなくて、相手の話にあわせようとする意志が沸かない。だって、僕の話はこんなに僕にとっては面白いのに、なんでそれを話すだけじゃダメなの?
結局、僕は「相手が好き」なんじゃなくて「相手に認められる自分が好き」なんだろう。
そうそう、この本には「劣等感を持つな、夢を持て」とか書かれてたっけ。夢か。うん持ってるよ。なんか長編の小説書いてどっかの賞に投稿したらそれが瞬く間に大賞を受賞したり、ブログを書いてたらその文章が急にどっかの雑誌の編集者に見初められてライターデビューしたりとかさ。
でも、その実現のために、小説の練習をしたり、もっと文章を上手くしようとかの努力は全然してないけどね。だってそんな「努力」辛いじゃん。やだやだ、そんな楽しくないことしてる暇があったら寝たりアニメ見ていたりしたい。
と思ってたら、まさにそんな感じで僕が好きなアニメの監督のインタビュー記事発見した。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080820/168407/
そうそうまさにそんな感じ。いいよねー、「企画」憧れるよね―。だって絵も描けないし、ストーリーも作れないし。
でも、やっぱそんなこと言ってても絶対そんな欲望はかなわない。だって努力してないんだから。ただでさえみんなそんな仕事に就くことを望んでるんだから、何もせずにただ口先だけで「なりたいなー」とか言っている人は、そんなのなれっこない。だからといってじゃあ努力する気も起きない。はい、この夢も消えた-。
そうかー、結局僕はこのまま、恋人も出来なければ仕事で自己実現も出来ず、ただずるずると年を重ねていくのか。じゃあさ、せめてそんな中でも、なんでもない「日常」に幸福を感じられるのかな?なんとなくだらだら生きているけど、そんな中で周りの人との付き合いに幸せを見いだすとかさ。
あ、でも僕それも無理だったっけ。だって僕は人付き合いが出来ない、一緒にいるだけで相手を不快にさせる人間だし。下手に近づいても相手は迷惑するだけで、そりゃ確かに表面上は楽しく付き合っているように見えても、実際は「こいつうぜぇ」とか思ってるんだろう。
まぁ、実は最近までそれに気付いていなくて、「友達づきあいって楽しいなぁ」とか思ってたんだけどね。でも、よく考えたらさ、一緒に移動しているのに自分から何も話そうとしない。電車やバスでは常に座席を一個離して座る。そんな人間、居るだけで迷惑だよね。そりゃあぐちぐち言い訳をすれば、移動しているときは移動に神経を集中しないと移動すら出来ないので会話する余裕なんか無いとか、そんな肌が触れそうになる距離にまで近づくのは、もし相手が「そんなに近づいてきてほしくない」とか思ってたら失礼にあたる(実際そう言われたことはかなりあった)とか、色々な言い訳が出来るけど、でも結局それって「空気を読め」という一言で否定されてしまう。何より、こんな言い訳をしたって、ますます相手にうざがられるだけ。そりゃ、表面上はにこやかに振る舞ってくれるんでしょう。でも心の内は、みんな、少なくともリアルの僕のことを見ている人間は、僕のことを嫌っているし、そうである以上、そんなみんなと「友達」でいることは、みんなに迷惑だ。まぁ気付くのが遅すぎたかもしれないんだけどさ。
さて、じゃあ結局僕は、これから一生、恋愛もせず、夢も実現できず、友達も作れず、一人もくもくと人と会話しなくても良いアルバイトとやって、一生を終えるのか。今まで。「やればできる僕」とか、「周りになんとなく好かれてるユニークな僕」とかいう幻想の自己イメージでもって、自分像を偽ってきたけど、これが本当の自分なんだなぁ。何て酷い自分なんだか。
そして、こんな記事をブログに書く時点で、ブログを見初められてライターっぽい仕事になるとかいう、僕の最後の夢=妄想も消えるわけでさ。そして待っているのは、ずっと一人で孤独に一生を終えるか、秋葉原で事件を起こした加藤君のようになるか。はは、まさに「泣きながらナイフとか振り回しそう」な僕だもんねぇ。お似合いだなあ。
でも、そんなことやってもみんなに嫌われるだけか。結局、「ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ」るような人は現れないよな。そりゃそうだよな。だけどダメな自分を変える根性すら出ない。つまり、やっぱり僕は一生孤独なんだろう。
果たしてそれに耐えられるんだろうか。というか、そもそも何で耐えなきゃいけないんだろうか。このまま生きてたって何も良いことなんか無いのに、なんで生きてるんだろうなぁ。まぁ、答えは簡単で、要するに死ぬ勇気すらないからなんだけど。
さて、今日も深夜にコンビニのバイトだよ。深夜に心を閉ざして機械になって一人でコンビニの店員やって、で朝に帰ってニコニコ見ながら寝て、気付いたら夜になっててまたニコニコ見てバイト行って、そんな日常が、きっと死ぬまで続くんだなぁ。
この記事を書くまでは「でも、死にたくないなぁ」って最後に書いて読者を安心させるつもりだったけど、やっぱ嘘はつけないや。そりゃ、努力もしないで才能が得られるっていう、僕の妄想が実現したら話は別だけどさ。でもそんな妄想実現しないんでしょ?だったら、別に死にたくないとも思わないよ。
この日へのコメント
結論を急ぐ事もまったくないし、悩みたいならエヴァのテレビ版最終話辺りを延々と見直せばいいかも。
最後の部分が気になったので筆を執りました。
「積極的に死にたいという程でもないけれど、無理して生きる程でもないなあ。何か具体的な理由ができたら次辺りでポッキリ折れるかも」といった感じでしょうか。もしそうであれば、すごく解ります。
ごめんなさい。それだけです。特に具体的かつ建設的な提案とかはありません。何もありません。俺はみのもんたになれない……。